フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

"ポーランドの親戚が遊びに来ていて"

2008-12-07 23:39:49 | research
ウィーン続きというわけではないけれど。

ウィーンで外国人と言えば出稼ぎ労働者であったり、当時は東欧と言われていた地域からの人々であったりしたわけだが、しかしそれ以外のオーストリア人が均一的かと言ったら全然そんなことはない。

第1、かつてのハプスブルグ帝国の時代からの多民族国家として遺産が残っていて、電話帳を見れば、ドイツ語以外のさまざまな名字が溢れている。それだけでなく、ちょっと話をすると、先週からポーランドの親戚が遊びに来ていて、などといった複雑な家族・親戚関係が仄聞されることになる。

しかし、だからといってその人がポーランド人であるとか、オーストリア人ではないとか、そういう話にはならない。そして市民権を持っている、持っていないということですら、じつは大した問題にはならない。

つまり、言いたいのは、ヨーロッパでは歴史的に純粋な国民とか民族といった概念は成立せず、さまざまな出自が織り込まれて社会が成り立っているということなのだ。

こんな当たり前のことをわざわざ書いたのは、最近、日本の接触場面について考えている際に「在日」の問題をどうとらえるべきか悩むことがあったからだ。

調べれば調べるほど帰国事業など不条理としか言いようのない歴史が見えてくるし、「在日」のさまざまな背景の違いから自分たちの呼び方も複雑であるような事情も見えてくる。そして「日本人」側の相も変わらぬ敵意もまた無視できない。

しかし、ぼくが思うに、そうした複雑さも含めて日本にともに暮らす仲間にはなれないだろうか。もし日本が土着思想を整理して、開かれた市民社会を保証することに成功すれば、こうしたことは驚くほど容易に実現するのではないだろうか。ちょうど、ウィーン人が先週の親戚の訪問を話すように、在日の人もあっけらかんと「先週から釜山の親戚が遊びに来ていて」と言える日がくるのではないか。

そんなことを夢見ている師走ではある。
コメント
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