礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

青木茂雄氏評『独学の冒険』

2015-11-29 17:05:07 | コラムと名言

◎青木茂雄氏評『独学の冒険』

 本日は、ブログを更新しない予定でしたが、所用が終わり、時間がとれましたので更新します。
 以下は、拙著『独学の冒険』(二〇一五年一一月刊)に対して、昨日未明、青木茂雄氏からいただいた書評です。

『独学の冒険』を読んで  青木茂雄

 礫川全次著『独学の冒険』を面白く読んだ。柳田国男・家永三郎・千葉徳爾・佐藤忠男という、内容も手法も社会的位置もそれぞれに異なった人物を「独学」という枠でくくろうというのが、ユニークである。筋金入りの「在野研究者」の礫川氏にして初めて可能となった仕事である。
 とくに著者が私淑したという千葉徳爾の着眼点のユニークさについては、単に「人がやらないことをやる」という流儀以上に、自分自身のオリジナルな経験のユニークさによるものであろうか。礫川歴史民俗学の原点を見る思いである。
 また、「独学」というフィルターを通すと、研究の対象が無原則とも言えるほど多岐にわたる家永歴史学の神髄も見えてくるであろうか。
 吉本隆明を「在野の独学者」と見る視点もまた面白い。吉本の信奉者からすれば異論が出るところであろう。何しろ彼は「思想家中の思想家」であって、思想家は野にあっても決して「在野」ではないからだ。
 最後にわたしの考えだが、学問とはすべて独学によるものであり、およそ独学でなければ学問ではない。アカデミズムとは、そもそも「在野」のものなのだ。アカデミズムが「官学」と同視され、或いは同視したところが日本の学問の不幸ではないのか。それはこの国の《知》の在り方にも由来するものなのかもしれない。

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