礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

椋鳩十、『山窩調』について語る

2014-05-04 05:53:44 | 日記

◎椋鳩十、『山窩調』について語る

 四月一三日からしばらく、椋鳩十〈ムク・ハトジュウ〉の『山窩調』〈サンカチョウ〉を取り上げてみた。その後、偶然、本村寿一郎氏の『聞き書き・椋鳩十のすべて』(明治図書、一八九三)という本を手にする機会があった。
 同書から、椋鳩十が『山窩調』について語っている部分を抜き出してみよう。

【聞き書き・23】山窩(さんか)調
 今回から十回ばかり、私の作品についての解説をしましょう。作者自身による作品解説もあってよいでしょうから……。
 児童文学ではないけど、散文では処女作の『山窩(か)調』からまず始めよう。これを書いた昭和の初期は、いわゆるカフェ小説がはやっていてネ。だらだらとした小説だ。そんなものを読んでいるうちに、もっと野性的なもの、もっと人間の本能に近いものをえがきたいという気持ちになった。
 当時は言論統制がそろそろ始まったころで、周囲が息苦しいような感じだった。そういうものにとらわれない、もっと自由な人間の生き方を、風のごとく、山から山へと渡り歩く山窩に託して書いた。それが一連の山窩もの――山窩調だ。それもカフェ小説のようにだらだらせず圧縮した文章で書いていったから、歯切れのいいものになったと思う。しかも、スペインの山の民バスク族と、いわば日本のジプシーともいえる山窩をいっしょにしたフィクションだ。バスクから山窩小説に入っていったのが大きな特色で、それだけバーバリズムが強調されている。
 自分のまわりに、雲のごとく自由な空気を得ようとすると、どうしても自分を抑える権力に抵抗を感じてくるんだネ。山窩調の中では『鷲の唄』で、人間といっていばっているやつが、鷲のために脳みそを割られる。
『盲目の春』のお春だったと思うが、身持ちが悪く、性病の女がいるネ。山窩の……。彼女は元気な間みんなから軽べつされているよ。だけどいよいよ死ぬ段になると、弱い者に対するあわれみというのかネ。みんなで落ち葉の床をつくってやる。それにやさしい言葉もかけてやる。そうすると、死にかけていた女が『ばか野郎』と、どなりつける。
 ここでは権力とか、みせかけとかに対する反逆的なものを表現した。要するに私は、不自由な時代を、風のごとく自由に、イデオロギーなんかにとらわれない生き方をしようと考えた。山窩調は私の青春であり、あの中には大正末期の自由主義の残がいみたいなもの、しいて名をつければ感情的自由主義ということになるか、それが入っていたのかもしれない。【以下は、次回】

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