礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本国民は二十年前の変動を起すなるべし(ボアソナード)

2023-07-04 04:36:05 | コラムと名言

◎日本国民は二十年前の変動を起すなるべし(ボアソナード)

 高橋是清口述『高橋是清自伝』(千倉書房、1936)から、「ボアソナードの条約改正意見」の節を紹介している。本日は、その二回目。
 
 井上毅、ボアソナード両氏対話筆記
 寒暖の挨拶を終つて、
 ボ氏(ボアソナード氏以下同じ) 足下近来多忙なりと察し、態【わざ】と見舞を怠りたり。
 余云(井上毅氏以下同じ) 足下こそ頃日来【けいじつらい】外務の事に尽力されたりと聞く。近ごろはやゝ閑暇を得られし乎【か】。
 又云 足下の我国の為め尽力されたる事件につきその結果如何。
 ボ云 その事なり。条約改正は意外の結局を得たり。予が感覚する所によれば、これ等もし実行せられなば日本【につぽん】国民は再び二十年前【ぜん】の変動を起すなるべしと想像す。
 余云 足下もし予が秘密を守ることを信用さるゝならば願はくば予がためにその詳細を語られよ。足下の不満足とせらるゝ点は、何々の条件なるや。
 ボ云 足下は予が日本国において平素その忠勤なる事を信ずる中【うち】のひとりなり。予はこの事に付【つき】予の感慨を足下に吐露【とろ】する事の機会を得たるを喜ぶ。予は曽て予の持論を〔井上馨〕外務大臣並【ならび】に青木〔周蔵〕次官及びシーボルト氏に向つてしばしば切直【せつちよく】に陳述したれども予の意見は一〈ヒトツ〉も採用されずして、今日の結果に至りたるは予の遺憾として日本全国のために深く哀痛【あいつう】する所なり。
 予は又栗塚省吾〈クリヅカ・セイゴ〉氏を仲人【ちうにん】として〔山田顕義〕司法大臣に意見を述べたれども司法大臣よりはその当務に非【あら】ず且談判模様はいつも筆記にて承知するものなりとの意見を以て答へられたり。予は日本の大臣たる人のエネルギーなきに驚歎せり。もしヨーロツパの政治家にあらしめば、予が説に同意ならば必ず奮【ふる】つて内閣に向つて一〈イツ〉の問題を提出さるゝなるべし。予は自然の道理を以て感情とし、このことにつき日本のために深く忠実なる意見を以て外務省に序言したるが故【ゆゑ】に仏国公使をはじめとし各国公使より甚しき嫌悪【けんを】を蒙【かうむ】れり。仏国〔フランス〕公使出発の折、予は新橋停車場に見送りたるに仏国公使は別れに臨み予に向つてにがにがしき一言〈イチゴン〉を吐かれたり。曰く『足下は予に向つて多少の困難を与へたり』と。このとき伊太利【イタリ】公使は傍【そば】に在りて、仏国公使に向つて『否【いな】ボアソナード氏は当然の理を以て日本政府に助言せられたるなり』と予のために寛辞【くわんじ】せられたり。蓋【けだ】し伊、墺〔オーストリア〕の二公使は予と感情を同じくする人なり。予が不満足とするは改正の総【すべ】ての箇条【かでう】なれども就中【なかんづく】三つの重要なる点にあり。
 第一 外国裁判官を用ひ且組織中高数【かうすう】とする事なり。此【この】裁判は公平なるべしと信ずることを得【う】るか。その親近なる所に偏庇【へんひ】するは普通人心の短所なれば、通常此の裁判は日本人【につぽんじん】のために不利益なるべし。訴訟の件につきみすみす不公平の裁判を得【え】、不利益な結果を蒙りたる日本人を怨むよりも寧ろ政府の国民に対し此【かく】の如き境遇を与へたるを怨むなるべし。旧条約に従へば、原告たるときに限り外国の裁判を受く。その被告たるときは仍【な】ほ本国の裁判権に従属したるを以て、日本の不利益の区域は、狭隘【けふあい】の部分に過ぎざりし。しかるに改正草案に拠れば、原告たると被告たるとに拘らず、総て日本人は外国裁判官の勢力の下【もと】に従属せざるべからずして、その不利益は一般の部分に波及したり。
 余問 裁判長は又外国人なるや。
 ボ答 草案に裁判長のことを言明せず。しかしながら外国裁判官すでに多数なる上は裁判の決着は必ず外国裁判官の所見に傾くなるべし。この時において裁判長はその勢力を恃【たの】むこと能【あた】はざるべし。
 余又問 外国裁判官を任用するの組織には年期ありて一時の便法にはあらざるか。
 ボ云 十五年間は随分長き歳月なり。今日の日本人民はやゝ才覚を発達したれば、十五年間の屈服を忍ぶことは能はざるべし。たとへ屈辱を忍ぶとも、政府はこれがために慎重【しんちよう】なる怨望【ゑんばう】を招き、到底旧幕の外国交際上に弱点を示したるがために、全国の変動を惹起したる覆轍【ふくてつ】に倣【なら】ふことを免【まぬか】れざるべし。
 第二 違警罪のみ外国人民も日本裁判官の裁判に従ふといへども、他は重罪軽罪とも外国裁判官多数の組織する裁判所において裁判し、並【ならび】に違警罪および百円以下の訴訟の日本裁判所は控訴を許すことなり。外国人民は通常日本裁判官の裁判に服せずしてその上の裁判所に控訴するなるべし。控訴の場合においては、日本人民のために、初審において利益なりし裁判も多く翻【ひるがへ】つて敗訴となるの結果を招くなるべし。違警罪においてもまた同様なるべし。
 第三 には条約の実行期日より八ケ月前【まへ】に日本各種法律案をもつて外国政府は通知することなり。これらは草案の趣旨は単に通知に止【とゞま】りしなるべけれども、外国公使はこの条【でう】をもつて外国政府の『エキザミネーシヨン』にかゝることにして解説したり。すなはち日本国はその立法の件につき外国の制縛【せいばく】を受け左右に動揺さるゝ意外の結果を来【きた】すなるべし。この事は最も不吉なる主要の件、予にして今二ケ年間日本のために勤務するならば、この法律通知の期において『この法律は日本国の主権により発行するところにして、他の外国の主権なかるべし』と確定の意義をもつて外国政府に通知すべきの意見を述べんとす。【以下、次回】

 この対話は、1885年(明治18)5月10日におこなわれている。いわゆる「鹿鳴館時代」である。
「ボ云 十五年間は」のところに、「慎重なる怨望」とあるが、これは、『高橋是清自伝』のまま。文脈からすると、ここは、「深重なる怨望」などとあるべきところである。

 また、同じ発言の「第三」のところに、「外国政府は通知する」とあるが、これも『高橋是清自伝』のまま。ここは、「井上毅、ボアソナード両氏対話筆記」の原文では、「外国政府に通知する」とあったのではないだろうか。
 同じくボアソナードの発言に、「条約改正は意外の結局を得たり」とあるのは、政府提案の条約改正案が、「外国裁判官」の採用など、問題を含むものになったことを示している。
 よく知られている通り、この条約改正案に対しては、激しい反対運動が捲き起った。閣内からも、農商務大臣の谷干城(たに・たてき)が反対の立場を表明した。1887年(明治20)7月、政府は条約改正交渉の延期を発表、同年9月、井上馨が外務大臣を辞任した。
 文中、「シーボルト氏」とあるのは、井上馨の秘書アレクサンダー・フォン・シーボルトのことであろう。なお、その弟ハインリヒ・フォン・シーボルトも、改正交渉に加わったとされる。

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