礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新潮社と「ひとのみち」教団

2018-09-27 01:26:32 | コラムと名言

◎新潮社と「ひとのみち」教団
 
 松下芳男の『軍政改革論』(「民衆政治講座」第二二巻、青雲閣書房、一九二八)を紹介している途中だが、いったん話題を変える。
『新潮45』休刊のニュースにともなって、新潮社という出版社に対する関心が高まっている。新潮社については、このブログでも、何度か言及したことがある。本日は、森達也さんと礫川との対談記録『宗教弾圧と国家の変容』(批評社、二〇一五)から、礫川が「新潮社」について述べている部分を抜いてみたい(一五八~一六〇ページ)。

礫川●週刊新潮というのは、いつも独特のスタンスで、報道してきたという印象があります。新潮社の創業者である佐藤義亮【ぎりよう】という人は、先ほどから何度も名前が出てきた「ひとのみち教団」の信者です。信者どころか、相当の幹部ですよ。弾圧を受けるまで、ひとのみち教団が出していた広報誌『ひとのみち』の裏表紙には、毎号、新潮社が出していた総合雑誌『日の出』の全面広告が載っていました。
 ひとのみち教団に対する弾圧は、新潮社にまでは及ばなかったようで、佐藤義亮は、ひとのみち教団が弾圧された後も、何事もなかったように『日の出』を出し続けて、戦後にいたります。ちなみに、『日の出』は戦後間もなく、廃刊しました。
 新潮社には、作家たちから「神様」として恐れられた齋藤十一【じゆういち】という編集者がいましたが、この人も、ひとのみちの信者で、その縁で新潮社にはいったと言われています。
 昭和初期の新潮社というのは、要するにひとのみち教団の別動団体だと見てもいいのではないかとすら、私は思っています。
 そういう経緯があるからかどうかは知りませんが、どうも新潮社というところは、創価学会という宗教団体に対しては敵対的ですね。
 ひとのみちは、中流上層を狙って布教していたのですね。それに対して、創価学会は、これは戦後のことを念頭において言いますと、中流下層を狙って布教していくわけですね。だから、性格的には合わないわけです。系譜としては、ひとのみちは、教派神道系で、創価学会は、日蓮正宗系です。国家観も違います。
 ひとのみちは、教育勅語を教典に採用するなど、反国家的な色彩はまったくなかったのですが、それでも、国家権力は、その存在を許さなかったのです。ひとのみち教団と強い結びつきを持っていた新潮社は、ひとのみち教団が弾圧されたあとも存続しますが、ひとのみち弾圧時のトラウマは、その後の社風の一部になったのではないでしょうか。
 今日、週刊新潮が、国家権力あるいは皇室に対してとっているスタンスは、どこか醒めたものがありますが、おそらくそのあたりは、新潮社の社風を反映しているのかもしれません。
 私は、新潮社というのは、ある意味で、権力の恐ろしさというものを、よくわかっている出版社ではないかと見ています。

 あと数回、この話題を続け、そのあと、『軍政改革論』の紹介に戻りたい。

*このブログの人気記事 2018・9・27(10位は久しぶりのランクイン)

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