かくして意気揚々と仕事人間の友達との再会もかねて、大丸で、棟方志功と対面してきた。
本当にすばらしい展覧会だった。
ありがちなデパートの展覧会のざわめきも少なく、ゆったりと画面と対峙していられた。
版画、ではなく板画、というのだそうだが、あまりにも有名な板画もそれはそれとしてすばらしいのだが、
肉筆画のおおらかさに気がつくことができて、本当によかった。
一面的に板画作家の棟方と思っていたら、なんともたっぷりとしていて、おおらかで、自然そのままな、
飾りっ気のない、無邪気なぐりぐりの彼の目玉そのものの画面。
御群鯉図
緋鯉を32匹、悠然と描く屏風図 赤と黒だけで、力強い画面、でも、池の周りの広がりや、ゆったり過ぎゆく時間までが描かれている。めでたくなる鯉たちだ。
鶴花波之図
学校の絵の先生なら、きっともう少しきちんと書きましょうって言うだろう。3幅で一組だが、絵の具の色使いのバランスがとれていて、日本画という枠には収まらない、パワー溢れる筆の勢い。波なんて、最高だ。日本画の波頭図のアカデミックからはとてつもなくはみ出している。
五智菩薩図
大原家の襖用に描いたもの。菩薩様達もこのくらい楽しげだったら、私も門徒になろうかしらん、と血迷ったことを思ってしまう。ぎりぎりしかめつらした修行があるとは、想像がつかない。
筆を思いっきり楽しんでいるかのようでもあった。
絵に添えられている書も、脱力していていい。
かっこつけなど一切ないのだ。
その無心さに驚かされる。
それと、12支のデザインされた、会社用の冊子の表紙絵がよかった。
とってもポップで、斬新で、チャーミング。
こんな年賀状を頂けたら、我が家の家宝として、額縁に入れて、拝むだろうに・・・
彼が、柳宗悦氏との民芸活動を通して、大原總一郎と出会い、二人の交友から生まれた、数々の作品群。
あぁ、大原家を飾っていた、ふすま絵、緋鯉の屏風、里山風景の屏風、
あぁ、何と懐かしい日本の原風景。
フクロウが、ミミズクが、鶴が、棟方志功が、みんなみんな楽しそうだ。
生きている実感が瑞々しく、溢れているではないか。
国立近代美術館とモダン・パラダイス展を開いた大原美術館。
今年、開館80周年記念に当たるそうだ。
そちらの館長となった、高階秀爾氏。
倉敷の文化の深さをまざまざと当てつけられて、改めてショックを受けた。
本当にスゴイ美術館なのだなぁ、と。
2003年に開かれた、生誕百年記念特別展の図録を求めた。
今回の図録はちょっとコンパクトすぎて、雄大さが伝わらない気がしたし、
こちらの方が、肉筆もたっぷり掲載されていた。
ぜひ機会をつくって民芸館の棟方志功の書を見なければ、と思った。
民芸とはなんたるかはともかく、
あそこには、日本の豊かな原風景のアルバムがあるような気がするのだ。
大原總一郎、柳宗悦、彼の周りには、沢山の理解者がいた。
そのことが何と言っても嬉しかったに違いない。
百年記念図録の棟方志功の破れんばかりの笑顔。
わだはゴッホになる、と言って、好きな絵を描き続け、板を削り続けた人生は、
きっと豊かなものだったに違いない。
さぁ、倉敷、何時になったら行かれるのか、
友達と是非行こうと語り合ってのだった。
本当にすばらしい展覧会だった。
ありがちなデパートの展覧会のざわめきも少なく、ゆったりと画面と対峙していられた。
版画、ではなく板画、というのだそうだが、あまりにも有名な板画もそれはそれとしてすばらしいのだが、
肉筆画のおおらかさに気がつくことができて、本当によかった。
一面的に板画作家の棟方と思っていたら、なんともたっぷりとしていて、おおらかで、自然そのままな、
飾りっ気のない、無邪気なぐりぐりの彼の目玉そのものの画面。
御群鯉図
