あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

美術手帖 11月号  

2009-10-27 15:15:41 | 
特集は「茶の湯の美」

基本的な話を分かりやすく現代用語で紹介。
イラストは山口晃氏。

これだけでも購入者倍増。

何年か前、三越での個展でだったか、
線描のうまさとか、時空を超えた人々の取り込み方とか、
表面から歴史の時間を引っ張ってくるうまさとか、
澁澤龍彦の獏園なんて、いい味にしてるなとか、
そんなことを思っていたのに、
物置のような小部屋が現れた時は
ほんと、驚いた。

こんなあきれるほど、ほとほとチープな茶室には
正直頭を抱えた。
カセットコンロに薬缶が乗り、
つくばい(漢字が出てこない)はこともあろうに洗面器!!
こりゃ茶室じゃなくて、ブルーシート部屋。
ここで頂くものといったらチキンラーメンでしょ!
こんな茶室を利休に見せたら、
絶対首根っこ捕まえられてつまみだされるに違いないと思った。爆笑

ガタガタにされた茶室は実は深いブラックユーモアで、
山口氏のオチャメ全開なのだった。

そのチープお茶室が今号の誌上でも紹介されて、
結構受けた私。

そのあとが秀吉のキンキン茶室。
目を覆いたくなる。
その温度差は確信犯だ。
MOA美術館ではじめてその姿を見た時に
心底秀吉を馬鹿にした。
成金趣味ってのは、こうも怖いものを作って嬉しがるのかと。
20代の私。

安土桃山のその時代、茶の湯はステータス。
逃れられない道だった。
だからこそ利休が重用されたのだし、
そんな目利きを疎んじた秀吉は、目が利かなかった。
そう思ったものだ。

個人的にも二人は両極端すぎる。
温度差がありすぎる。

だから後世、小堀遠州がもてた。
ここでやっとホッとできるのだ。
時代も落ち着いてきたということだ。

本誌は
様々なことを紹介し、蘊蓄を丁寧に伝えてくれるが、
現実問題として、
今、お茶はどうすりゃいいのか。
そのあたりが希薄なのが残念だった。
なにしろ、部屋から見える景色が
ビルの森だし、庭もない現代建築。
部屋にも畳はないし、床の間もない。
テーブルでコーヒーを頂くように
お茶するしかないのかなぁ?

喫茶店もいつの間にかスタバナイズされているし。

先日冷泉家グッズで買った
一保堂の「ときはの緑」は美味しかった。

紙面は進み、
あの風雲児カイカイキキの村上隆氏と、
目白の骨董屋坂田氏の対談にたどりつく。

これが実に面白かった。

今号の隠し玉。

ほんのわずかな時間を個人的にはどうも苦手な二人が
楽しげに対談する。
その中で村上隆氏最高潮での告白。

村上隆氏が次期家元千宗屋氏とのお茶を頂いた時のこと。
氏は何回か若宗匠宗屋氏のお茶を経験しているらしい。
宗屋氏は武者小路千家。75年生まれ。若い!
 
 ・・・
 なかでも官休庵に招待していただき
 素晴らしい夏の朝にお茶をたてていただいた時に
 茶碗から何から、庭の風情の細部まで、
 完璧に僕という人間や、僕が作品を描く時の脳の
 構造まで理解されてしまったような錯覚に
 陥ってしまいました。
 思わず落涙しました。
 ・・・

このくだりを読んで、おもわず大嫌いな村上隆氏をヨシヨシしたくなった。
なんて純粋な心を持っているのだろうと。

時代の風雲児もこういう場面があるのだと安堵した。

最先端は辛かろう。

日本の美は最先端を行っちゃいけない。
そこからちょいと戻ってこなくては。
余裕の間、それこそが大事なのだと。

それにしても目利きとなることは何か?

お茶をするとはなにか?

その時を、不動の余裕の心持で、
上質(上等のものではなく)な見立て、
取り合わせ(コーディネイト)をし、
お客を心からおもてなしする、ということのようだ。

その向こうからおのずと美がみえてくるのかしらん。

いたれりつくせり。
それが鼻につかないようにしなければならないし。

相手があってこその美の表現者が日本の美、
なのでは、と思ってもみたり。

楽の佐川美術館も興味深いけれど、
ちょっと癒しが感じられないでいる。
吉左衛門が匂いすぎるというか、
果たして門戸は開かれているのだろうかという危惧。
未熟な下々には分厚い門が閉まっているようで。

そんなこんなで、
大層面白い仕組みにまんまと引っ掛かってしまったのだった。

山口晃描く「利休」の表紙、ぜひ。
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