XT250 3y5と私・・・私と家族

昔、私の青春であったXT250そして子供たち
そして新たな家族に・・・スーパーカブ90のチビちゃんが来ました。

買い物バック

2009年04月08日 | 夢…思い出
昨夜仕事から帰ってみると、テーブルの上に真新しい買い物用バックが2つ…(-_-#)長男いわく、スーパーでもらう袋が有料になったからと祖母が使いなさいと買ってくれた…
世の風潮か地球人としての使命からかついにわが家にも…その話を聞きながら今スーパーで5円出して買ってきた袋を丸めてゴミ箱にポィ!と捨てる???
子達の怪訝な顔?
話は長くなります…私が生きた街、長男や次男が生まれた街その街には今でも私のすべてがあります。
甘美な思いで、つらく悲しい思いで喜怒哀楽、四苦八苦など…2歳から39歳までの私の全てがあります。消して消えないし消すつもりの全く無いすべてが。
私に物心がついた最初の日、下駄箱横ではガッタン、ガッタンと動いていました、私たち悪童はその横でベッタン(メンコ)やコマ回しをして大きくなって行きます。彼女を初めて連れてきた日も機械はガッタン、ガッタンと動いていました。夜中におやじさんが苦虫を噛み潰したような顔をして流れる汗を拭おうともせず、止まってしまった機械にとりついていたのも覚えています。私たち悪童は二階の部屋で麻雀をしていました。
友人の姉さんが大学に受かった時、世間の景気は少しずつ好くなり機械はいつもの3倍の速さで楽しそうにガンガンガン!と動いていました。速く動かすにつれ機械が止まる率も増え、だいぶん白のふえてきたおやじさんは「止まるなよ!」と機械に祈るように話かけていました。出来上がった製品を梱包するため、友人をはじめ家族や私たち悪童も、祈るしかありませんでした「頼むぞ止まるなよ!」みんなの祈りが通じ無事に姉さんは大学に通えました。
この町の人々はほとんどの家が家業として家内工業を営んでいました、我が町内はスーパーのレジ袋とスリッパのかかと張り…一つ1円の何10分の1…それでも家業として作り続け大手に下ろし、泣き、笑い、頭のある子は学校にいかし、頭のない我が友人は麻雀の負けを私に払い…(笑) 景気に一挙一動し大手に買いたたかれ、それでも命がけで生きてきた…懐かしい親父達、愛すべき母親達。
その横腹の温もりの中で成長できた私達は幸せでした。
私は家族に強制はしません…地球環境の為にレジ袋を拒否し他の人々と平和に共存していくのは良いことでしょうから、でも私は別です、きっと生きてる以上今日のように無駄使いをして捨てるでしょう。そこに今でも住み続ける友人A君.B君.C君.D君やその子供達の幸せを祈って
少しセンチになったかな。

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