礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

教室に現れた大野晋は若い盛りであった

2024-01-05 00:25:50 | コラムと名言

◎教室に現れた大野晋は若い盛りであった

 田中克彦さんの『ことばは国家を超える』(ちくま新書、2021)を紹介している。
 本日は、その二回目で、第四章の「Ⅰ」から、大野晋との出会いについて語っている部分を紹介してみたい。

日本での日本語起源ブーム
 戦後一〇年ほどの間、日本の出版界では、日本人の、日本文化の、そして日本語の起源についての著作が相次いで現れ、それぞれが大きな話題となった。日本人が圧倒的なアメリカの軍事力に威圧された状態から、やっと日本文化がもつ固有の価値に目ざめはじめた頃だ。私の世代はこのような雰囲気のまっただなかで育った。当時、このような雰囲気の中で話題になったのは安田徳太郎の『人間の歴史』(一九五一年)、『万葉集の謎』(一九五五年)であり、次に大野晋さんの『日本語の起源』(一九五七年)が現れて、問題が具体的な形をとった。
 私が東京外語に入ってモンゴル語の勉強をはじめたのが一九五三年だったから、たぶん、四年生のときに現れたこの本を待ちかまえていたかのように読み、他に言語学に興味をもったフランス語、ドイツ語などの学生何人かと相談して、大野さんに来てもらって授業を聞こうじゃないかということになった。私がぐずぐずしている間に、その中の一人がいつの間にか、大野さんのところに行って直々に話をつけ、教務課と交渉して実現してしまった。
 私がなぜぐずぐずしていたかと言えば、大野さんは学習院という家柄もよくお金もある学生たちを教えている人だから、貧しい外語の学生たちの希望をどう伝えたものか、ちょっと工夫がいるぞと考えていたからだ。当時、東京外語というところは、よくもまあ、こんなに貧しい学生だけを選んで集めたものだと思われるような貧民収容所のような観を呈していた。建物も火薬庫の廃屋に馬小舎がついたようなふぜいだった。
 なぜそうなったのか。かつて、お堀端にあった外語の校舎は、東京への爆撃がはじまった頃、これでは宮中から炎上する様が丸見えになるのでおそれ多い、と考えて、とりこわしたのだそうだ。それ以来さえない隔離病院とか、そんなところを転々としていたということである。教室は雨の日は必ず天井から雨漏りするので、その場所に雨受け用に持って行くために、各教室には洗面器が一〇個くらいづつ常備されていたという話である。
つけ加えておきたいのは、貧しいけれども学生たちは志高く意気盛んだったことだ。学生寮では、学生たちが夜、空腹をがまんするために、五円ずつ金を出し合って、そばの玉を買ってきて裸のニクロム線の露出した「電気コンロ」の上で、ナベに入れて醤油をかけ、三人で分けて食べていたものだ。
大野晋という人
 だが現れた大野さんは、学生食堂でご飯だけとって一五円で食事をすませてしまう方法などについて語ってくれる、貧乏学生のふところぐあいをよく知っている人でもあった。しかし大野さんが話した、一五円で皿に盛っただけのごはんを食べるという技術は、期待はずれだった。塩をふりかけたり、ソースやしょう油をかけて食べるという、誰でもやっていることだった。けれども学生たちは、先生の努力に敬意を払って、おとなしく聞いたのである。
 教室に現れた大野晋はちょうど四〇歳くらいで、若い盛りであった。その、人類学や民族学にまで広く関心を示した勉強ぶりから、小柄で痩せてはいるが、いまがあぶらの乗り切った盛りの人だという感じがした。【以下略】〈145~147ページ〉

 田中克彦さんは、1953年(昭和28)に東京外国語大学に入学したという。だとすれば、卒業は、1957年3月である。大野晋が、東京外国語大学に出講したのが何年度のことだったかは不明だが、仮に田中さんが四年生のときだったとすると、それは1956年度ということになる。
 大野晋『日本語の起源』の旧版が刊行されたのは、1957年9月17日である(大野は、同書を「一九五七年の夏休み一カ月で書き上げた」と言っている。『日本語の源流を求めて』265ページ)。『日本語の起源』旧版が刊行されたのは、田中さんが東京外語を卒業されたあとと考えるのが妥当だろう。
 田中さんら東京外語の学生が、「大野さんに来てもらって授業を聞こう」と考えたのは、大野晋『上代仮名遣の研究』(岩波書店、1953)などの業績に着目したゆえではなかったのか。このあたり、ちくま新書編集部による事前のチェックがあってしかるべきだったと思う。
 それはともかくとして、本日、引用した箇所から、大野晋と田中克彦さんとの出会いは、田中さんの学生時代にまで遡るということがわかるのである。

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