あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

ゴーギャン展 ・ 東京国立近代美術館

2009-08-05 23:39:26 | 海外美術
今回はチラシなどに紹介されている
「我々はどこから来たのか、
 我々は何者か
 我々はどこへ行くのか」
のボストン美術館の超大作日本初上陸がメイン。

34才からの遅咲き画家は、
それまで株式仲買人として成功、妻を持ち幸せな生活をしていた。
なのに、どうしたことか、
ピサロ達との交流、印象派のコレクションをしながら、
絵を描くことに魅了され、
また、その力を認められて、
平和な家庭を捨てることを決断してしまう。
彼自身が内包する、野蛮人たる何かが目覚めてしまった、
そういうことだろうか。

第1章 野生の解放

ここでは、ゴーギャンが絵描きとしてスタートした、
1880年代の頃の作品が紹介される。
一目で色の使い方がゴーギャンの存在感を生んでいると気付く。
光り溢れる印象派の時代、サロンで認められたことによって、
人生の舵が大きく動いた。
ゴーギャンが生まれたのはフランスで、
その後1才から6才までリマで過ごす。
何故リマ、だったのだろう?
この体験がタヒチを呼ぶ血になってはいないだろうか。
フランスで成人し、34才まで平和な暮らしをしていたが、
印象派達との交流が彼を動かしてしまう。
ブルターニュ地方に行って、ゴーギャンが目覚めるのだ。
ゴッホとの生活も有名だ。
色の使い方にゴッホを感じることもできなくはない。

彼のいう、「インディアンの血」とは何か?
野蛮人とは何を意味しているのか。
植民地漁りの戦いを続ける文明人を揶揄しての野蛮人。
文明とは何を指すのか。
株取引で立派に裕福に生活していることに
絵を描くことによって、何かが目覚めてしまったのだろうか。

・「純潔の喪失」
  ドキリとする題名だ。
  家庭に別れを告げた彼は、ある意味で、自由になった。
  背徳を感じつつも、溢れるものに抗えなかった。
  事件のようなセンセーショナルな表現。
  恋愛の甘美など一つも感じられない。
  画面の隅の横たわる石像のような塊が象徴的。
  自身の罪を狐に背負わせている。
  それにしても、このあたりから、
  ファンタジーな気配が感じられるのも興味深いし、
  色使いもとても斬新で、
  横ストライプに流れる色の層中で、女性の白い肌色が
  眩しい。

第2章 タヒチへ

「熱帯のアトリエ」に暮らすことを夢見たゴーギャン。
ついにタヒチへ旅立つ。
野蛮人と自負した彼が原始と野生の共生する土地で
新しい絵画観を見いだす心算だった。
しかし、タヒチは既にイギリスや、
フランスの文明の影響を受け変化していた。
彼自身も原始で暮らすことを夢見つつも
既に文明を背負っていることの矛盾もあったことだろう。
それでも、まばゆく弾ける身体を持つ現地の女性達を
目の当たりにして、夢や、希望を重ねたに違いない。
新しい命さえ生まれたのだから。

・かぐわしき大地
 ゴーギャン、といえばこういう色使い、
 こういう原始な女性達。
 弾ける身体の輝きに魅了された文明人を気取る野蛮人。
 空飛ぶ蜥蜴があやしげだ。

・パレットを持つ自画像
 今回気がついたが、自画像がとてもいいのだ。
 自虐的に睥睨の視線は、
 実はこういう人になりたかったのか、
 優しげな手つきと目線がちぐはぐで、
 あんがいいい男だったのじゃないかと思わせる。
 存在感があって、赤のバックも挑戦的で好きだ。

・オヴィリ 
 自身の墓標というから驚き。 
 墓守を彼にさせているのだろう。
 オヴィリとは「野蛮人」のことで、
 彼自身ずっと生涯野蛮人を自負していたのだ。
 内在する獣とともに、人生を翻弄されたのだとしたら、
 信頼できる像なのだと思った。

・「ノアノア」連作版画
 実は、絵画より版画の方にずっと惹かれた。
 ゴーギャンの泥臭さと、版画テクニックは
 とても相性が良かったのではないかと。
 彼自身の刷り、版元の刷り、後に息子が刷った刷り
 3様バージョンが並んだのは興味深かった。
 もちろん、自刷りが力が入っていて良かった。
 現地の神とも近づけたのではないか。
 所々に入る炎の色などもパンチが効いている。
 色を効かせるのがうまいと思った。

