フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

異文化に入るその深さについて

2008-07-27 11:37:11 | Busan finally
大会も終了。皆、発表も終わり、あとは打ち上げとなる。

3月までの授業科研のグループの横須賀さん、田中さんも合流して、鳥料理(プルタク)に出かける。若い人向けのレストランだったが、数年前から流行っている料理だそうで、その料理を開発したお店の本店なのだ。社長自ら、テーブルの大きな丸い鉄鍋の上で唐辛子漬けの鳥のもも肉を焼き、真っ赤な唐辛子のルーを混ぜていく。暑い中で辛い鳥料理を食べて汗を流すのが流行っているのだそうで、たしかに立派な辛さ。なかなか楽しいし旨い。

ホテルに早めにもどって、ホテルの地下にあるジムジルバンに行く。これはいくつかの低温サウナに入れる休憩どころ。薄暗いところで、竹のゴザを敷いてある部屋に入って横になる。ボイラーの中を湯が通っているようなゴボンゴボンという音がときどき聞こえる。人もほとんどいないので目を閉じて静かに汗が出てくるのを待つ。韓国人の楽しみの一つなのだろうけど、ガイドの金さんも、仙人のおじいさんも、静かに竹のゴザの上に横たわるのだろうか。だとしたらこれは活力を回復させるために胎内に戻る古い方法なのかもしれない。

翌朝は、1日だけ戻るのを延ばした同僚のMさんと別れて、学生3人と金海空港に向かう。

タクシーの運転手は昨日の仙人とは対照的で、一言も話さず、静かな道中となった。おかげで昨日のプルタクを食べながら話したことを思い出した。どんなきっかけでだれが話したか思い出せないけれど、異文化に暮らすときにどこまでその文化に深く入っていくのかといったことだったと思う。

5年韓国に暮らした学生さんの様子を見ていると、韓国とそこの人々に対する共感がとても強く伝わってくる。どんなかたちでも異文化に暮らすことは出来るが、好悪を含みながらその国の人々に深い気持ちを持つことができたら、きっとその土地に足をつけたことになるにちがいない。

自分の中にその文化が思いの外、根を下ろしていることに気づいて驚くこともあるだろう。しかも、それはその国の人間になることでは全然ない。自分というものの複雑な定義の問題なのだ。

接触場面研究の質もまた、対象となる文化や人にどれだけ入っているかによってその浅い深いが決まってくるはずだ....深く強い感情を持てば持つほど、分析は深くまで届き、説明も重層的になっていく....。

ともあれ、しばらく釜山ともお別れだ。写真は慶州仏国寺のターコイズブルー。(Busan finally 了)
コメント
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