礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『週刊現代』の「検査不正問題」記事を読む

2017-11-14 08:55:02 | コラムと名言

◎『週刊現代』の「検査不正問題」記事を読む

 一昨日、昨日の問題をもう少し続ける。
 昨日発売の『週刊現代』(二〇一七・一一・二五)を買ってみた。一昨日の新聞広告で(昨日の朝刊は休刊)、「日産・スバル・神戸製鋼『検査不正問題』が語るもの/正義面した役人たちに日本の会社が潰される」という記事に注目したからである。
 買ってみると、当該の記事は、全三ページの無署名記事で、リードには、次のようにあった。

 日本のモノづくりは地に堕ちた。製造業の根幹が崩れた。そんな悲愴な声が聞こえてくる。主に、霞が関のほうから――。危機が大きくなればなるほど好都合。役人たちがなにやら不穏なことを企んでいる。

 新聞や週刊誌の記事にありがちなことだが、記事は、識者・関係者のコメントで構成されており、記者独自の調査・考察といったものはない。しかし、記者の役割あるいは力量というのは、書こうとしている記事の意図に沿ったコメントをしてくれそうな識者・関係者を探し出し、彼らから、記事の意図に沿ったコメントを引き出すことにある。読者としても、もちろん、それ以上を期待してはならないのである。
 さて、前掲記事の冒頭において、東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員(肩書が長い)の吉川良三氏は、次のようにコメントする。

 国交省は「日本の信頼を揺るがす」などと言って日産の工場に立ち入り検査していますが、私から見ればこれは異常な光景です。まず有資格者による検査を求めていること自体、グローバル基準からは逸脱した過剰な規制。国際基準では無資格者による検査でOKで、現実として日産は問題発覚後も輪出用の自動車は従来通りに出荷しているんです。

 また、経営コンサルタント(元・カルビー社長)の中田康雄氏は、次のようにコメントしている。

 もともと日本の自動車産業では、安全性について過剰に規制がかけられています。国交省が古くからそのようにしてきたからで、車検制度ひとつとっても外国と比べてかなり厳しい。そもそも、車検制度そのものがない国もあるんです。

 一昨日のコラムで、私は、「そもそも新車に対し、なぜ『資格』を持った審査員(正規検査員)による審査が必要なのか。無資格の審査員が新車を審査しても、何ら問題は起きていないというのが、現状ではないのか。新車の審査そのものの意味が、すでに失われているということではないのか。」と書いた。あくまでも、素人の立場から、そのように推測したのだが、吉川良三氏、中田康雄氏のコメントを読んで、いま、その推測が見当はずれではなかったことを知った。
 さて、疑問なのは、日本の自動車会社が、なぜ、これまで、「グローバル基準からは逸脱した過剰な規制」を受け入れてきたのかということである。これまた、素人の立場から推測してみる。戦後しばらく、日本の自動車産業が未熟だったころ、日本の官僚は、自動車業界の意を受け、優秀な外国自動車の輸入を制限するために、様々な「非関税障壁」を設けたことがあったと聞く。その「非関税障壁」のひとつが、「初回車検」を含む「グローバル基準からは逸脱した過剰な規制」だったのではないか。つまり、この問題に関しては、自動車業界のほうにも、官僚に「弱味」を握られているところがあるのではないか。
『週刊現代』誌には、引き続き、この問題についての徹底した検証を期待したいと思う。

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