あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

中村勘三郎 逝く

2012-12-05 23:18:03 | 歌舞伎
今朝、テレビから一瞬目を疑うテロップが見えて、心そぞろに画面に釘付けになりました。

  歌舞伎役者の中村勘三郎さんが
  急性呼吸窮迫症候群のため、
  5日午前2時33分、文京区の病院で亡くなりました。57才でした。

えぇ‼ちょっと、これ、なに⁈

少し前に人工肺を付けているそうだ、とかとても信じられない状況にいる事を噂にきいていましたが、
たとえどんなに厳しい現実があるにしても
あの勘三郎さんのことだからきっと不死身で復活されるに決まってると意に介さないでいました。

思えば、あまりにもハチャメチャに動きすぎました、働きすぎましたよ。

歌舞伎にいつもフレッシュな風をいれる面白いことをいつも考えてました。
コクーン歌舞伎は「伝統の」という壁をぶち破って、串田和美さんを演出に迎えたり、
椎名林檎さんに音楽を依頼したり驚く事を楽しんでいたのではないでしょうか。
ニューヨークまで小屋ごと持って行っちゃいましたしね。
活動は歌舞伎ばかりじゃなく、多岐にわたっていました。
そういえば、藤山直美さんとの共演でサーカスの新劇みたいなお芝居見ました。
演舞場だったかな?記憶が朦朧体です。
テレビにも、映画にも。
バラエティ番組にも。

今年のご長男の勘九郎襲名は随分急いだような気がしたけれど、
勘三郎さんの胸の内には急ぐべき事態を感知していたような気がします。

大きな柱に頼り切って歌舞伎の大船はいつも賑やかで、眩しく輝いていました。

歌舞伎座の改修工事が始まってから
何故か歌舞伎を見ていません。
一幕見る時間があれば一番上の一番安い席に駆け込んで見に行った学生時代。
母とも出かけました。
祖母もよく通ってました。
あの時は玉孝時代で賑やかでした。
仕事に没頭していた時や、結婚し、子育て中や、
闘病中には、なかなか見に行かれなかったけれど、
ようやく息子に手がかからなくなり、
午前からの幕に喜んで出かけました。

あべまつブログにも感想をあげていました。
  最後はこちら。
  コクーン歌舞伎の三人吉三はこちら。
 
最後に見たのは歌舞伎座の忠臣蔵だったのでした。

 大輪の 花首落ちて 忠臣蔵 あべまつ

18代勘三郎襲名からあっと言う間に。







決して美男子じゃなかったけれど、
人情に篤い、チャーミングないい男でした。
芸はいつみても安心して見ていられる旨さがあったし、
ユーモラスで、ちょっと色気の出しどころの間の
いやらしいほどのタイミングに何度も悩殺されました。
ずるいな、この目は、という場面も多々ありました。

これから、
これからが大事です。

大きすぎる役者だったことをこれから残されたものが
ビシビシ感じる現実が待っています。

芸道のなんという厳しさでしょう。

命を賭ける、人生を捧げる「道」があることの天命を
宿命としてきた生き様を尊敬するしかありません。
凡人であることに安堵しつつも、これからの歌舞伎のありようを
しっかり応援し続けていきたいと誓うのでした。

中村勘三郎、可愛い、気持ちのいい役者でした。
ありがとう。中村屋。中村勘三郎!!日本一!!!

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