やっと、自分の時間が持てるようになり、息子の成長に感謝する。
彼が段々自分のペースで、色々ができるようになったし、
学校という社会で、様々な刺激を受けて、取り組んでいるから、
私が私でいられるのだ。
私が幸せであれば、家族が幸せになれる。
家の中に花がたった一輪でもあれば、それでほんのちょっと優しい風が吹く。
週一度のお稽古だけれど、先生とお教室の生徒さん達にもめぐまれ、
何とか続けることができた。
もともとお花は好きなのだが、
どうも洋花のアレンジメントが馴染まなかった。
利休の「花は野にあるように」ではないけれど、造形の材料ではなく、
そのはかない命の美しさを感じ取って、姿形を大切にしながら、
一緒に愛でる気持ちの方を目標にしたかった。
しかし、華道の流派は様々ありすぎて、
歴史や、形を重んじすぎると、今の生活に合わないし、
個人の先生の元に通うとなると、また違った意味で、気を使ってしまう。
そこで巡り会ったのが、カルチャーセンターという入りやすい形での草月。
お稽古を積んでいけば、ステップアップもできる。
お茶花のような花も、前衛のオブジェのような花もあって、
表現の幅が広いことも嬉しい。
お陰で、毎週木曜日は楽しみな曜日となった。
様々なお花や、木々との出会い、色々な形の表現方法。
基礎があればこそ、自由な表現もできるようになるのだということ。
意外や意外、色んなことをチャレンジさせてもらっている。
デッサンや、絵の具を使っての円や直線の表現。
家元はじめ師範先生達の華展の見学。
草月会館でのイベント参加。
全てが刺激的だ。
このまま順調にお稽古を積んでいけば、また一つステップアップ。
そうすれば、中級クラスに上がることも時間の問題だ。
今週はお稽古がお休みなので、違う木曜日の使い方になるけれど、
何か自分の好きなことの表現ができることは、
とっても大切なことだと感じる。
核家族で、頼る人が近くにいない我が家にとっては、
学校に通う一人っ子がいたら、落ち着いて仕事に行かれない。
息子がもう少し大きくなったら、と思っていたら、
雇用してくれる年齢と大幅にずれてしまう。
精力的にも体力的にも仕事をするパワーは、すでに持ち合わせていない。
そんなことで残されたのは、何かを身につけること。
資格を身につけられるようになるまでには、大変だとは思うけれど、
お花を通して女性達が元気で、明るくなって、家庭の空気が潤って、
ぎすぎすしがちな空気が和んでくれたら、
そうしたお手伝いができるようになれたら・・・・
なんていう愚かな野望を抱きつつ、お花に癒されているのだ。
先生がおっしゃった。
「いいわよ~お花は。残らないし、練習すれば、上手になるし、引っ越ししても続けられるし。」
そう、お道具は、ハサミと少々の花器。
後は、自分の創意工夫と、美しい花と楽しく付き合っていけばよいのだから。
先生、これからも宜しくご指導お願い致します。
彼が段々自分のペースで、色々ができるようになったし、
学校という社会で、様々な刺激を受けて、取り組んでいるから、
私が私でいられるのだ。
私が幸せであれば、家族が幸せになれる。
家の中に花がたった一輪でもあれば、それでほんのちょっと優しい風が吹く。
週一度のお稽古だけれど、先生とお教室の生徒さん達にもめぐまれ、
何とか続けることができた。
もともとお花は好きなのだが、
どうも洋花のアレンジメントが馴染まなかった。
利休の「花は野にあるように」ではないけれど、造形の材料ではなく、
そのはかない命の美しさを感じ取って、姿形を大切にしながら、
一緒に愛でる気持ちの方を目標にしたかった。
しかし、華道の流派は様々ありすぎて、
歴史や、形を重んじすぎると、今の生活に合わないし、
個人の先生の元に通うとなると、また違った意味で、気を使ってしまう。
そこで巡り会ったのが、カルチャーセンターという入りやすい形での草月。
お稽古を積んでいけば、ステップアップもできる。
お茶花のような花も、前衛のオブジェのような花もあって、
表現の幅が広いことも嬉しい。
お陰で、毎週木曜日は楽しみな曜日となった。
様々なお花や、木々との出会い、色々な形の表現方法。
基礎があればこそ、自由な表現もできるようになるのだということ。
意外や意外、色んなことをチャレンジさせてもらっている。
デッサンや、絵の具を使っての円や直線の表現。
家元はじめ師範先生達の華展の見学。
草月会館でのイベント参加。
全てが刺激的だ。
このまま順調にお稽古を積んでいけば、また一つステップアップ。
そうすれば、中級クラスに上がることも時間の問題だ。
今週はお稽古がお休みなので、違う木曜日の使い方になるけれど、
何か自分の好きなことの表現ができることは、
とっても大切なことだと感じる。
核家族で、頼る人が近くにいない我が家にとっては、
学校に通う一人っ子がいたら、落ち着いて仕事に行かれない。
息子がもう少し大きくなったら、と思っていたら、
雇用してくれる年齢と大幅にずれてしまう。
精力的にも体力的にも仕事をするパワーは、すでに持ち合わせていない。
そんなことで残されたのは、何かを身につけること。
資格を身につけられるようになるまでには、大変だとは思うけれど、
お花を通して女性達が元気で、明るくなって、家庭の空気が潤って、
ぎすぎすしがちな空気が和んでくれたら、
そうしたお手伝いができるようになれたら・・・・
なんていう愚かな野望を抱きつつ、お花に癒されているのだ。
先生がおっしゃった。
「いいわよ~お花は。残らないし、練習すれば、上手になるし、引っ越ししても続けられるし。」
そう、お道具は、ハサミと少々の花器。
後は、自分の創意工夫と、美しい花と楽しく付き合っていけばよいのだから。
先生、これからも宜しくご指導お願い致します。
つくづく思うのです。暮らしのうるおいは自分でつくるものだな、と。東京に住んでいますと、受身でいても楽しみはいっぱいありますよね。でも、受身ですと満たされません。自分の手で美を取り入れること─ 家の中やふだんの暮らしに安らぎがなければ、せわしい世の中に流されてしまいそうです。
あべまつさんも、よい週末を‥
この歳になって、何かの証明書を頂けるなんて思ってもみなかったので、嬉し恥ずかしの気分です。
雪月花さまのお茶のお免状もさぞさぞお喜びのことでしたでしょう。もう、お稽古は長いのですか?友人がお茶の稽古に通い始めました。私も!とは思うのですが、時間の余裕がぎりぎりで、時が訪れることを待っています。野暮な勝手流で、楽しんでいます。
次回の記事を心待ちに致します。