緋鯉を32匹、悠然と描く屏風図 赤と黒だけで、力強い画面、でも、池の周りの広がりや、ゆったり過ぎゆく時間までが描かれている。めでたくなる鯉たちだ。
鶴花波之図
学校の絵の先生なら、きっともう少しきちんと書きましょうって言うだろう。3幅で一組だが、絵の具の色使いのバランスがとれていて、日本画という枠には収まらない、パワー溢れる筆の勢い。波なんて、最高だ。日本画の波頭図のアカデミックからはとてつもなくはみ出している。
五智菩薩図
大原家の襖用に描いたもの。菩薩様達もこのくらい楽しげだったら、私も門徒になろうかしらん、と血迷ったことを思ってしまう。ぎりぎりしかめつらした修行があるとは、想像がつかない。
筆を思いっきり楽しんでいるかのようでもあった。
絵に添えられている書も、脱力していていい。
かっこつけなど一切ないのだ。
その無心さに驚かされる。
それと、12支のデザインされた、会社用の冊子の表紙絵がよかった。
とってもポップで、斬新で、チャーミング。
こんな年賀状を頂けたら、我が家の家宝として、額縁に入れて、拝むだろうに・・・
彼が、柳宗悦氏との民芸活動を通して、大原總一郎と出会い、二人の交友から生まれた、数々の作品群。
あぁ、大原家を飾っていた、ふすま絵、緋鯉の屏風、里山風景の屏風、
あぁ、何と懐かしい日本の原風景。
フクロウが、ミミズクが、鶴が、棟方志功が、みんなみんな楽しそうだ。
生きている実感が瑞々しく、溢れているではないか。
国立近代美術館とモダン・パラダイス展を開いた大原美術館。
今年、開館80周年記念に当たるそうだ。
そちらの館長となった、高階秀爾氏。
倉敷の文化の深さをまざまざと当てつけられて、改めてショックを受けた。
本当にスゴイ美術館なのだなぁ、と。
2003年に開かれた、生誕百年記念特別展の図録を求めた。
今回の図録はちょっとコンパクトすぎて、雄大さが伝わらない気がしたし、
こちらの方が、肉筆もたっぷり掲載されていた。
ぜひ機会をつくって民芸館の棟方志功の書を見なければ、と思った。
民芸とはなんたるかはともかく、
あそこには、日本の豊かな原風景のアルバムがあるような気がするのだ。
大原總一郎、柳宗悦、彼の周りには、沢山の理解者がいた。
そのことが何と言っても嬉しかったに違いない。
百年記念図録の棟方志功の破れんばかりの笑顔。
わだはゴッホになる、と言って、好きな絵を描き続け、板を削り続けた人生は、
きっと豊かなものだったに違いない。
さぁ、倉敷、何時になったら行かれるのか、
友達と是非行こうと語り合ってのだった。
こどもちゃんたちが可愛くて仕方なかったですよね。
わたしはにこにこしながら見守りましたよ。
書は雄渾としか言いようのないものだと思いました。
出来不出来を越えて、そこにある。
凄いウデチカラでした。
本当に行ってよかったです。
板にほおをすり寄せて彫刻刀をがりがりやっている姿、それが棟方志功という印象が強くて、あんなにゆったりとした大和絵を描いていたことに驚きでした。
彼は、里山のような人ですね。何があっても倒れそうにありませんもの。
「御群鯉図」はまるで本当に目の前で
鯉が泳いでいるかのようでしたね。
ビックリさせられました。
本当に心底嬉しい展覧会でした。
いつか、倉敷に行かなければなりません。
すばらしい人がスゴイ業績を残してくれて、感謝に堪えません。
まるで無邪気な子どものようです。
自分自身、最近、あんなに笑ったのはいつの
ことだろうと思いました。
無邪気って、純真ってこと。
それを持ち続けることの難しさ。
つい様々に振り回されてしまいがち。
本当のところで、生きるって、勇気いりますよね。
やりたいこと、楽しいこと、ガンガンやっていきましょう~♪