あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

牧島如鳩 展 ・三鷹市美術ギャラリー

2009-08-22 22:05:09 | 美術展
見に行った日は、灼熱の夏日で、
久しぶりに会った友人と吉祥寺を楽しんだ。
手作り感溢れる町並みはなんとなく
安堵感に満たされ、
工夫して楽しく暮らしている様子は
やはり見る目も優しくなってくる。

小さなお店でビーズやボタンや、糸などを買って、
ウキウキ。

お腹がすいてきたので、スペアリブのおいしいお店に入り、
おばさんになった二人はそれを頼まず、
私はパスタ、彼女はカレーを頼んだ。
その時に
不思議なオーラのあるチラシを見せたら、
へぇ~ちょっと見てみたいわね、と食いついてきた。

よし!

それから、三鷹に出て、
駅近くの三鷹市美術ギャラリーに入った。

牧島如鳩 まきしま にょきゅう(1892~1975)
初めて聞く名前。
2年前、石田徹也の名前と彼の画業を知ったときにも
匹敵する妖しい、何かが潜んでいる感じ。
祖父母の世代ではないか。

場内に入る扉を押して、驚いた。
どこからともなく聞こえる聖歌隊の声。
ここは?

教会の香水も漂っているような、気配。
実際は何も香りは無かったにしても。
どこか知られない秘密の教会にでも紛れ込んでしまったような錯覚。
私ここに入ってよいのでしょうか?
異教徒のような遠慮が生まれる。

誰もが静かに厳かな雰囲気を壊さないように
息を潜めてただ絵と対面していた。

友人と私は会話するまでもなく、
一人ずつ鑑賞し、時々目配せした。

厳かな雰囲気とは真逆な極彩色溢れる色使い、
生々しい肉体の芳香、
動き出しそうなたぎる血の色、
菩薩様と目があったときのどぎまぎ。

イコン、のようで、そうでなく、
キリスト教ばかりでなく仏様も存在している。
達磨がいて、
来迎仏図や、山水図の水墨画もあって、
イエス・キリストも一緒に存在しているのか?
仏耶混合とは、一体どうなっているのか?

驚きとともに、
目の前の溢れるパワーに心奪われ、
そういう頭の混乱は次第にどこかに消えてしまった。

そういう絵が描きたかった人だったのだ。

仏もキリストも、人々にとって崇め、
祈る神様であることになにも変わらない。

色の持つ力によって、神を荘厳した。
生きる力を頂いた。
神の力を信じた。
血が通う生々しい肉体を持ちつつも、
この世の人ではない、
神の世界の菩薩、マリア、仏、キリスト。
それらを全部持ち合わせている神。

こんな試みを一体ほかの誰がしたというのか。

栃木の足利に生まれ、
ハリストス正教を信奉する日本画家を父に持ち、
16歳でお茶の水にあるニコライ堂神学校に入学。
山下りんにイコンを学ぶ。
同時に仏教の勉強と仏画を描くこともしていた。
27歳の妻を結核で失い、10年かけて、
油彩による涅槃図を作成し、
伊東の朝光寺に奉納した。
ニコライ堂は戦時中の遺体安置場所だったが、
その悲惨な状況の中、誕生釈迦図が生まれた。
戦後、小名浜の不漁に悩む地元民のために
魚籃観音像(ぎょらんかんのんぞう)を描き
大漁を引き寄せた逸話がある。
生前「500年後の人々に自作を見てもらいたい」
と語っていたそうだが、
その願いよりもずっと早く、私たちの目に
その姿を見せてくれた。
(チラシ、MARCL解説参考)

時には、横尾忠則、時には狩野一信、
時にはルオー、そんな側面も見せてくれたが、
鑑賞後私の頭の中は、
不思議な曼荼羅となって、
聖歌が声明のBGMとなって、
ぐるぐる渦巻き続けているのだった。

圧巻はチラシの
大自在千手観音菩薩

もしかして、今の漫画の世界にもこういう
描き方の人がいるんじゃないかと想像した。

まったく、こんな出会いがあるなんて。

死の世界を間近に、無残な光景を目の前にしてきた
そういう人だったからこそ、
宗教の力、絵の力を信じて、慈愛のの極限、
命の根源の魂を一心にこめたのかもしれない。

多色の色使いは、根源の色を感じ、
まばゆい光を感じだ。
えぐさを感じなかったのが不思議だった。

いつかまた、どこかで如鳩の絵とめぐり合える時を
待ち望みたい。

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8 コメント

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Unknown (はろるど)
2009-08-23 21:04:45
こんばんは。
イコンや仏画というと敬虔なイメージもありますが、
牧島の融合的なそれはもっとギラギラとして濃密でしたね。
絵に完膚なきまで打ちのめされた感覚を久々に味わいました。

さらに研究が進み、また展覧会が開かれること望みたいものです。
返信する
はろるど さま (あべまつ)
2009-08-23 23:08:41
こんばんは。

新しいPCで何となく不慣れですが、
コメントいただき、感謝します。

本当に驚きの画家と対面しました。
宗教絵画の概念から想像を絶する
中国の極彩色にも通じる異境の国のものの様でした。
次の展覧が期待されますね。
返信する
Unknown (Tak)
2009-08-24 14:48:00
こんにちは。

まさに「神」との遭遇でしたね。
もうやられっぱなし。
圧倒されっぱなしでした。
美術史に組み込まれていない
こうした絵描きさんどんどん
発掘してもらいたいものです。
返信する
Tak さま (あべまつ)
2009-08-24 22:46:16
こんばんは。

驚きの画家との遭遇で、うれしい夏休みでした。ああいう人が埋もれていたんですね。

心根は真っ直ぐで、純粋きわまりないのに、
色がすごい。それも宗教絵画を。
まだまだ知られざる人物が日本のどこかにいるのでしょうねぇ。

ため息の大合唱、でした。
返信する
Unknown (遊行七恵)
2009-08-25 12:58:19
こんにちは
わたしが首都圏を這いずり回っている頃にぱそとの格闘があったとはお疲れ様です。

この展覧会、非常に心に残りましたが、さてそれを文に出来るかどうかか不明と言う状況です。ムツカシイ・・・
なんだかわたしも天だか地底だかに飛んで行ってしまう気分でした。
返信する
遊行 さま (あべまつ)
2009-08-25 15:35:58
こんにちは。

ブログと繋がることができて、一安心です。
カツカツ打ち込むことしかわからなくて、
過去の記事も無事に残っていたので、
凄いものだと感心したのでした。
まだ、基礎データーや、名簿やアドレスなどが引っ越しできてません。

如鳩の存在に驚きつつも、
神様の形に縛られない、そんな発想が許される国にいることも驚きです。
遊行さんの振り幅の広い行動に
底抜けに生きる力を感じますが、
力があるって、大変な世界を背負うと言うことだなぁと思ってみたり。

遊行さんの如鳩記事、楽しみに致しまする。
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Unknown (ogawama)
2009-08-25 20:38:55
私も横尾忠則さんを連想する部分がありました。
絵で何かを説得しようとする、意志の力を感じました。
表現したいものを表現するって実はすごく難しいことだと思うのですが、彼らにはきっと迷いはないのでしょう。
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ogawama さま (あべまつ)
2009-08-25 22:31:58
こんばんは。

愛情の深さが宗教と一緒になると
迷いのない、一途な心持ちになるのでしょうか。
見るものは混沌とか、カオスを感じるのに、
如鳩は、ぶれなく突き抜けたのでしょうね。
横尾忠則氏がどんな感想をお持ちになるか、聞いてみたいものです。
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