goo blog サービス終了のお知らせ 

礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

鈴木首相、ポツダム宣言を無視すると声明

2016-07-20 04:47:20 | コラムと名言

◎鈴木首相、ポツダム宣言を無視すると声明

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』から、七月二〇日~七月三〇日の日誌を紹介する(二一八~二二三ページ)。

 七月二十日
 待望のソ連政府の回答が佐藤〔尚武〕大使より報告されて来た。ソ連の回答は要するに、日本政府の申入れは具体的といふわけにいかぬ。また近衛公派遣の目的も明瞭でない、従つてソ連政府としては現在、回答を与へるわけにいかぬ、といふことである。
 佐藤大使からはネゴシエーテッド・ピース(商議和平)に入り得る見込みはない、無条件降伏でなければ、和平は不可能である旨の意見を具申して来た。
【一行アキ】
 午後六時、最高戦争指導者会議構成員会合が開かれた。右のソ連の回答についての緊急協議の必要が生じたからである。協議の末「近衛公の派遣は対米、英和平の斡旋をソ連政府に依頼するためであることを申入れ、且つ近衛公は日ソ間の問題につき交渉を進めるとともに、戦争終結に関する日本の具体的意図を齎してモスコーに赴くものであることを通告することに決定した。(註)
 東郷外相は、これに基き、佐藤大使に再び詳細なる訓電を発した。
【一行アキ】
 外電によれば、ポツダム会談は十八日すでに第二次三頭会談をなし、会談の議題は欧州問題の一応の討議終了に従ひ、早くも極東問題に入らんとしつつある。
【一行アキ】
 (註)
 余が軽井沢から丁度帰京した七月十二日、宮中の御召があつて拝謁、特派使節として渡ソする御下命を拝した。これに対し佐藤大使から更に重ねて交渉条件は無条件降伏でなければ不可なりとの進言があり、一方陸軍は又急に強硬なことを言ひ出したので余は非常手段を決意した。それは嘗て余がルーズヴエルト大統領に会談を申込んた時と同様の手段だ。即ちあの時は陸軍の承知しなつた中国よりの撤兵問題を彼と会つで解決すると同時に会見地から陛下に直接電報を以て御裁可を仰ぎ、決定調印するといふ非常手段を用ひようとしたのであるが、今回も同様の手段によらんと決意したのである。即ちソ連に対しては何等の条件をも提示せずモスコーで話合の上そこで聞いた条件を以て陛下の御勅裁を仰ぎ、これを決定することとした。で、七月十三日ソ連宛近衛を出向かせる旨の電報が打たれたが、十六日から開かれるポツダム会談にスターリン氏が出席間際にこの電報が到着したので、返事が後れる旨の通知があつた。さらに七月二十日にソ連から電報が來て、近衛特使の使命が明確でないから明かにしてもらひたいとのことであつた。と言ふのは、七月十三日の電報が極めて抽象的なもので
「陛下は平和を希望して居られる。それについて近衛公爵を派遣される」
 といふ漠然としたものであつたからだ。従つて、七月二十一日の返電には、
「陛下が平和を希望して居られ、近衛はソ連の仲介によつて米国との講和を依頼に行くのである。その条件は近衛がそちらへ行つてから話をする」
 と大体かやうなことが書かれたのである。(近衛公遺稿「週刊朝日」掲載)

 七月二十二日
 ボツダム会談の内容、経過については、簡単な公表だけで、連合国特派員らはこれに対し大いに不満であると報ぜられてゐる。が、諸種の外電を綜合すると今日の会談において、正式に極東問題、即ち対日問題が討議された模様である。

 七月二十六日
 英国における総選挙のため、二十四日ポツダム会談は休会となり昨二十五日チヤーチル首相、アトリー国璽相らが帰英したと報ぜられた。ところが、今日に至つて突如、ポツダムからトルーマン大統領、チヤーチル首相、蒋介石主席の連名で米英華三国共同宣言が発表された。
 この宣言には、スターリン首相の名が入つてゐない。然し、スターリン首相は当然これに対し諒解を与へたと見るの外はない。ただソ連は日本と交戦関係にないために、共同宣言に参加してゐないものであらう。
 三国共同宣言をもつて、ソ連を通ずる日本の和平提議に対する事実上の回答と見做すべきであるかどうか。
 最高戦争指導者会議構成員の会合では、鈴木〔貫太郎〕総理、東郷〔茂徳〕外相はじめ大多数は、このポツダム宣言を受諾するの外に途なしといふ意見であつた。ただ東郷外相は、ソ連に向ひ和平の仲介を依頼した手前があるので、この三国共同宣言に対する我方の態度の決定はソ連政府の我が和平仲介の申入れに対する態度を見極めた上になすべきである、との意見を述べた。豊田〔副武〕軍令部総長は意見を異にした。ポツダム宣言は士気にも影響するので陛下の大号令を得て、拒絶的態度を明かにすべきである、と主張した。ために、ポツダム宣言を受諾すべきか、受諾すべからざるかは未決定となり、ソ連の回答を待つため、暫く事態を見極めることとなり、散会した。
【一行アキ】
 ひきつづく同日の閣議においても、ほぼ同様の意見が繰り返へされた。結局、事態を見極めた上、我方の回答を発することになつた。他方、ポツダム宣言の発表の方法について種々、論議が重ねられたが、これは、ノー・コメント(批判を加へず)で発表し、国民に刺戟を与へないやう大袈裟に取扱はないことに意見が一致した。

 七月二十八日
 定例情報交換会議の席上ポツダム宣言の発表方法が再び問題となつた。東郷外相は欠席していたが、ノー・コメント(批判を加へず)といふよりはむしろ、イグノーア(無視する)の方が適当であるとの空気である。
【一行アキ】
 鈴木首相は午後、内閣記者団と共同会見した際、日本はポツダム宣言を無視するとの意味を述べた。

 七月三十日
 鈴木首相声明に対する反響が続々打電されて来る。何れも、日本はポツダム宣言を拒否した。日本は与へられたる和平への最後の機会を自ら抹殺した、といふのである。
 日本の真意を計りかねて、世界は日本との和平問題が全くデツド・ロツクにのしあげたとの印象を受けた。日本に於てさへ、消息通の間では、これで、近衛公派遣の件はもとよりソ連を通ずる和平提議はすでに絶望ではないかと危ぶまれるに至つた。

*このブログの人気記事 2016・7・20(7・8位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする