礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

このアクセント進化説には泣き所がある(小泉保)

2024-01-08 00:24:17 | コラムと名言

◎このアクセント進化説には泣き所がある(小泉保)

 在野の方言研究家・山口幸洋は、一型アクセントについての通説を批判し、日本語の原型は「一型アクセント」だったのであり、それが、大陸系のアクセントの影響を受けるなかで、「定型アクセント」が生れたと考えた。
 この山口説は、ほとんど、学界からの支持が得られなかった。ただし、ひとりだけ、山口幸洋の所説に耳を傾けた言語学者がいた。山口と同じく静岡県出身の小泉保(こいずみ・たもつ、1926~2009)である。小泉は、当時、大阪外語大学外国語学部教授、静岡方言研究会会長だった。小泉が山口を呼びとめたのは、1987年(昭和62)10月、静岡グランドホテルで開かれた昼食会の折のことだったという(山口幸洋『方言・アクセントの謎を追って』160ページ)。
 その後、小泉は、山口説を踏まえた論文を何本か執筆し、1998年(平成10)6月には、『縄文語の発見』(青土社)という本を出版した。
 本日は、小泉保『縄文語の発見』のうち、一型アクセントについて解説している部分を紹介してみたい。文中、傍線部は太字で代用した。

 1 アクセントの型と分布
【前略】
 金田一春彦氏は『国語アクセントの史的研究』(一九七四)の中で、現代日本語のアクセント分布図を掲げて、次のような解説を施している。
「日本語諸方言のアクセントは、大きく言って三の類型に分けることができる。第一は、東京式、第二は京都・大阪式、第三は一型式である。
 日本語諸方言のアクセントは、大部分は右の三類型のどれかに近いが、仔細に見ると多少ずつちがいがある。また少致のものが、右の二つの中間のような性格をもつ、それぞれ名前をつけてその分布を概咯的に言うと、《近畿地方を内側として一番中心に京阪式方言が分布し、東京式方言がその周辺の東西南北に行われ、一型式とその他の方言が主として東京式に接して各地に間隙を縫って分布している》という情況である。」
 要するに、日本語の諸アクセントは、方言周圏論の枠組みに納まる。京阪式を中核として、東京式がこれを囲み、その外側に一型式および変種のアクセント地帯が分布している。すなわち、日本の本土のアクセントは次のように、中核、内輪、外輪というような三つの層をなしている。
     西                     東
  一型式その他 (東京式 (京阪式) 東京式) 一型式その他

 2 一型式進化論
 また、金田一春彦氏は平安末期院政時代の『類聚名義抄【るいじゆみようぎしよう】』(一二世紀前半)に記載された京都アクセントを復元したが、一部を除いて現代のものと変わりないことを突きとめている。アクセントの型は、時代を通してそうとう安定しているようである。
   (院政期)    (現代の京阪)    (現代の東京)
  「石」シ 高低   シ 高低(二類) : イ
  「足」アシ 低低   シ 高低(三類) : ア
 現代では二類と呼ばれている「高低」の「石」と三類の「低低」が合体している。
 ここに「アクセントの変化は分化よりもむしろ統一へ向かう傾向がある」という大前提に立って、服部四郎氏は一型アクセントすなわち無アクセントが「原始日本語から最も甚だしい変化を遂げて出来たもの」と見るべきではないかと、述べている。
 つまり、複雑なものが統合されて次第に単純化するという進化の行程を考えている。
   京阪アクセント > 東京アクセント > 一型アクセント
 平山輝男氏は『日本語音調の研究』(一九五七)の中で、「現存する一型音調は、太古から原始日本語に存在したものではなく、後世の変化によって生じたものであるということ、及び日本語音調が一型音調にもなり易い一面を持っているものであることを考えられよう」と一型進化説を唱えている。金田一氏もこれに賛同している。
 要するに、日本列島で周辺部を占める一型アクセント地帯は、複雑なアクセントが単純なものへと発逢したその終着点であるというのである。
 だが、この一般的に認められている「アクセント進化説」には泣き所がある。
 一型アクセントの地帯は大小さまざまあって、東から西へかけて拾っていくと七地点ほどになる。
 ⑴ 奥羽南部から関東北部にかけて
 ⑵ 伊豆八丈とその属島
 ⑶ 東海静岡県大井川上流地方
 ⑷ 北陸福井県福井平野地方
 ⑸ 四国愛媛県大洲市近傍
 ⑹ 九州、鹿児島、宮崎、熊本、大分、福岡、佐賀、長崎の諸県にわたる帯状の地方、および五島列島の大部
 ⑺ 琉球のトカラ列島のうち宝島とその属島
 東北と九州の大地域は別として、八丈島、大井川の上流、福井の一部、四国の西端、トカラ列島内といった僻地に限って、なぜアクセントの型が消滅するまで早急に進化してしまったのであろうか。いや、むしろ奥地や隔絶した島であれば複雑な古形を忠実に守っていてもよいではないか。一型進化論ではこの問題に対して説明がつかない。
 もし、方言周圏論の主旨にそえば、こうした一型式の地域こそ日本語の古層をよく保存していることになるから、ここで発想を逆転させて、一型アクセントこそ縄文語の韻律的特性であると考えれば、右に示した地域こそ純朴にその特色を守り通したことになる。〈202~207ページ〉

 一型アクセントに関する通説の「泣き所」を、わかりやすく解説している。小泉は、こうした知見について、山口幸洋から、直接、教示を受けていた。にもかかわらず、『縄文語の発見』には、山口幸洋の名前は一度も出てこない。8ページに及ぶ参考文献にも、山口幸洋の論考はひとつも挙げられていない。

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