東京国立博物館、平成館の1階、企画展示室では
1月28日まで、
「やきもの、茶湯道具の伝来ものがたり」
という、麗しい企画展示が開催されていました。
じつは、博物館に初もうで、の為に来館はしたものの、
一番最初に張り付いてみてきたのは
この展示室でした。
あの、重文、青磁茶碗の「馬蝗絆」を大切に保管してきたその姿をみただけで、
この箱に大切に仕舞われてきたのか、と感慨深いものがじわりしてきます。
*青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 中国・龍泉窯 南宋13世紀
その隣には、
その茶碗をめぐっての伝承記が公開されました。
「馬蝗絆茶甌記」(ばこうはんさおうき) 伊藤東涯(1670〜1736)筆
享保12年 1727年
この記録によると、足利義政からお抱え医師吉田宗臨に下賜されたとあり、
宗臨は安土桃山時代に土木で財をなした角倉了以の曾祖父にあたり、
江戸時代にはこの椀が角倉家にあったことが伝わる。
(解説文より)
琳派の光悦の近くにもいた、角倉家、お家筋の凄さを垣間見たのでした。
*唐物肩衝茶入 銘 松山(しょうざん)
南宋〜元時代 13世紀
かつて上総大多喜藩主松平家に伝来した唐物茶入。文政12年(1829)の江戸大火で
被災し、大破したが、のちに漆で忠実に復元がなされた。
その伝来が付属する中箱に記されている。(解説文)
茶入れの修復の強烈なエピソードがあるのは
静嘉堂文庫美術館所蔵の「九十九髪(付喪)茄子 茶入」
足利義満からの伝来があり、信長に献上されたのち、
大坂夏の陣で罹災したこの茶入れを家康の命で修復した藤重藤元、藤巌父子が
漆で見事に繕ったことで藤元の手に渡り、
のち、藤重家に伝来したが、明治9年に岩崎弥之助に譲られた、という流転の茶入。
茶器の物語は一筋縄ではいかないらしい、と感慨深く思うのでした。
*竹茶杓 蒲生氏郷作 安土桃山時代16世紀
千利休の高弟、武将茶人と知られ、茶杓削りに手腕を見せたと伝えられる。
茶杓の櫂先に特色が有り、武人らしい気迫がうかがわれる。(解説文)
トーハクHPでは
まれにみる激しい気風の作で、これほど激しい個性を感じさせる茶杓も珍しい、
と解説されていました。
*重文 一重口水指 銘 柴庵
信楽 安土桃山時代 16世紀
長石粒を多く含む信楽独特の粘土で単純な姿ながら、
荘重な趣が備わり、黒褐色の流れと大きなヒビ割れが強い個性美を
加えている。底の中央に表千家4代、江岑宗左が「柴庵(花押)」と
黒漆で書き付けている。(解説文)
絵図も描かれ、大切に保管すべき、責任もひたひたと感じるけれど、
それ以上にこの柴庵への執着、愛情が勝っているようでした。
*円城寺霰釜
芦屋 室町時代15~16世紀
撫で肩のふっくらとした形で口造りは姥口、土筆形鐶付をつけている。
肩に「園」「城」「寺」の文字と唐草文を薄肉に鋳出し、胴は全面に
細かく先が丸みを帯びた霰地としている。松江藩主、松平不昧治郷の
愛蔵品であった。(解説文)
*砂張建水 棒先建水
中国 明時代 15〜16世紀
砂張とは、銅を主とし錫を含む合金のことで、亜鉛、鉛なども小量含む。
建水には金属、陶磁、木、竹工品なあるが、砂張のものは特に人気が高く、
珍重される。外箱には不昧筆の文字がみられる。(解説文)
棒先とは、その形が担い棒の先につけられた金具に似ているともいわれ、
既に室町時代から棒先は建水の代表だとして評価されていた。(HP解説)
*瓢花生
江戸時代17世紀
瓢箪を掛花入としたもので、背面には鐶が付く。その下には千宗旦の朱漆による
書付で千利休作として知られていた「子狐」という瓢花入に似たものであったことが
