◎『維新前後に於ける立憲思想』実業之日本社版
尾佐竹猛〈オサタケ・タケキ〉の名著『維新前後に於ける立憲思想』には、一九二五年(大正一四)の初版以来、各種の版がおこなわれているが、最も参照に値するのは、戦後の一九四八年(昭和二三)一〇月一五日に出た実業之日本社版であろう。林茂による校訂がゆきとどいているからであり、同じく林茂による「解題」がすぐれているからである。
本日は、同書の「解題」の「一」を紹介してみたい。
解 題
林 茂
一
先づこの書「維新前後に於ける立憲思想――帝国議会史前記」の成立ち〈ナリタチ〉から見ることにしよう。この書が書物のかたちではじめて世に公けにされたのは大正一四年一二月のことであるが、故吉野作造博士がこの書の巻頭に収められた「本書推薦の辞」で明かにされてゐるやうに、その内容はすでに「帝国議会史前記」と題して明治大学明大学会発行の雑誌「法律及政治」第一巻第二号(大正一一年六月)から第三巻第六号(大正一三年六月)まで――その間第一巻第八号だけ載せられなかつた。第二巻は震災のために九、一〇の二ケ月は休刊して発行されたのは一〇号だけであつた。合せて二二回二年余にわたつてその「資料」欄に連載されてゐたものである。それを、吉野博士によれば、同博士のすすめとあつせんとで一本にまとめて一年半後に公刊されたもののやうである。
この書には三つの版がある、といつてもよからう。
初版は四六版一冊、上にも述べたやうに、大正一四年一一月二九日印刷同年一二月一日発行、東京銀座の文化生活研究会から発兌〈ハツダ〉され、発行者は東京市京橋区尾張町二ノ一五福永重勝、印刷者は同芝区南佐久間町一ノ三和田操、定価四円五〇銭である。本文六九八頁、それに著者の緒言八頁と索引一七頁とがそれぞれ巻頭ならびに巻尾につけられてゐるほか、巻頭に前掲吉野博士の「本書推薦の辞」が収められてゐる。なほ口絵および挿絵として、明治二年の議会(公議所)之図、阿部伊勢守正弘、箕作阮甫〈ミツクリ・ゲンポ〉と米国議事堂(地球説略所載)、万延元年の遣米使節、文久元年魯都〔サンクト・ペテルブルグ〕に於ける福澤諭吉と文久二年伯林〈ベルリン〉に於ける福地源一郎、坂本龍馬・後藤象二郎(慶応三年の)、文久二年和蘭〈オランダ〉に於ける西周助と津田真一郎〔真道〕と天保五年の大鳥圭介、橋本左内と嵯峨根良吉〈サガネ・リョウキチ〉、長崎に於ける大隈八太郎(重信)と副島二郎(種臣)、横井小楠、征夷大将軍徳川慶喜、明治天皇、徳川慶喜、福澤論吉と加藤弘蔵誠之、柳河春三、五箇条の御誓文第一案、三岡八郎(子爵由利公正)・大政官拾両札、五箇条の御誓文第二案、木戸準一郎(孝允)、明治天皇、明治元年函館に於ける榎本釜次郞〔武揚〕と荒井郁之助、山内容堂・大村益次郎、戊辰戦役の土佐軍、明治二年の神田孝平〈タカヒラ〉、三条実美・岩倉具視、慶応四年江戸の目安箱、明治二年の東京図(公議所及び待詔局の位置を示す)、岩倉具視、集議判官神田孝平、江藤新平、河野信次郎廣中(十八歳)と自由之理および大蔵大輔井上馨・参議大隈重信・工部大輔伊藤博文の計三二葉、収録写真絵図四二種がある。
第二版は前後両篇二冊に分けて、前篇は昭和四年四月一五日増訂改版、後篇は同年一〇月五日印刷同一〇日発行された。発行者は東京市神田区三崎町二丁目十一番地邦光堂前田重蔵、印刷者は同芝区南佐久間町一丁目三番地和田操、定価はそれぞれ二円ならびに二円五〇銭、表紙背に「増補」の文字があり、増補改訂版であると同時に普及版でもある。前篇は本文「第九章五箇条の御誓文」まで三〇八頁 、および付録として「五箇条の御誓文と木戸孝允」(一―一二頁)ならびに「五箇条の御誓文」(一二―一七頁)の二篇計一七頁をおさめた。それぞれ「新旧時代明治文化硏究」(第三年第九冊)および「経済往来」(第三巻第一号)に発表されたものである。なほこの巻には吉野博士の「本書推薦の辞」の他、別に本書初版公刊後、著者におくられた穂積陳重、上杉慎吉、美濃部達吉、末弘嚴太郞、穂積重遠、立〈タチ〉作太郞、三浦周行、小野清一郞、鵜沢総明および石井研堂諸氏の私信の全部または一部、同じ頃この書に対して公けにされた批評紹介すなはち、徳富蘇峰「維新前後に於ける立憲思想を読む」(国民新聞大正一五年二月一九日)、内田魯庵「読書巡礼」(抄)(中央公論大正一五年一二月第四一巻第一二号)、奥平武彦「維新前後に於ける立憲思想」(国家学会雑誌第四〇巻第二号)、「時評」(法律新聞第二五四三号)および平林初之輔「維新前後に於ける立憲思想を読む」(大正一五年一〇月一七・八日都新聞)など計三四頁をおさめた。後篇には「第十章政体書」以下の本文三〇七―六九八頁の他、巻頭に昭和四年一月二六日史学会講演、後に同会編「明治維新史研究」(昭和四年)に収められた「明治維新の憲政史的意義」(三二頁)を加へ、巻尾に「地方民会」(一―四六頁)「明治初年に於ける憲法制定の議」(四七―一〇二頁)および「初期の政党」(一〇三―一二五)の三篇計一二五頁を付録とした。それぞれ「明治文化」(第五巻第八・九号)、「明治文化研究」(第四巻第九・一一冊第五巻第一・三・四冊)および「社会学雑誌」(昭和四年四月)に発表せられ、最初のものは発表後少し加筆されてこの書に収めたものである。「索引」が収められたことは初版と同様である。なほ口絵および挿絵は初版収録のもののほか御誓文発布式場の図、五箇条の御誓文第三案の二葉二種が前篇に、政体書の草案、行政官の印、副島二郎(種臣)と福岡孝弟、明治元年の板垣退助、太政官の印、集議院の印および左院の印の計七葉八種が後篇に都合九葉一〇種が新に加へられ、すなはち前後両篇合計四一葉五二種が収められた。
ところが著者はその後「維新前後に於ける立憲思想の研究――帝国議会史前記――」を世におくられた。四六版一冊、昭和九年九月五日印刷同九日発行、発行所は東京市牛込区弁天町一七四番地中文館書店、発行者は同番地中村時之助、印刷者は同芝区田村町四ノ二〇番地福井安久太、定価四円五〇銭である。題名はすこしちがつてゐるがその内容は前の二書とほぼ同様である。前にあげた書の第三版といつてさしつかへがないであらう。さきに、この書には三つの版があるといつてもよからう、と記した所以である。本文六九八頁、付録として再版前後両篇に収められた五篇の中「初期の政党」の一篇は「明冶文化研究」第一輯(昭和九年)に発表された「坂本龍馬の『藩論』」ならびにそれについての藤井甚太郎、西田長寿および大村丈夫の三氏の研究(一二〇―一四七頁)ととりかへられた。「明治維新の憲政史的意義」(六九九―七三〇頁)と「索引」とを巻尾に付けたことは再版と同様であるが、初版以来の吉野博士の「本書推薦の辭」ならびに再版に収められた著者自身の「普及版を出すに就いて」および諸家の書評・私信などはすべて除かれた。口絵および挿絵は、明治二年の議会(公議所)之図、五箇条の御誓文第一案、五箇条の御誓文第二案、御誓文発布場の図、五箇条の御誓文第三案、慶応四年江戸の目安箱、明治二年の東京図(公議所及び待詔局の位置を示す)および河野信次郞廣中(十八歳)と自由之理の八葉九種だけが収められてゐる。