礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

現代にタイムトラベルした必殺仕事人

2015-01-04 06:48:35 | コラムと名言

◎現代にタイムトラベルした必殺仕事人

 昨日、柏木隆法氏から個人通信「隆法窟日乗」が送られてきた。相変わらず、鋭い舌鋒(筆鋒)で世相を斬りまくるかと思うと、超人的な記憶力によって昔の出来事を再現されている。時節柄、嘆かわしい話題も多いが、私などは、何よりも氏の健筆に励まされる。
 以下に紹介するのは、昨年一二月三一日の通信(12月3日と表記されているが、たぶん誤入力)で、通しナンバーは268。

 隆法窟日乗(12月3日)
 元旦の思い出はないが(いつも寝正月だから)31日の思い出は山のようにある。いつも仕事の年越しですっきり仕事を片付けて年を越したことがないからだ。その中でもとんでもない年越しがあった。拙が大学を卒業して何年か経ってからである。拙は東京の高田馬場にいた。松竹の内海透プロデューサーから電話があり、確か27日の夜だった。直ぐに京都へ来てくれという。拙はその翌日、郷里に帰る予定でいた。すわ京都で何か起こったかと思いきや、正月2日に放映する『必殺仕事人』の特バンの撮影が全然遅れているという。こんなことはよくあることで冷静に対処すればどおってことはないのだが、内海が慌てていることに驚いた。内海は大映の『カンカン虫は歌う』で【七字分】俳優として芽が出ず、渡辺邦男の下でプロデューサーとして活躍した人物である。渡辺とかマキノ雅弘なんかは早撮りの名人として知られているが、決して乱雑に撮っているわけではない。出演者は脇役といえどもプロ中のプロばかり使い、段取りがいいために撮影が速いだけである。溝口健二や成瀬巳喜男、黒澤明なんかは撮影が遅いことで有名だったが、戦前にマキノプロや日活で鍛えられた監督は撮影前からアタマの中にプロットがしっかり出来上がっていて、スタッフも安心してついていけた。ところが放映5日前にして全然撮影が済んでいない現場は拙としては初めてであった。藤田まこと〔中村主水〕は香港へ行き、中条きよし〔三味線屋の勇次〕は九州でコンサート。いるのは簪のヒデ〔三田村邦彦〕だけで他の出演者のスケジュールの都合がつかない。おまけに床山の国久淑子が風邪で寝込んでしまい髪の係がいなくなっていた。拙が京都に着いたのは翌日の昼頃。国久の娘は拙の花園大学の同級生で美容学校をでているから代りが出来る。問題はセットであるが大道具は全員正月休み、こういうときはロケの許可もでない。つまり八方ふさがりであった。仕方がないので『必殺』をタイムトラベルで現代に蘇ったことにして、必殺を続けることになった。こうなると話は滅茶苦茶である。中条が31日に戻って来たので現代の職業をピアノの調律師ということにして、三味線の弦からピアノ線に変えることまではよかったが、藤田まことの職業が問題になった。刑事だと殺し屋にするわけにはいかず、結局、悪人を生きたまま逮捕するところでシナリオを変えた。何とも迫力のない必殺になってしまったが、撮影が終わったのは元旦の早朝であった。不眠不休で丸五日間で二時間ドラマを制作したのだから驚きだ。【後略】

 文中、【七字分】とある部分は、推敲途中、あるいは消し忘れと判断して、再現しなかった。
 さて、柏木隆法氏が関わった、この『必殺仕事人』の特番は、どういうタイトルのもので、いつ放送されたものだったのか。インターネットで調べてみると、どうも「(秘)必殺現代版 主水の子孫が京都に現われた 仕事人vs暴走族」(1982・12・31放映)が、それにあたるようだ。しかし、柏木さんは「正月2日」に放映したと書いておられるので、これとは別の特番だった可能性もある。いずれにせよ、なかなか聞けない番組制作の裏バナシではあった。

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