礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

青峰は留置場の鉄格子につかまって喀血した

2019-10-08 04:32:21 | コラムと名言

◎青峰は留置場の鉄格子につかまって喀血した

 昨日の話の続きである。昨日は、小堺昭三『密告――昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、一九七九)から、新興俳句運動の指導者のひとり嶋田青峰が早稲田署に検挙される場面を紹介した。本日は、早稲田署の留置場における嶋田青峰を描いている部分を紹介する。

 青峰は、かっぱらいをやった十九歳の朝鮮人青年と同房であった。留置場は冷蔵庫のなかみたいに冷えきっていて、衰弱してゆく青峰は食欲もなく、差入れ弁当さえのどに通らなかった。房内で食わなかったものはそのまま返す規則になっており、他人に与えたりすれば体罰をくらうことになる。しかし青峰は食べたふりをして、朝鮮人青年にくれてやった。いつもひもじい思いをしている若いかれは、看守の眼をごまかしてガツガツ食った。一秒でもはやく食うためには咀嚼【そしやく】などしておれず、おかずもめしも眼を白黒させて呑みこむあさましさだった。
「あなたは、わたしが尊敬するただ一人の日本人です。お礼をさせてください」
 と青年は言い、青峰の着物や襦袢の、内襟とか縫い目にたかっているノミやシラミを器用にとって、爪さきでプチプチつぶしてくれた。そういうときに限って、看守が呼び出しにきて青年をつれていった。
 朝鮮人に対する差別はひどく、かれは毎日のようにひっぱり出されて刑事にぶん殴られた。それでもかれには勇気があり、「なぜかっぱらったんだ」と責める刑事に対して、「おれよりも天皇のほうがが悪人だ。朝鮮をかっぱらった(侵略した)じゃないか」とやりかえすものだから、さらに殴られて前歯を折られてしまった。かれは二人の看守に、両方からかかえられて留置場へもどってきた。
「オンマー(かあさん)、アブジー(とうさん)、おれは負けんぞ。いつかきっと天皇に爆弾を投げつけてやるゥ!」
 起きあがる力もなく、うつ伏せのまま床板を嘗めるような格好で、声をかみこらえて青年は泣いていた。六十歳の青峰が枯れた手で背中をさすってやった。これほどはげしく、全身全霊で憎しみを燃やすことができる青年を、その生命力をうらやましく思った。かれの父親は朝鮮独立運動の闘士で、いまは金日成らとともにシべリアに隠れているという。
 だが、こんどは青蜂のほうが、青年から背中をさすってもらわなければならない立場になった。留置されて一カ月後の三月はじめ、青峰は留置場の鉄格子につかまって喀血した。苦しがるかれの背中をさすってやりながら、青年がわめき看守を呼んだ。となりの房の薄田研二も「人殺し、人殺しッ!」と叫んで協力した。血は鉄格子を伝ってしたたり、通路のコンクリートに赤いしみをつくった。薄田はゴーリキーの『どん底』に登場する男爵を演じているような感じであった。〈一三三~一三四ページ〉【以下、次回】

 この同房の朝鮮人青年の名前が知りたいところだが、この本では明らかにされていない。
 隣の房にいた薄田研二(すすきだ・けんじ)というのは、新築地劇団所属の新劇俳優である(一八九八~一九七二)。

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