◎私を支持してくれる人は出てこなかった(山口幸洋)
昨日の話の続きである。
大野晋は、『日本語の源流を求めて』(岩波新書、2007)の258ページで、「一型アクセント化」という言葉を使っている。この言葉は、定型アクセントが無アクセントに変化することを指す。大野は、「一型アクセント」の存在を、「定型アクセントが、そのアクセントを失ったもの」として捉えていた。
こうした捉え方を、最初に提示したのは、国語学者の平山輝男であった。平山は、日本方言学会編『国語アクセントの話』(春陽堂書店、1943)に載せた論文「アクセント分布と一型アクセント」の中で、次のように述べた。
一型化の現象は異なるアクセントの接衝する時、相影響して型の混乱を生じて多くの語に多様の型が聴かれるやうになり、次第々々にアクセント意識が麻痺して不知不識にアクセント習慣の固定性を失つた事も考へられます。〈94ページ〉
平山輝男は、ここでは控え目に、「考へられます」と述べているが、この捉え方(「一型アクセント」を、定型アクセントが、そのアクセントを失ったものとして捉える)は、国語学界・言語学界で支持されるところとなり、その「通説」となった。
この「通説」を批判したのが、在野の方言研究家・山口幸洋(やまぐち・ゆきひろ、1936~2014)であった。山口は、全国のアクセントのうち、最も古いアクセントは、日本の辺境に残存している「一型アクセント」と見るべきであり、それは、縄文時代にまで遡る可能性があるとした。
山口は、その著書『方言・アクセントの謎を追って』(悠飛社、2002)の中で、次のように述べている。
……弥生時代を経て大和政権が制覇する前の日本列島は縄文時代で、その時代にも言葉があり、アクセントがあった。そのアクセントは、おそらく一型アクセントで、現在日本のアクセント分布は、一型アクセントの国に、四声に近い大陸系の複雑なアクセントが入ってきたとき、型の区別を持たない一型アクセント言語が型を獲得するようなことが起きるのではないか。
【中略】
しかしながら、これは、日本の大権威者による伝統の説に真っ向から反対する考え方なので、学界では、正面きって私を支持してくれる人は出てこなかった。
そうであっても、学界を代表する「国語学」に数度採用された私の研究が無視されたままでは片手落ちなのではないか。表面的に支持してくれる人が出ないのは学界の力関係の故で、何と言ってもアマチュアの研究が大権威者の説を上回るというようなことがあっては、学界の秩序が乱れるからだろう。〈168~169ページ〉
山口幸洋は、通説を批判し、日本語の原型は「一型アクセント」だったのであり、それが、大陸系のアクセントの影響を受けるなかで、「定型アクセント」が生れたと考えた。しかし、学界からの支持は、ほとんど得られなかった。
大野晋は、アクセントについては不勉強であった。「一型アクセント」の位置づけに関して、「通説」を批判した山口幸洋説があることは、たぶん知らなかったと思う。
そういうわけで、大野の『日本語の源流を求めて』のうち、一型アクセントに言及した部分は、最も弱い部分となった。アクセントについて詳しくなかった以上、この本では、一型アクセントの問題に触れるべきではなかった。
もし触れるのであれば、一型アクセントについての「通説」について検証するとともに、山口幸洋の「異説」の是非について検討しておく必要があった。みずからは、学界を驚かす異説を唱えておきながら、一型アクセントの問題に関しては、安易に「通説」を受け入れている。しかも、「通説」に拠っている旨を明示していない。「学者の態度」としては、首をかしげざるをえない。
なお、本日の記事は、昨年12月中に書いた四本の記事と重複するところがある。その点を、ご容赦いただきたい。――四本の記事とは、「将来は一型アクセント地域が拡がる(平山輝男)」(2023・12・2)、「一型アクセントは、世界的に珍しくない」(2023・12・15)、「縄文時代の言葉は一型アクセント(山口幸洋)」(2023・12・16)、「それでも私は自説にこだわった(山口幸洋)」(2023・12・17)のことである。
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