記される。箱書から仰木魯堂(おうぎろどう)から原三渓、のちに広田不弧斎松繁に
伝わったものとわかる。不弧斎自筆の書付も添う。(解説文)
*青磁杯
中国 南宋〜元時代 13〜14世紀
黒い貫入が目を引く、いわゆる哥窯(*注)タイプの杯。
薄作で、口縁は紙のように鋭利である。胎は黒く、一部表面が赤く染まっている。
内箱ふた表に「富士盃」ふた裏に「伏せた形は富士山の如く、持手は宝永山」
と不弧斎による箱書がある。
*注:哥窯:中国の青磁の一種で、窯もさすが、今日では米色青磁の一種で貫入が
荒々しく入った淡い黄白色を呈したものをいい、器形は砧青磁と相等しく、
南宋、元の様式を示す(やきもの事典 平凡社より)
*彫唐津茶碗 銘 巌(いわお)
唐津 安土桃山時代 16〜17世紀
唐津の中でも初期の作と推測される茶碗。唐津独特のX形の強い彫文が目を引く。
広田と古くから交友があった、画家の安田靫彦の旧蔵品で内箱蓋裏に墨書で
「彦(印)」が記される。外箱には不弧斎の箱書があり、広田自ら誂えたもの。
(解説文)
*志野茶碗 銘 橋姫
安土桃山時代 16~17世紀
美濃(岐阜県土岐市、可児市)で作られた志野のなかでも早い時期の者とみられる茶碗。
大振りの筒形で堂々とした作風を示す。
近代茶人で実業家でもあった、松永耳庵安左ェ門の旧蔵品。
松永自らが箱の蓋裏に「為朝」を追銘している。(解説文)
*銹絵十体和歌短冊皿 乾山「八十一歳乾山」銹絵銘
乾山 江戸時代寛保3年(1743)
長方形の形、青と紫の絵具による藍と紫の雲紙仕立てと短冊として見立てた皿。
見込みに和歌、裏面にはその歌が和歌の様式の何に属するかを記す。
和歌の十体と「乾山深省 八十一歳」の文字が墨書きされた共箱に
収まり、伝わっている。(解説文)
*色絵月に蟷螂文茶碗
永楽保全作 江戸時代19世紀
永楽保全は京焼の江戸後期を代表する名工。保全が得意とした色絵の
この茶碗は、共箱の蓋裏に「仁清写 茶碗」と保全自らが記しており、
仁清の茶碗を本歌としたものとわかる。また、蓋裏の筆からは
爛熟した作品の多い隠居後の作であることがうかがわれる。
*色絵桜樹図透鉢
仁阿弥道八作 江戸時代19世紀
江戸後期の京焼の名工、仁阿弥道八の作。鉢の内外に白泥と赤彩で満開の桜樹を
表し、巧みに配された透かしとで、桜の空間を作り出す。底裏に銹絵で
「道八」の銘を記し、道八の共箱、晩年に用いられた法螺貝印を押した
包裂とともに伝わる。
*七宝山水楼閣文香炉
並河靖之作 大正元年(1912)
並河靖之は明治時代に革新的な展開を遂げた日本七宝をリードした、
近代七宝作家の代表のひとり。端正な三つ足の香炉にふさわしく
楼閣山水の静かなたたずまいが、ぼかしを交えて、巧みに表現される。
箱の蓋裏に大正元年に博物館へ寄贈したと自らが記す。共箱が添う。
*飛青磁大瓶
三代清風与平作 大正元年(1912)
陶磁で最初に帝国技芸員となった、三代清風与平(せいふうよへい)は
作陶の基盤を中国陶磁研究に置いた。与平が「秘色磁花瓶」と呼ぶ
この大瓶は、中国龍泉窯の飛青磁に発想を得たもの。
大正元年に自ら博物館へ寄贈し、箱の蓋裏に名前を記した共箱をともなう。
展示会場内の写真画像解説を正確に書写できない点もあったとは思いますが、
ともかく、茶器の管理の素晴らしさ、愛情もって保管し、大切に次世代へと
バトンを渡してきたこと、茶人の業の凄味さえ、感じられる展示でした。
ただ単純に、箱、布、紙、札、墨書、印、それらの美しさにも当然降参なのでした。
展示作品数が19点ではあっても、大変充実感のある作品群でした。
年初から、素敵な良いものを拝見できた喜びを胸に、
「博物館で初もうで」会場へと移動したのでした。