フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

蕎麦屋そのほか

2008-07-06 23:43:12 | Weblog
今日は娘といきつけの蕎麦屋でお昼ご飯。この蕎麦屋、道路の角にあって決して良い場所ではないのだけど、威勢の良いおばちゃんとその家族が美味しい蕎麦を食べさせてくれるので、もう10年近く通っている。だから、今日も横開きのドアをガラガラと開けて「いらっしゃい!」と言われたけど、次のおばちゃんの言葉は「え?今日は二人?」だった。表情は何かこちらに問題が起きたのかという少し曇った感じだったので、今日は奥さんは仕事に出かけたんです、なんて必要もない弁明をしなくてはならなかった。蕎麦の味はまったく変わらず美味い。娘と二人だけで来たのはもうずいぶん前のことだ。やはり同じような状況で、二人で出かけたのだが、その頃、娘は4歳か5歳だった。食べ終わっていざお金を払おうと思ったら財布を忘れていることに気が付いた。あわてて、娘を蕎麦屋に質に入れて、家まで財布を取りに行ったっけ。どうかこの蕎麦屋もおばちゃんも変わらず、蕎麦屋とわが家の歴史が続きますように。

お昼の後は、少し娘のピアノ練習をしばらくぶりに見る。バッハのインベンション8番。この春に先生が替わり、一緒についていかなくなったので、どんな状態なのかわからなくなっているのだ。それにしても7年間、毎週ピアノのレッスンには娘を連れて通ったものだ。普段はちょろっとやってすぐに練習をやめてしまうところを、無理矢理繰り返させて、どこが課題でどんな練習をしたらよいか相談しながらやるとすぐ1時間近く経ってしまう。だんだん出来るところが増えていったので、本人も飽きずに続けられた。めでたしめでたし。

それからしばらく8月のモナシュで発表する中国朝鮮族のコードスイッチング論文の作業。同僚の先生との共同発表で、じつはその先生の書きかけの論文にぼくがのった形なのだ。少しずつその先生のアイディアがわかってくる。夜になって、ひとまず2つの留意を分けてみようと思い立つ。つまり、言語レパートリーにないことから外来性が生じ、逸脱を留意する場合と、言語レパートリーにあるものからある意図や効果を伝えるために言語機能や表現を選択するときに場面からのインプットを留意する場合だ。前者は接触場面でよく起こり、後者は内的場面でも接触場面でも起こるものと言える。
コメント
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