礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

近衛文麿、小磯国昭新首相に思想問題を説く

2019-10-03 04:30:55 | コラムと名言

◎近衛文麿、小磯国昭新首相に思想問題を説く

 この間、共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)の紹介をしてきた。本日は、一九四四年(昭和一九)七月二四日の日記を紹介する。なお、この「近衛日記」は、この日の記事で終わっている。

二十四日午後二時
  永田町首相官邸において小磯〔国昭〕新首相と会見

 小磯新首相は組閣経過を語る。
「陸軍で揉めた。東條〔英機〕は残る積りだった。最初は自分も流産と思った。そこで東條と会って、大命を拝した小磯でなく、又、総理の東條としてで〔な〕く、お互いに一個の友人として話をし、又、聞こう、と言って「君が残るのはよくないぞ」と、先輩として忠告をしたが、東條は「うん」と言わず「三長官会議できめることだ」と一言って逃げる。仕方がないから梅津〔美治郎〕のところへ行っていろいろ話し、梅津が工作した結果、やっとまあ、あんなことに極まった訳だ。それに海軍は末次〔信正〕が難関だ。米内〔光政〕は末次の部長【ママ】が出来なければやめると言っていた。……私は山下(奉文)か阿南(  )【ママ】を陸相に出してくれと言ったが、陸軍が困ると言ってどうしても反対した云々。
(註、重臣会議が小磯大将を推薦したるは結局、統帥、国務の一元化を期待したるものたることはいうまでもなし。小磯が現役に復帰し大本営の一構成員たるにあらざれば、全く意味をなさず。然も陸軍は小磯の現役復帰に反対す。かくの如くんば、文官総理と何等選ぶところなし)
 次で〈ツイデ〉予〔近衛文麿〕より前日約束せる思想問題に就て縷述【るじゆつ】し、小磯首相は一々、これを筆記したり。会談一時間余にして辞去。(編注 日記・本文はここで終わっている)

注1 山下奉文 【略】
注2 阿南惟幾 【略】
注3 小磯・米内内閣の主な閣僚 【略】

 近衛文麿というのは、小細工にたけているというか、いろいろと気のまわる政治家だったとは思う。しかし、胆力に欠け、信念に欠け、あるいは、情況を読み取るセンスにも欠けた、三流政治家、ないし三流以下の政治家ではなかったか。
 特に、一九四四年(昭和一九)七月一八日から同月二四日にかけての日記を読んで、その感を強くした。この点については、次回、述べる。

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