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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

今からできる安倍首相の危機管理

2017-03-15 05:28:24 | コラムと名言

◎今からできる安倍首相の危機管理

 森友学園問題は、ますます混迷の度を深めてきた。稲田朋美防衛大臣が、過去に、森友学園の顧問弁護士をつとめていて、実際に弁護活動をおこなっていたことを示す資料があらわれ、昨一四日、稲田防衛大臣は、これまでの国会答弁の誤りを認め、謝罪した。
 さらに、「第二森友学園問題」と目される「加計学園問題」も浮上してきた(東京新聞「こちら特報部」二〇一七・三・一四)。
 いっぽう、この間、インターネット上に、次のような意見もあらわれている。

 率直に言って、このようなスキャンダルで安倍首相が辞任するようなことは望まない。もちろん、この連載では安倍首相の経済政策「アベノミクス」について、規模が「異次元」なだけで、内容は過去の景気対策と同じ、単なるバラマキだと厳しく批判してきた(第133回・p3)。だが一方で、外交政策については、概ね適切であると評価してきた。
【中略】
 筆者は、森友学園への国有地売却を巡る問題を、誰かが安倍政権の倒閣を狙ってばら撒いたものだと言うつもりはない。ただ、安倍政権がスキャンダルで弱体化し、退陣という事態になると、その後に起こることは何かということは、念頭に置いた上で批判をしたほうがいいということだ。どんなにひどいスキャンダルであろうとも、感情的になってはいけないのだ。現在の国際情勢を考えれば、時に強硬な姿勢を取ることも辞さない安倍首相に代わり、融和を唱える「物わかりのいい首相」が登場して、喜ぶ国はどこなのかは、慎重に考えたほうがいい。

 これは、立命館大学地域情報研究所の上久保誠人所長(立命館大学政策科学部教授)の見解である(「森友学園問題に見るスキャンダルが安全保障リスク化する懸念」二〇一七・二・二八)。
 上久保所長の見解は、「国益」(この場合は「安全保障」)という観点に立った冷静な意見であって、インターネット上に飛び交っている、根拠のない首相疑惑否定論、安易な首相擁護論とは、次元を異にしている。
 信濃川河川敷問題によって首相を辞任した田中角栄は、その後、ロッキード事件で刑事被告人となり、ついには政界から退くことになった。
 今から思えば、この時、「国益」という観点から、田中角栄を擁護する意見があってもよかったように思う。経済学者の小室直樹(一九三二~二〇一〇)は、当時、田中角栄無罪論を主張した。当然、その根底には、「国益」という観点があったのだろうが、「国益」を前面に出しての田中角栄擁護論ではなかったと記憶する。もちろん当時は、田中角栄無罪にせよ、田中角栄擁護論にせよ、金権腐敗を批判する世論の前に、ほとんど無力ではあったが。
 ロッキード事件では、田中角栄元首相が有罪となった一方、中曽根康弘自民党幹事長(当時)は、ついに「灰色高官」のままで延命した。このことは、のち、中曽根内閣が成立したあたりから、日本の政治経済が一挙に、民営化、競争原理主義、グローバリズム、レーガノミクス、対米追随政策という流れに向かっていったことと、おそらく無関係ではあるまい。
 つまり、首相をめぐるスキャンダルというのは、それがどんなに「些細」なものであったとしても、また、思わぬキッカケで浮上したものであったとしても、その背後に、「大きな力」が働いている可能性があり、油断はできないということである。その「大きな力」の前では、「国益」という観点など、簡単に吹き飛ばされてしまうのである。
 今回の安倍首相に関わるスキャンダルにしても、その背後に、「大きな力」が働いている可能性がある。危機管理という以上は、そういう可能性まで想定しなければ、とうてい危機管理とは呼びえない。
 だからこそ、首相のスキャンダルが浮上したようなときには、当の首相が、これを軽視することなく、みずから万全に、危機管理をおこなうべきなのである(だったのである)。
 森友学園問題では、安倍首相は、その言動において、危機管理上、すでに重要なミスを犯している。

○最初に、問題が浮上したときに、首相は、問題の深刻さについて自覚していなかった。「法的には何ら問題ない。堂々としていればいい」と周辺に話していたという(『週刊文春』二〇一七年三月九日号)。
○国会で、この問題について、追及された際の対応が、あまりに感情的であった。たとえ、野党あるいは国民が「感情的」になったとしても、首相のほうが感情的になってしまってはいけない。
○感情的になってしまった結果、首相は、自分あるいは妻が、この問題に関係しているなら、「首相も議員も辞める」と言ってしまった(二〇一七年二月一七日)。言う必要のない、危機意識に欠けた失言であった。あえて、みずからの退路を断つ、危険な発言であった。立命館大学地域情報研究所の上久保誠人所長も、安全保障リスクの観点から、この発言を不適切とするはずである。
○「私は公人ですが、妻は私人です」という発言(二〇一七年三月一日)も、適切でなかった。「夫人もまた公人ではないか」という反証を招くだけである。「妻は私人」であるならば、夫人はそもそも、名誉校長を辞退する必要など、なかったのである。

 立命館大学地域情報研究所の上久保誠人所長は、安倍首相の外交政策を、「概ね適切である」と評価してきたという。また、「安全保障リスク」ということを考えた上で、「このようなスキャンダルで安倍首相が辞任するようなことは望まない」旨を表明していた。
 上久保誠人所長の見解を、そのまま支持しようとは思わないし、その必要もない。しかし、安倍首相が退陣に追い込まれた場合の「安全保障リスク」というものは、たしかに存在すると思う(まさに今、韓国の朴槿恵大統領の失職、および、それにともなう混乱を見ているところである)。これは、安倍首相の政治姿勢や政治手法を、どう評価するかという問題とは、一応、別の問題として考えるべきであろう。
 安全保障リスクという問題を、もっとも意識しているのは(しなければならないのは)、安倍首相自身であろう。
 では、この期に及んで、安倍首相ができる危機管理があるか。あるとすれば、それは、どういうものか。思いつくままに列挙してみよう(ここで「できる」というのは、あくまでも「採りうる」という意味で、もちろん「採るべき」という意味ではない)。

一 上久保誠人所長のような知識人をブレーンとして招き、アドバイスを受ける。
二 一連の言動について、不適切な部分があったことを認め、それを撤回すると同時に、国民に対し、遺憾の意を表する。
三 稲田朋美防衛大臣を罷免する(本当は、国会答弁の誤りを指摘される前がよかった)。
四 この際、「日本会議」との関係を断つ。少なくとも、「日本会議国会議員懇談会」の特別顧問を辞退し、同会から脱会する。また、閣僚で「日本会議国会議員懇談会」に属しているものに対して、首相として、または自民党総裁として、脱会を勧める。
五 森友学園の籠池泰典理事長など、今回の「疑惑」に関わるメンバーの国会招致を認める。

 このほかに、「内閣改造をおこなう」、「国会を解散する」という選択肢もある。しかし、これらは、かなりリスキーである。
 ちなみに、田中角栄首相の金脈問題が浮上したのは、一九七四年(昭和四九)一〇月九日であった。約一か月後の一一月一一日、田中首相は内閣の改造をおこなった。しかし、野党が、金脈問題の関係者を国会招致を要求したため、一一月二六日に、退陣を表明した(一二月九日、内閣総辞職)。結果論になるが、内閣改造をおこなう以前に、国会招致に応ずるべきだったと思う。

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