第3章 漂泊のさだめ

しばらくしてパリに戻ったゴーギャンは
きっとサロンで喝采を浴びると信じていたのだろうが、
現実は厳しいモノだった。
落胆と絶望、健康を失い、経済的にも追いつめられて
パリに決別し、再びタヒチへと戻る。
人生落ちる時は容赦ない。
愛娘を失う不幸がどん底へ突き落とす。
そして、遺言のように

・「我々はどこからきたのか、
  我々は何者か、
  我々はどこへ行くのか」
 を誕生させる。
 彼の過ごした人生のすべてを描いたのではないだろうか。
 彼自身が何人で、何をする人か、
 これからどこへ行ったらいいのか、
 漂泊の人生だったに違いない。
 時代のうねりの中で、単身楽園を目指して、
 光り輝く時を謳歌したはずだったのに。
 結局は、彼の才能を見いだしたサロンからの
 評価を得られず、精神も不安定になり、
 死を望むようになってしまう。
 絵の中央でリンゴをもぎ取る男性がいるが、
 このリンゴさえ掴まなければ、
 女性達との様々な物語を語らずに済んだのに。
 リンゴ、それは絵に足を突っ込んでしまったから。
 一度は認められたのに、
 自信持って持ち帰った作品が認めてもらえない現実に対し、
 最後に絵でしか表現する方法が残されていなかった。
 結局、これはみんな、夢物語だったのだと。

彼は本来とてもノーマルで、女性に純粋に熱を上げ、
男性にもときめく、音楽や料理、文学にも才能があった。
ただ、文明の教養が邪魔して苦しんだ。
ピカソのように明るく表現できる人ではなかった。
ゴッホが精神を病んだくらい、ストイックにはなれなかった。
印象派の画家達のように認められることはなかった。
シュールの時代には早すぎたのかもしれない。
何もかもが半端な時代の谷間に引っかかってしまっている
悲劇を感じる。

彼はペルー、スペイン系の貴族の血を引く。
インディアンであり、インカと、感じやすい人間がいる。
と語っている。
スペイン語で暮らした幼児期。
フランスで裕福を得た青年期。
彼自身が何者かということを
人生を賭け、認められたい画家として、
ずっとキャンバスの上で漂泊、放浪し続けてきたのかもしれない。

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18 コメント

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ゴーギャンは・・・? (悲歌・哀歌)
2009-08-06 14:10:43
あべまつ様  こんにちは
待ってました!ゴーギャン展レポ。
小生も、土曜日の夜間開館を利用して見てきました。
ゴーギャンは図らずも絵が上手くて、道を踏み外したか?下手だったらこんなことにはならなかったろうに・・。
「純潔の喪失」はじーっと見る人、すぐに目を逸らす人色々ありでした。
小生は、遠くの海の感じが良くて、暫らく眺めていました。微かに潮騒の音が聞こえるようです。あべまつさんの仰るように、色の層の並べ重ね方が素敵でした。タイトルに対するコメントは難しいです。一筋縄では行きません。男女で、見方が違ってきそうな気がしないでもないです。
ヨーロッパ文明と太平洋の野生と二つを抱えて生きていこうとするゴーギャン。自由であろうとする喜びと苦しみ、ひとつの尺度では計れない生き方に思えます。
「我々は・・・」は本当に出会えたい作品でした。最初の印象は、東博の「老いの坂道」を思い出させられたのでした。人生の一巡りが有る。「老いの坂道」は左下から始まり、中央に上って、右下へ降りていく構図でした。「我々は・・・」は逆に右上から中央へ降りてきて、左上へ上っていく視線の誘導があるように見えました。それにしても、見ても観ても、見飽きない作品です。タヒチの空気や海の青さ、色々と感じさせられました。
そして、「ゴーギャンは何処からきたか、ゴーギャンは何物か、ゴーギャンは何処へ行ったか」が小生の心の掌に残りました。
版画は良かったですね。小生は色の無いバージョンが好みでした。
長くなるのでこの辺で失礼します。
返信する
Unknown (とら)
2009-08-06 20:04:47
こんばんは。
実はゴーギャン好きなのですが、
ゴーギャンだけの展覧会はなかなかありませんね。
そういう意味では今回の展覧会、とくに近美のそれは出色のものだと思いました。
同行したゴーギャン嫌いの家内も今回は参ったといってました。
返信する
悲歌・哀歌 さま (あべまつ)
2009-08-06 22:20:18
こんばんは。

