◎2024年が「希望」の年であることを祈る
2023年元旦のブログで私は、内村鑑三の次の言葉を引用した。
国民の精神の失せた時にその国はすでに亡びたのである、民に相愛の心なく、人々互に相〈アイ〉猜疑し、同胞の成功を見て怒り、その失敗と堕落とを聞いて喜び、われ一人の幸福をのみおもうて他人の安否をかへりみず、富者は貧者を救はんとせず、官吏と商人とは相結托してつみなき援助【たすけ】なき農夫、職工等の膏【あぶら】をしぼるに至つては、その憲法は如何に立派でも、その軍備は如何に完全して居ても、その大臣は如何に智い〈サトイ〉人達であつても、その教育は如何に高尚でも、かくの如き国民はすでに亡国の民であつて、ただわづかに国家の形骸を存して居るまでである、……
これは、内村鑑三の「すでに亡国の民たり」という文章の一部である。この文章は、1901年(明治34)5月に発表されたものだという。
その日のブログの最後に私は、〝年頭にあたり、今年二〇二三年が「希望」の年であることを祈りたい〟と書いた。ところが、2023年は、近来まれにみる波乱の一年となった。
「富者は貧者を救はんとせず、官吏と商人とは相結托してつみなき援助なき農夫、職工等の膏をしぼる」という情況が現出した一年となってしまった。まさに、内村鑑三のいう「国民の精神の失せた」一年ではなかったか。
年頭にあたり、今年2024年こそは、「希望」の年であることを祈る。
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