◎彼らは満洲事変が満洲で止まることを欲しなかった
『日本週報』の第四八・四九・五〇合併号(一九四七年三月二三日)から、岩淵辰雄の「続 敗るゝ日まで 一」を紹介している。本日は、その二回目。
〇一切は日本陸軍の陰謀
こゝ十数年に亘つた戦争は、一から十まで、日本の陸軍が負うべきものである。欧洲における第二次の大戦が、ヒットラーに責任があつたように、今次の戦争ほど、欧洲に於ても、日本に於ても、責任の存在の明確なものは、これまでの歴史に於ても珍しいことである。
勿論、日本の陸軍のなかに在つても、戦争に反対し、戦争を早期に解決しようとして努力した少数の人物がいる。しかし、それらの人々は、陸軍内部からの陰謀によつて、次ぎ次ぎに勢力を失墜し、発言権を喪失し、没落せしめられた。
それと同時に、陸軍以外のものにして、陸軍と提携し、これと協同して、積極的に事態を推進したものと、消極的に軍の威力に追随して、かえつて軍の力を増大せしむることに役立つたものとがある。何れも、軍と共に責任を分担すべきものである。満洲事変も、支那事変も、そうして陸軍を主動勢力として、陸軍以外の人及び勢力の協同、合力〈コウリョク〉によつて、計画的に起され、一度、事態が起ると、これまた計画的に拡大に導かれたものである。
満洲事変は、一時、満洲の分野だけで、一応、結論づけられ、解決されそうな事情にあつた。しかし、戦争挑発者は、満洲事変が満洲で止まる〈トドマル〉ことを欲しなかつた。彼等は、満洲から更に事変を拡大する為に、外にあつては戦火の口火を支那に求め、国内にあつては事変の拡大を阻止する人と勢力に対して、叛逆を企て、これを暗殺し、牢獄に閉じ込めた。
昭和七年〔一九三二〕の五・一五事件から、昭和十一年〔一九三六〕の二・二六事件は、そうして国内に起つた恐怖事件であり、その間の種々なる紛糾は、その為に計画的に行われた陰謀の不祥事件であつた。かくして、一旦、納りかけた満洲事変の燃え残りの火は、新たに搔き立てられて、蒙古に飛んで綏遠〈スイエン〉事件となり、北支に転じて、支那事変の導火線となつたのである。【以下、次回】
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