◎殷王朝は王権がその頂点に達したとき突如として崩壊
2013年の1月2日のブログに私は、「殷王朝の崩壊と大日本帝国の崩壊(白川静の初期論文を読む)」という記事を載せた。
この記事では、白川静(しらかわ・しずか、1910~2006)が、『立命館文学』第62号(1948年1月)に載せた「卜辞の本質」という論文を紹介した。
白川静は、23ページに及ぶ論文の最後を、次のように締めくくっている。
殷の王朝は帝辛を最後の王として崩壊した。それは歴史時代の諸王朝の滅亡とは大いにその様相を異にしてゐたやうである。殷はその最末期において、王権の伸張その極に達してゐたと思はれる。第四期第五期の卜辞内容は、この期の王者がしきりに盛大な田猟を試み、あるひは遠く征師を起して諸方を征伐してゐるが、殷王朝の崩壊は実に王権がその頂点に達したとき突如として捲き起されたのであつた。それは社会史的政治史的に興味のある課題であるが、より多く精神史的興味を誘ふ。卜辞は単に貞卜行為の残滓〈ザンシ〉たるものでなく、そこには精神史的な意味が包まれてゐるのである。紂〔帝辛〕は周の武王との一戦に破れ、自ら焚死したと伝へられる。殷王朝の急激な瓦解は、古代的神政国家の終焉を意味するものであつた。卜辞において表象されてゐた現実的権威と宗教的権威との古代的統一の世界も、遥かな歴史の彼方に姿を消した。かくして新たに理性的国家、政治的国家としての周王朝が興起する。卜辞の表象する世界は、実に古代的神政国家、古代的帝王の存在性格そのものに外ならなかつたのである。 昭・二〇・五稿・昭二二・一一補
末尾に「昭・二〇・五稿・昭二二・一一補」とある。この間に、白川は、大日本帝国の崩壊を体験している。
大日本帝国はその最末期において、皇権の伸張その極に達していた。大日本帝国は、遠く征師を起して諸方を征伐したが、その崩壊は実に皇権がその頂点に達したとき突如として捲き起された。大日本帝国の急激な瓦解は、神政国家の終焉を意味するものであった。現実的権威と宗教的権威の統一体としての大日本帝国は、遥かな歴史の彼方に姿を消した。
想像するに、この「最後の段落」は、戦後における補訂の際に、付け加えられたのではないか。そうすることで白川は、殷王朝の崩壊と大日本帝国の崩壊とをダブらせたのではないか。
以上は、2013年1月2日に書いた記事の「簡約版」である。詳しくは、同日のブログを参照されたい。
本年になって、この記事を思い出したのは、昨2023年、日本の政界において、殷王朝の崩壊、大日本帝国の崩壊に比すべき事象が観察されたからである。――いわゆる「アベ派」は、勢力がその頂点に達したとき、突如として崩壊したのであった。
今日の名言 2024・1・2
◎殷鑑遠からず
故事成語で、「いましめは、すぐ近くにある」の意。殷国にとって、いましめとなるのは、前代である夏国の滅亡である。目前における他人の失敗は、みずからのいましめとしなければならない。
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