礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

警視庁非常警備規程ならびに警戒規定(1933)

2017-11-05 01:39:33 | コラムと名言

◎警視庁非常警備規程ならびに警戒規定(1933)

 先日、資料を整理していたところ、『警視庁非常警備規程 警戒規定』という小冊子が出てきた。奥付がないので詳しいことは不明だが、表紙に「警視庁警務部」という表記があるので、同庁同部の発行にかかるものであろう。また、その内容から、一九三三年(昭和八)一二月一日の前後に発行されたものと推定できる(後述)。
 同書には、「警視庁非常警備規程」(一~三〇ページ)、「警戒規定」(三一~四六ページ)、「警視庁非常警備規程並警戒規定制定ノ件依命通達」(四七~五五ページ)、「非常警戒従事員ノ心得(五七~八一ページ)という四つの文書が収録されている。
 本日は、そのうち、「警視庁非常警備規程並〈ならびに〉警戒規定制定ノ件依命通達〈いめいつうたつ〉」のという文書の最初の部分を紹介してみたい。
 引用は、基本的に原文の通りだが、漢字は現行の字体に直し、カタカナは、適宜、濁点を加えてある。

 警視庁非常警備規程並警戒規定制定ノ件依命通達
昭和七年〔一九三二〕九月十三日付内務省訓令第二一六七号ヲ以テ非常警備規程制定セラレタル為大正十四年〔一九二五〕四月当庁訓令甲第三十三号非常警備規程ハ上記内務省訓令ニ充分応ジ難キ点アルノミナラズ制定後社会状勢ノ変遷ニ伴ヒ現時ノ活動ノ実際ニ適セザルノ憾〈うらみ〉アルヲ以テ之ヲ廃止シ訓令甲第九十六号警視庁非常警備規程並訓令甲第九十七号警戒規定制定相成リ災害騒擾〈そうじょう〉其ノ他非常変災ニ際シテノ非常警備ニ関スル警察活動及〈および〉之ガ準備計画ハ専ラ警視庁非常警備規程ニ拠ルコトトシ以テ内務省訓令ノ要求ニ応ゼシメ一面従来ノ非常警戒(新規程ニ於ケル臨時警戒)非常配置(新規程ニ於ケル緊急警戒)及出火出場(新規程ニ於ケル出火場警戒)等平時ニ於ケル特別ナル警察活動ハ警戒規定ニ拠ルコトトシ以テ社会状態ノ実際ニ適応ゼシムベク夫々〈それぞれ〉改廃セラレタルニ就テハ予メ〈あらかじめ〉左記ニ依リ周匝〈しゅうそう〉適切ナル計画ヲ樹立スルト共ニ之ガ本旨ヲ部下一般ニ反覆訓授シテ周知徹底セシムル等警備警戒万〈ばん〉遺漏ナキヲ期セラレ度〈たく〉依命〈めいにより〉此段〈このだん〉及通達(牒)〈つうたつ(ちょう)におよび〉候
 追而〈おって〉
 一、非常警備規程ニ基キ官房各部及警察連習所長ニ於テ定ムべキ内規及其ノ他ノ諸準備ハ十二月末日迄ニ完了シ警務部長ニ通報スルコト
 二、各警察署ハ非常警備規程第十一条第十七条第十八条第二十六条及第二十七条並警戒規定第二十三条ニ基ク召集計画ヲ十一月末日迄ニ完了スルコト
 三、非常警備規程及警戒規定ニ基ク諸準備ハナルベク速ニ〈すみやかに〉完了シ十二月末日迄ニ警務部長ニ報告スルコト
 四、別記ノ関係依命通達及指示ハ十一月三十日限リ之ヲ廃止ス
     記
警視庁非常警備規程
一、非常警備計画ハ極秘ノ取扱ヲナシ警察署ニ在リテハ警務主任ヲ取扱主任トシ官房各部ニ在テハ適宜之ヲ定ムルコト
 官房主事各部長ハ取扱主任ヲ定メ又ハ之ヲ変更シタルトキハ其ノ所属及官氏名ヲ警務部長ニ通報スルコト
二、非常警備計画書類及往復文書ニハ「非常警備」(直径二糎)ノ記号ヲ朱ヲ以テ押捺〈おうなつ〉スルコト
三、規程第三条ニ依ル届出〈とどけいで〉ハ警察官吏及消防官吏居住制限並宿料〈しゅくりょう〉支給規則第六条ニ基ク届出ト兼ネテ提出スルコトヲ得〈う〉
四、規程第八条ニ定ムル重要警備対象物ノ地域トシテ左ノ通リ指定ス
 1 重要官公衙〈かんこうが〉地域
 (イ) 麹町区西日比谷町外桜田町霞ケ関永田町三宅坂付近一帯
 (ロ) 麹町区大手町一帯
 2 経済中枢地域
 (イ) 麹町区丸ノ内一帯
 (ロ) 日本橋区東京株式取引所付近一帯
 (ハ) 日本橋区日本銀行正金銀行束京支店三井銀行付近一帯
 3 重要工場地域
 (イ) 京橋区石川島佃島一帯
 (ロ) 芝区三田四国町付近一帯
 4 其ノ他必要ト認ムル地域
 (イ) 京橋区銀座通一帯
 (ロ) 四谷区新宿通及淀橋区新宿駅付近一帯
 (ハ) 下谷区上野広小路及上野駅前通一帯
 (ニ) 浅草区浅草公園及雷門付近一帯
五、規程第九条ノ甲号警備対象物ハ大要左ノ標準トスルコト
 1 人
 大臣同礼遇枢密院議長
 2 物体
 (イ) 離宮
 (ロ) 内閣及各省
 (ハ) 裁判所刑務所
 (ニ) 大臣ノ官私邸
 (ホ) 日本銀行横浜正金銀行東京支店
 (へ) 常時米五六〇、〇〇〇瓩(凡〈およそ〉一〇、〇〇〇俵)以上貯蔵スル倉庫
 3 地域
 第四号中重要官公衙地域及経済中枢地域
【このあと、「六」以下、「二十五」まであるが、略】

 冒頭に、一九三二年(昭和七)九月一三日付で、内務省訓令第二一六七号「非常警備規程」が制定されたとある。この年は、二月から三月に血盟団事件が起き、五月に五・一五事件が起きた年である。内務省の「非常警備規程」は、そうした不穏な情況に対処せんがために制定されたものと思われる。
 内務省「非常警備規程」を受けて、警視庁は、警視庁訓令甲第九六号「警視庁非常警備規程」、ならびに警視庁訓令甲第九七号「警戒規定」を制定した。両規定が発令された年月日は不明だが、両規定は、ともに、一九三三年(昭和八)一二月一日より施行する旨を定めている。したがって発令の日付は、それを少し遡るものだったと思われる。また、小冊子『警視庁非常警備規程 警戒規定』の発行は、一九三三年(昭和八)一二月一日の前後だったろうと推定する。

*このブログの人気記事 2017・11・5

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする