◎夕食は焼きめしに豚カツ(1945・7・4)
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、七月一日~七日の日誌を紹介する(一九八~二〇六ページ)。その間は、日誌が飛んでいる。
七月一日 (日) 晴後曇時々雨
午前七時半起床。朝食もそこそこに服装をととのえる。昨夜十二時、下番後、体を洗い、汗を拭いてゆっくりして床についたので、今朝は眠気を感じる。今日からの一週間は二勤の勤務だ。
午前八時、上番する。今日の隊長は珍しくといっては失礼だが、第一装の正規の軍服を着て長靴を履き、軍刀も腰に着けている。何事ならん。いつもの隊長らしくもないと内心思ったが、口に出すべきでないと、レシーバーを耳に当て机に向かう。上山少尉も正装して軍刀を着けて入って来られ、直立不動の姿勢を取って敬礼された。
「申告致します。上山修、昭和二十年七月一日をもちまして陸軍中尉に任ぜられました。ここに謹んで申告致します」
隊長は、「おめでとう。今後とも頑張って下さい」と。
自分もおめでとうといいたいが、下士官の分際でそんなことはいえたものではない。上山中尉が退出し、すぐ高橋少尉も正装し、軍刀を着けて入って来られた。敬礼した後、部屋の中のことを思ってのことか低い声で、
「申告致します。高橋信夫、昭和二十年七月一日付で陸軍中尉に任ぜられました。ここに謹んで申告致します」
隊長は、「おめでとう。今後とも頑張って下さい」と。
この人もかと思う。高橋中尉は甲幹出身と聞いたが、われわれはどうなるんだろうかと疑問がわく。二等兵で入営し、幹部候補生になって一ヵ月後から座金つきの一等兵になり、毎月のように昇格して兵長が昨年の七月、半年経て本年一月、伍長の階級になっている。軍曹の階級はいつなんだろう。だれ一人聞く相手もないし、そんなことを聞けば笑われるだけの時局多難な時節だ。
高橋中尉も部屋を出られた。隊長は、「やっぱり服をきちんと着ると暑いわい」といいながら部屋を出ていかれた。将校はほかにも何人かおられるようだが、自分は隊長とこの二人の中尉のほかの将校は全然知らない。どうやらこの二人の中尉で職分を二分し、分担しておられるようだ。【中略】
午後四時十分、メモを整理した後、上下番の挨拶をして下番する。上山中尉は午後からはずっと事務所におられたが、下番時にまだ残って、いつものように小さな文字で手帳にメモされていた。
今日はいろいろなことがあって非常に疲れた。いつものように入浴をしてホッとする。洗濯をすませ、夕食を食べて生きかえったような気になった。
七月二日 (月) 晴
午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「昨夜のニューディリー放送におきまして、昨日ボルネオ島のバリックパパンに、英豪の連合軍五千人が上陸したと放送しました」という。忘れていたところに忘れていた奴がやって来て、日本としてはまさに満身創痍の感がする。
昨日は突如として久しぶりに空襲に来たが、今日は敵さん、休みの日とみえて静かである。午前、午後とも勤務中どこからもベルなし。【後略】
七月三日 (火) 晴
午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告である。
「昨夜午後十時、ニューディリー放送では、昨日、米潜水艦より樺太の海豹島〈カイヒョウトウ〉に対し艦砲射撃が行なわれた旨放送がありました」
樺太がやられたと聞いたのは、はじめてである。
一日の空襲、昨日は静かだったから、今日あたり注意を要する。ところが、今日も静かである。レシーバーをかけ、一日中、机に対峙するもどこからもベルなし。午後四時、下番す。【後略】
七月四日 (水) 晴
午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「前勤務者田原候補生の申し送りでありますが、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、昨日(七月三日)、米B29五百機は高知から高松、姫路、さらに徳島と空襲し、爆撃を加えた旨の放送がありました」という。
五百機で四都市、一都市平均百二十五機がぐるぐる旋回して投爆すれば、おそらく火の町となるであろう。広東にかりに百機来て投爆されれぼ、軍も街も壊滅に近いだろう。
こちらは重慶側に武器の貸与が少ないのと、飛行兵が少ない上に飛行兵の養成ができてないのが幸いしているのだろう。
いかに戦いとはいえ、内地のように戦争に関係のない者までも空襲し、爆撃することは絶対許せぬ。昨日の四都市への爆撃でも、一般人の家を焼かれ、衣食住を奪う状態は、本来の戦争の考え方からすると邪道ではないだろうか。
その点、相手である蒋介石軍は日本軍の施設、基地、部隊、輸送物資は狙っても、一般支那人は絶対に狙わない。同一民族という点からすれぱもっともとうなずけるが。
かつての日支事変のころから、日本は支那軍を対象としたが、支那人街とか一般の支那人は攻撃していない。B29五百機に対し、異常な腹立ちを感じて興奮をおぼえた。
机に向かい、椅子に座り、耳にレシーバーを正面にマイクを立てて待っているが、今日もどこからも電話はかかって来ない。
正午のNHKのニュースによれぽ、インドネシア建国に向けてスカルノらが日本軍政と協力して新国民運動を準備中と、同盟〔通信〕電を放送している。午後も電話はない。電話のないのはよいことなのだが、時間の経過は遅い。敵機来襲となると、時間なんか忘れてしまう。逆にもうこんな時間かと驚くくらいだ。
午後四時、下番する。いつも思うのだが、二勤後のゆったりした気分は格別。人間は昼働き夜休むのが自然体だ。夕食は焼きめしに豚カツまたよし。
七月五日 (木) 雨
朝から雨だ。雨雨降れ降れ、日本内地はもっと降れ。
午前八時、上番する。下番者からの特別報告はなし。内地に雨が降っているのだろうか。席に着くと、だれがが削ったのか奇麗に鉛筆が並んでいる。芯まで尖っている。
午前十時ごろ厠に行ったが、雨はやみそうもない。一日降るなあ。
正午のNHKニュースでは、松根油〈ショウコンユ〉生産本年度第一、四半期(四月~六月)の日本一は宮城県で、割当の百五十七バーセントに達し、中でも同県の柴田郡は二百七十二パーセントであると伝える。NHKはよいことだけしか放送しない。
午後も雨はつづく。午後三時になると、もう今日はお客さんは来ないなあと思うようになる。午後四時、下番する。【後略】
七月六日 (金) 晴
今日は朝から快晴、昨夜早く寝たので午前六時に起床し、さっそく洗濯する。洗濯が終わったころ、早朝点呼の声が遠くで聞こえる。まったく治外法権にしてもらっているのは有難い。朝食までに全部干し終わり、さっそく一枚の衣袴は上番準備に着用する。雨が上がったら、一度に暑い日になった。
午前八時上番。天候も回復し、そろそろ敵さんがやって来るころだがと思っていると、ベルが鳴り出した。【中略】
午後は台風一過ともいうべきで静かな半日だった。午後四時、下番する。さっそく今まで着ていた衣袴と褌〈フンドシ〉揮靴下をもって洗濯に出かける。情報室は扇風機があるといっても、汗が出ては乾き、出ては乾きの運続だから、勤務についたときはピチッとした服装も、終わりにはヨレヨレとなってくる。【後略】
七月七日 (土) 晴
午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「前勤務田原侯補生の申し送りでは、昨日午後十時のニューディリー放送によれば、昨日(七月六日)、米軍B29約百二十機が千葉市を空襲し爆撃したと放送しております」という。千葉市だけを百二十機でね。
いま住んでいる広東市に百二十機を想定して見た。軍施設はもとより、街々も焼け野原になる。それと同じことが繰り返されている。これでもか。これでもかと。日本に都市はなくなるのではないかとも思う。昨日と違って今日は静かだ。どこからもベルはない。
正午のNHKニュースでは、『第一次帝都集団帰農』の戦災罹災者百九十七世帯九百二十二名は、拓北農兵隊として北海道へ向け昨日(七月六日)、上野を発ったと放送がある。これも悲しいニュースだが、悲しみを乗り超えて新天地での前途の多幸を祈りたい。前回より予定人数が減ったが、いろいろと都合があってのことだろう。
午後もまったく静かである。午後四時下番。下番後は毎日の洗濯、入浴、タ食と、同じ生活のリズムの中を同じように今日も進める。