ゴーギャン、手こずりました。
あの時代の混沌としたカオスのホールにはまった気分です。芸術家は自身の人生にギリギリ縛られるのでしょう。凡々・淡々としていては、その道に導かれることさえ無縁です。
業の深さを男の生き方として見せつけられたようで、女性は最後まで付き合いかねたでしょうね。
ポスターサイトを見ると意外にも多作なので、驚きました。知らないことが多すぎです。
返信する
とら さま (あべまつ)
2009-08-06 22:23:07
こんばんは。

ようやくの記事です。
とらさんはゴーギャン好きなのですね。
色使いとか、はっとする表現や、
自画像の良い表情とか、新しい発見をしました。以前より、近しい感じを持ちました。
難しい男ほど気になる、そんな感じです。
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Unknown (すぴか)
2009-08-06 23:54:52
こんばんは。
おひさしぶりです。あべまつさんの記事読んでいると、なんだかゴーギャンがすっと頭に入ってくるようです。

すばらしい展覧会だったと今は思っています。2回行って今までのゴーギャン感を一掃しました。
返信する
リマ (とら)
2009-08-07 08:54:40
ゴーギャンの伝記沢山持ってますので・・・。その一つによると、

「ゴーギャンの父、クロヴィスは共和派のジャーナリスト。母アリーヌはサン・シモン主義者フローラ・トリスタンの娘。

1848年、ルイ・ナポレオンのクーデターによる迫害を恐れた一家は、母の縁故を頼りペルーのリマに逃れた。

航海中に父は急死ししたが、リマの有力者だった大伯父のドン・ピオ・トリスタン・モスコソ家で恵まれた幼年期を過ごす」となっています。
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すぴか さま (あべまつ)
2009-08-07 21:28:15
こんばんは。

今日はまた蒸し暑く、夕方のどしゃ降りには閉口しました。
>ゴーギャンがすっと頭に入ってくるようです。
私自身が理解に苦しんだので、
しっくり納得できない記事になりましたが
お手伝いできたようで、嬉しく思います。
ゴーギャンを知る、初めての展覧会でした。
自分の野心、業に向かい合ったわりには
色使いがファンタジックで、そのギャップに振り回されるのかもしれません。
現れる動物たちは高野聖のように化けた男達のように感じたのでした。
返信する
とら さま (あべまつ)
2009-08-07 21:32:47
こんばんは。

貴重な情報ありがとうございます。
>1848年、ルイ・ナポレオンのクーデター による迫害を恐れた一家は、母の縁故を頼り ペルーのリマに逃れた。

これは知りませんでした。なるほど~です。
彼の文章もなかなか面白い深みのある表現で、画面に物語性があるのは、その所為かと思いました。興味が湧く画家となりました。
返信する
Unknown (はろるど)
2009-08-07 22:26:52
こんばんは。TBとともに熱のこもった記事をありがとうございました。

私自身、これまでゴーギャンを何となく敬遠していましたが、やはり主要作の揃う展覧会ですと、単純にその画力に魅せられる部分はありますね。満足出来ました。
損保(今回も出ていた作品ですが。)ではいつも憂鬱な印象を受けますが、今回はその影こそ感じながらも、力強い色で何か生命の逞しさのようなものを得たような気がします。

「我々」は中央の人物を軸に、登場する者たちの人生がぐるっと回転して永遠に続いているように見えました。彼は一体どのような物語をここに描いたのでしょうか。
返信する
人生落ちる時は容赦ない。 (Tak)
2009-08-08 12:54:07
こんにちは。

>人生落ちる時は容赦ない。
心しないといけません。。。

ゴーギャンがフランス領以外の
島に行くことが出来ていたら
少しは考えも変わるのですが。。。
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