礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

敗戦の日の李香蘭

2014-09-15 04:07:44 | コラムと名言

◎敗戦の日の李香蘭

 今月九日に、歌手・女優にして政治家の山口淑子〈ヨシコ〉さんが亡くなったという。これが報じられたのは、たしか昨日のことだったと思う。
 たまたま、『人物往来』の一九五六年二月号(通巻第五〇号)を手にしたところ、島田勝巳(敗戦時は上海陸軍部報道部長)の「運命の歌姫・李香蘭」という文章があった。
 かなり長い文章だが、「かくて山口淑子誕生す」の節のみ、紹介してみたい。
 島田によれば、当時、李香蘭〈リ・コウラン〉は、上海にいた。華中電影公司に籍をおきながら、上海陸軍部報道部に協力していたという。

 かくて山口淑子誕生す
 遂に来た二十年八月十五日朝――私は公館のボーイを走らせて李香蘭の来訪を頼んだ。彼女の寄寓している川喜多〔長政〕氏の邸と私の公館とは、ものの三百米とは離れていなかった。その日も暑そうな陽差〈ヒザシ〉が前庭の大きな樹々の梢を透して、降るような蝉時雨が、部屋の静叙にしみこんでいた。私の居室に、小さな卓子をはさんで向い合った二人は、暫く黙っていたが、――
「李さん、日本は敗けました」
 と、私は一言ポツリと言った。それ以上を言うと、それまで抑えに抑えていた私の感情が、せぐりくる涙と共に奔騰して収拾の出来なくなるような気がしたのだ。
「残念でございますね。――お察しいたします」
 彼女の返す言葉も少い。正面をきっと見すえた顔が、心なしか血の色を失っている。恐らくいろいろな感情が、その胸の中を走り廻っていることであろう。
「李さん、本当に長い間、随分いやなこともあったでしようが、よく協力して下さいました。にも拘らずこんなことになって、まことに申訳もありません。米軍なり、重慶なりが、どんな形で進駐して来るか判りませんが私達軍人が一番最初に武装を解除され、監禁されることは必至でしよう。私の一番気にかかるのは、折角貴女のお父さんにお約束した貴女の保護をする何の力も、私になくなってしまうことです。もしも貴女の身に間違いでもあった時には、私はお詫びする言葉もありません。しかも私にそれを許される時間は迫っています。貴女の決心によって、陸軍部長にも依頼して、出来るだけの手を打ちましよう」
 私は無量の感慨をこめて言った。彼女はヂッと面〈オモテ〉を伏せていたが、やがて、
「部長さん、私はどうしたらよいとお思いになります?」
「昨夜も寝ずにいろいろと考えたのですが、いま貴女の採るべき道は二つしかないと思う。一つはこの機会に日本人であることを表明して、誰れが何んと言おうと押し通すこと、そして一居留民として内地に帰還すること、今一つは李香蘭は完全な中国人となって中国人の中に暫く潜入することです。貴女を日本人と知っているのは、まだ中国人では一部の人ですし、貴女の人気をもってすれば必ず身をもって庇ってくれる人もいましよう。重慶の漢好狩りさえしばらくほとぽりをさませば大丈夫でしよう。そのうちにまた情勢も変ってくるでしよう」
「よくわかりました。私は日本人、山口淑子に帰ります。今まで李香蘭などと中国名を名乗っていたのが間違いかもしれませんわ」
 しばらく沈思していた彼女の口から、きっぱりとこの言葉を聞いた時、私はなぜかホッとした。彼女の日本人としての自覚と、事態の判断を誤らぬ聡明に対して、心から嬉しい気持がした。
「ありがとう李さん。それでは私はこれから貴女が日本人としての身の振り方に遺憾のないように出来るだけの手を打ちましよう。しかし、今後貴女とお逢いすることは、却ってつまらん誤解を生む種にならないいとも限りませんから、私は全くの無関心を装います」
 と言って、ただ非常の際の連絡方法だけを打合せて別れることになった。
 木立の道を淋しそうに去って行く彼女の後姿を見送りながら、私の胸は詫びる気持で一ぱいだった。
 映画女優として彼女がこれまでに築きあげた名声も地位も、この朝をもって一朝の夢と消え去るのだ。そればかりではない、この一女性の身の上に今後どのような不安が起るかもわからないのである。満天下のフアンを魅了した季香蘭の、さびしい敗戦のこの朝が、山口淑子と言う女優の輝やかしい〃スター誕生〃の日となってくれたら、どんなに嬉しいことであろう。私はそれを念じるように何時までも見送っていた。

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