◎巣鴨プリズン13号扉に書かれている文字
昨日の東京新聞朝刊の一面トップの見出しは、「巣鴨プリズン象徴 現存/刑場入り口 13号扉」であった。
リードは、次の通り。
第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が戦犯を収容し、東条英機元首相らA級戦犯七人の死刑が執行された巣鴨プリズン(東京都豊島区)の「13号扉」が法務省の施設で保管されていることが十日、分かった。刑場への入り口だったとされる13号扉は、巣鴨プリズンの象徴的な存在で、法務省は「貴重な歴史的史料。今後の保管や公開の在り方について、検討を進めたい」としている。
記事には、カラー写真が付いている。真赤に錆びた鋼鉄の扉の表面に、かすかに「13」という数字が読みとれる。塩田道夫氏の『天皇と東条英機の苦悩』(三笠書房、一九八九)は、この鉄扉のことを、「13号A鉄扉」と呼んでいる。この写真を見る限りでは、「A」という文字はない。
念のため、『大東亜戦争と国際裁判』のDVDを引っぱり出し、最後の部分を見てみた。もちろん、これは実写ではないが、扉には、白のペンキで明瞭に「13A」と書かれていた。
もう一度、東京新聞の写真を見てみると、「13」という数字のすぐ上に、四角く塗られているところがあり、その中央に、「A」という文字があるようにも見える。東京新聞をお持ちの方は、確認をお願いしたい。
再度、東京新聞記事を引用する。
13号扉は鉄製で、縦約二百十センチ、横約百三十センチ。保存のため、後で取り付けたとみられる木枠で四辺が覆われている。当時、刑が執行される死刑囚は、刑場につながるこの扉から入り、執行後に別の扉から遺体が搬出されたとされる。
関係者によると、13号扉は建物解体後、跡地を再開発した「新都市開発センター」(現サンシャインシティ)が法務省に寄付。一九八二年から昨年まで、東京都府中市にあった矯正研修所で保管されていた。
これによれば、13号室には、もうひとつ「別の扉」があったという。東京新聞写真で、係員の左側に見える扉がそれであろう。この扉は、ウラ面を見せる形で、壁に立て掛けられている。その表面には、「13」という数字と、「B」という文字があると私は推測している。
※付記(記事訂正) 上記の記事に訂正の必要が生じました。河出書房新社の『図説 東京裁判』を見ていたところ、その132ページに13号扉の写真が載っていました。13という数字の上に四角いマスがあり、「バツ」が描かれています。「A」ではありませんでした。以上、訂正と補足でした。コメント欄で訂正済みですが(2021/09/24)、念のため、ここに付記しておきます(2021/12/26)。