◎「アジアは一つなり」大東亜会議、開催さる
四、五年前、古書展で、情報局編『アジアは一つなり』(印刷局、1943年12月)という冊子を入手した。本文114ページ、定価20銭、古書価300円。
表紙および扉には、「アジアは一つなり/大東亜会議各国代表演説集」とある。
本日は、同冊子から、「一、大東亜会議と大東亜共同宣言」の部を紹介してみたい。なお、大東亜会議が開催されたのは、1943年(昭和18)11月5日、および6日のことであった。
一、大東亜会議と大東亜共同宣言
聖戦こゝに満二年、今や皇威大東亜に洽く〈アマネク〉、大東亜の建設日を逐うて進み、早くもアジアの黎明を迎ふ。我々はこの輝かしい現実に当面して感慨まことに深きものがあるが、殊に過日の大東亜会議の結果、青史始つて以來の大東亜の結集成り、大東亜共同宣言の宣明によつて、アジアは一心一体となつて大東亜戦争完遂と、大東亜共同建設必成の決意を表明し得たことは、正しく「光は東方より」、世界人類の歴史に輝かしい新紀元を画したものといふことが出来るのである。
大東亜会議の経過
大東亜会議は十一月五日、六日の二日間に亘つて帝国議事堂内で開かれた。これこそは正しく大東亜の共同意志を表明し、大東亜十億民衆の団結を、事実を以て全世界に向つて明示したものであつて、東亜の歴史に、否人類の歴史に初めて見る盛観であり、全世界の視聴が挙げてこの会議に集注されたのもまた当然であつた。
相会する〈アイカイスル〉代表六名、帝国代表東條〔英機〕内閣総理大臣、中華民国代表国民政府行政院院長汪精衛〔汪兆銘〕閣下、タイ国代表内閣総理大臣代理ワンワイタヤコン殿下、満洲国代表国務総理大臣張景惠閣下、フィリピン国代表大統領ホセ・ペ・ラウレル閣下、ビルマ国代表内閣総理大臣ウー・バー・モウ閣下のほかに、晴れの陪席者として自由印度仮政府首班スバス・チャンドラ・ボース閣下を迎へて、会議は終始、最も真剣に、しかも極めて友好的な雰囲気の裡〈ウチ〉に進められ、大東亜の家族会議の観を呈した。
開会劈頭〈ヘキトウ〉、帝国代表東條内閣総理大臣から、米英の非望を剔抉〈テッケツ〉し、帝国の聖戦目的を明確にし、さらに大東亜建設の基本方針を闡明〈センメイ〉する歴史的な演説があり、次いでイロハ順で、各代表からそれぞれ別掲の如く本国政府の見解と抱負とが率直に、且つ力強く闡明され、関係各国の大東亜戦争完遂の決意並びに大束亜の建設、延いて〈ヒイテ〉は世界平和の確立に対する理想と熱意とは、完全に一致するものであることが確認されたのであつた。
かくして会議第二日において「大東亜共同宣言」が提案されたが、満場一致採択をみるに至り、堂々と中外に宣明された。次いでバーモウビルマ国代表立つて「自由インドなくしては自由アジアなし」とインド独立について熱烈な意見を吐露〈トロ〉すれば、ボース首班、インド独立に対する支援を感謝し、「誓つて英国をインドより葬り自由インドを一日も早く確立せん」ことを闡明した。これに対し東條内閣総理大臣より、「帝国はこゝにインド独立の第一階梯として、目下帝国軍において占領中のインド領たるアンダマン諸島及びニコバル諸島を近く自由印度仮政府に帰属せしむるの用意ある」旨の重大発言があり、帝国がいよいよインド独立のために全幅の協力をなす決意を重ねて表明したのであつた。
「大東亜会議の経過」の節では、このあと、「大東亜共同宣言」が引用されるが、これは次回。