礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

あなた達は略奪や強姦をしたかも知れぬが

2016-12-24 06:14:08 | コラムと名言

◎あなた達は略奪や強姦をしたかも知れぬが

 昨日の続きである。昨日は、上原文雄『ある憲兵の一生――「秘録浜松憲兵隊長の手記」』(三崎書房、一九七二)から、「浜名湖口、連合軍捕虜の引渡し」の節の前半を紹介した。本日は、その後半を紹介する。
 
 当日は未明より新居駅に出張して、新居分隊長と共に待機した。
 駅前の商店や民家では戸を締め、婦女子は遠くへ避難していた。どうしたことか鉄橋の袂〈タモト〉の機関銃陣地は警戒兵がそのまま配置している。小学校の部隊本部へ憲兵を飛ばして、陣地を撤去するように連絡するなどのこともあった。
 八時頃、艦隊から上陸用舟艇三隻が列を造って、今切れの湖口から進入して来た。鉄橋上に立って手振りで、案内して、誘導し新居駅北側のホームに最も接近した湖面に接岸させた。艇にはシンプソン司令官以下幹部とMP、それに新聞記者の一行も加わって約五十名程が上陸した。
 カーペンター大尉を見付けて、それからはなるべく大尉を通じて話すことにきめた。
 カーペンター大尉は、周囲の民家の雨戸は開いた方がよいと言う。そこで部下に命じて雨戸を開けさせようとすると、在郷軍人が来て、
「そんなことをしたら、たちまち掠奪や強姦されてしまう」と言う、
「あなた達が、南方や支那で上陸したときは、そんなことをしたかも知れぬが大丈夫だ。それにMPもあの通り沢山来ておる」
 カーぺンター大尉も近寄って来たので
「このように心配しているが大丈夫でしょうネ?」
 と念を押すと、
「上陸用舟艇を操縦する、イレズミのある水兵はいけませんが、MPがいるから大丈夫です」
 といった。十時頃満島の捕虜を乗せた第一回の列車が到着し、パーシバル少将以下が着いたあと、第二回目は婦女子を含む収容者も来るので、捕虜はMPが取締って、駅ホームから一歩も外に出さない。憲兵は日本人を取締れという司令官の指示で、憲兵を駅ホームの外側に配置した。
 上陸用舟艇に、ホームから直接乗船できるように、警防団などが手伝って、鉄道の枕木などで仮桟橘を作った。
 第一の列車が接近すると、昨日あれ程駅に連絡してあったのに、列車はホームを過ぎて通過しよううとする。やっと大声や急信号で停車させ数百米も引返してホームに接着させた。捕虜は二車輌が専用になっていた。
 捕虜がホームに降り立つと、マイクで英語放送が始まって、シンプソン少将が
「米艦隊司令官として、諸君を引取りに来た、艦隊に収容したのちそれぞれの本国に帰えされるであろう、艦に着いたなら速〈スミヤカ〉に調書に所要の事項を記入すること、捕味中迫害された事項などもそれに記入すること」
 というような意味であった。
 捕虜は三回程に分けて上陸用舟艇で軍艦に運ぷことになった。
 司令官は私を呼んで「早く水先案内人を出せ」と命令する。
 警防団員に頼んで乗って貰うことになっていたが、いざとなると容易に乗ってくれない。
「憲兵分隊長最後のお願いだ。頼む」
 やっと三人の案内人が出来て、各舟に一人づつ乗ることになった。ところが昼食時で空腹だから食事をとってから行くという。
 カーペンター大尉に「連中腹が空いているから、艦に着いたら食事を出してやってくれ」と頼むと、「承知した」というので、私は「本艦でどえらい御馳走をしてくれるというぞ」とはげまして第一便が出発した。防
 約二時間ほどして第一便が戻って来た。見ると、水先案内人は、抱え切れぬ程の缶詰やパン、ビスケットのような物を持って上って来た。
 現金なものである。それを見ると今まで控えていた連中が、わたくしの所に寄って来て
「分隊長、こん度はわたくしをやらせて下さい」
 と水先案内の志望者が続出するということになった。
 日本人は懐柔に弱いという。このときふと、こんなことを考えた。もしも日本の本土に敵が上陸し一部が占領され、軍政をしき、日本の軍隊を味方に入れたとすると、本土掃蕩を日本人の手でやらせる。そうなると日本人同志の戦争が起こって、同胞相喰む結果を招来したのではなかろうかと。
 こうしてその日は三回程に捕虜を運んで、第一日を終ったのであるが、米軍司令官は新居駅における収容作業が便利であることをよろこんで、四日市港における収容を変更して、約一週間ばかり停泊を続けたのである。自分は管区外であったので、新居憲兵分隊長にあとを一任した。
 この捕虜引渡し中に起こった話題を拾ってみると、次のようなことがあった。
 最初に上陸した新聞記者連中は、日本に上陸した記念に何か日本の土産を持ち帰えりたかったのであろう。新居町の民家を訪問して、そこにある国旗や扇子をくれと頼む、それをやると喜こんでお礼を言って行く。
 新居警察署長は面白い人物であった。何んでも土産になる物をやれば喜こぶというので料亭で使う割箸の赤いきれいな袋に入れたのを駅付近の民家に配って、『ジャパニーズホーク』と言って渡すと、感謝してガムやキャラメルをくれ、それをバンドに刺して歩いていた。
 二、三日して、艦隊を半舷上陸〔乗員の半数を上陸させること〕させた日のことであった。心配した婦女暴行等のことはなかったが、滑稽な事件が起った。
 それは舞坂町で、神社の祠〈ホコラ〉を開けて、御神体である金紙の幣束を持ち帰えった者があった。舞坂区民の届け出によって、自分も出張して新居分隊長と共に、例のカーペンター大尉にかけ合い、神社の冒涜は日本国民に悪感情をあたえるから善処してほしいと申込んだ。
「それは大変なことをした。艦に戻って調査する」
 ということであったがその翌日になって、
「艦でお祭りをして返すから、神官と町民代表が艦に来てくれ」
 との返答で、神官と氏子代表が艦に赴き、艦上で祭典を行ない、御馳走も出て無事に戻ってきた。

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