礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

真宗教徒は現世の福利を神仏に祈らない

2019-10-30 03:10:07 | コラムと名言

◎真宗教徒は現世の福利を神仏に祈らない

 伊藤義賢著『根本的にして最後の帰結を明示せる 神社と真宗教徒』(竹下学寮出版部、一九三四)の紹介を続ける。本日は、「一〇 結論」を紹介してみたい。

   一〇 結  論
 以上全篇を熟読玩味せられた読者は、恐らく脳裏に左記の理解ができたことゝ信ずる。
 一、真宗教徒が諸神諸菩薩を奉安しないことゝ、現世【げんせ】の福利(公私に関し)を神仏等の信仰的対象に向つて祈らないことは、一宗の憲法たる宗制に已【すで】に規定して政府の公認を経てゐることで決して秘密的のことではない。随つて此点は余他【よた】の宗教に絶対に見ることの出来ない真宗独特の生命である。
 二、真宗教徒は現世の福利を神仏に祈らない。何となれば祈らずして神仏は常に我れを護り、我れの望む正義正道にして叶ひ得らるゝ限りは叶へしむべく擁護し給ふべきものと信ずるからである。随つて唯【たゞ】正しい希望を懐いて各自の職務に奮励努力するといふのが真宗教徒である。此の真宗教徒の被【こをむ】る現世利益【りやく】を親鸞上人は心光(阿弥陀如来の光明)常護の益【やく】、諸仏護念の益、冥衆【めうしゆ】(諸神諸菩薩)護持の益等と云はれてある。之れ其根本は「我レ能ク汝ヲ護ラム」とある阿弥陀如来の仏勅【ぶつちよく】を信じた結果である。事に臨んで禳災招福【つみとわざはひをけしふくをまねく】を神仏に祈るが如きは平素神仏の擁護を受けてゐない者の行ふことであるから、真宗教徒の取らざるところである。【以下、次回】

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