礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

われわれは貧しい日本の敗戦国民だが……

2024-01-03 02:10:04 | コラムと名言

◎われわれは貧しい日本の敗戦国民だが……

 2021年1月3日のブログに私は、「毎夜安眠できただけでも感謝のかぎりだ(石川武美)」という記事を載せた。
 その年は、元旦から、『主婦之友』第三〇巻第四号(一九四六年四月)に載っていた石川武美のエッセイ「陽気な生活」を紹介しており、3日は、その三回目(最後)にあたっていた。
 その日、紹介した部分を、再度、紹介してみたい。ただし、今回は、その日に引用した部分よりは、少しあとのところからの引用となる。
 
 〝感謝は感謝を呼ぶ〟といふ。〝感謝は奇蹟の母〟ともいふ。五つのパンと二つの魚で、数千人を食べあかせた、イエスの奇蹟の物語かある。弟子が用意した弁当であらう。この弁当のほか手許【てもと】に食べるものはなかつた。数千の聴衆をこのまま帰らせては可哀さうだ。途中でひもじいだらう。イエスにはそれが心配であつた。食べさせてやりたいが、せいぜい一人か二人分しかない。ほかの数千人はどうなる。その空腹を思ふと、じつとしてはをれぬ。一人でも二人でもいい。とにかく〝私の弁当を食べてゆきなさいよ〟と、傍【そば】にゐたものにイエスはわたした。お弁当よりもその情けを、貰つたものはよろこんだ。〝なんといふ御慈愛だらう〟と、感謝してうけた。この同情に感激したのは、もらつたものばかりでない。それをみて皆んなが感動した。そして、〝私も弁当がここにあつた〟といつて、隣の人に、〝どうぞおあがりください〟とわけた。この光景にうごかされて、あつちでもこつちでも、〝どうぞ〟〝どうぞ〟とわけ、〝ありがたう〟〝ありがたう〟とうけ、感謝は感謝の波をよび、みんなが腹も心もみたされて、食べ残りが籠【かご】にいくつもあつたといふ。
 実に美【うる】はしい話だ。五つのパンの物語は、人の世の奇蹟であるが、断じて奇術ではない。五つのパンにはじまつたが、愛の行為はいつの世でも、誰がやつても、かういふ驚くべき結果をうむ。今の世にもこの奇蹟はある。われわれの身辺にないといふのは、あまりに自分のことばかりに執着【しふぢやく】して、ひとを思ひ人に尽すことがないからだ。奇蹟はもとめぬが、わがなしうる愛の行為は、なさねばならぬ。物資の不足もさることながら、さらに不足してゐるのは、ひとを思ふ心である。この心さへあれば、敗戦国ながらもゆたかな生活が、できるにちがひない。
 わづか五つのパンでも、〝ひもじい目をさせては可哀【かはい】さうだ〟といふ同情心を添へると、数千倍のはたらきをした。われわれは貧しい日本の敗戦国民だが、五つのパンにまさるものをもつ。ただそれに添へる心をもたぬのだ。信仰をはなれても、この物語の意義はふかい。理窟なしにやつてみればわかる。一度でもやつてみることだ。人の情けに飢ゑたこのごろは、心のうるほひは大きいはすだ。このうるほひが、ものを育てる力だ。この世を明るくする素【もと】だ。  (一九四六年、一月廿五日、石川武美)

 近年、しばしば、「失われた30年」という言葉を聞く。もちろん、「日本」の話である。そして、昨2023年は、「失われた30年」を象徴するような事象・事件が、続々とあらわれた年だった。
 今日、私たち日本国民は、敗戦後の「原点」に立ちかえる必要があるのかもしれない。「貧しい敗戦国民」を自覚した、あの「原点」に。――そんなことを考えて、78年前の石川武美のエッセイを再掲した次第である。

今日の名言 2024・1・3

◎奇蹟はもとめぬが、わがなしうる愛の行為は、なさねばならぬ

 石川武美(いしかわ・たけよし、1887~1961)の言葉。上記コラム参照。石川武美は、主婦之友社(現在の主婦の友社)の創業者として知られる。会衆派教会の海老名弾正から洗礼を受けたクリスチャンであった。

*このブログの人気記事 2024・1・3(8位の三文字正平は久しぶり、10位に極めて珍しいものが)

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