ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

4年ぶりの新潟ハーフマラソン、田園地帯を気持ちよく(?)走った  (3;最終)

2023-03-21 20:03:30 | RUN

曽野木地区を外れると、また田園地帯を行く。

スピードを上げられるものなら上げたいところだが、ここんところ15km以上は走っていない。

完全に足に来た。

16kmまでの1kmは6分19秒と、このレースで最も遅くなってしまった。

そこで、再び抜かれたランナーで付いていけそうな速さの人の背後について、走っていった。

ただ、目の前が女性ランナーだと、自分がなんだかストーカーっぽく思えて、情けない。

それでも、背に腹は代えられぬ、懸命についていく。

だから、⑰6分00秒、⑱6分01秒と持ち直した。

 

遠くにあったビッグスワンスタジアムとハードオフエコスタジアム(エコスタ)に少しずつ近づいているのを感じてはいる。

だが、楽にはならず、足はますます重くなっていった。

19km地点では、1kmが6分11秒とまた遅くなった。

この辺は、エコスタのすぐそば。

自分の脚も痛いが、同様のランナーも多くいて、歩くことしかできなくなった人もいる。

「あと少し、がんばりましょう」と思わず声をかけた。

19.1kmのところにある最後の給水地点で、水を1杯飲んだ。

脚が自分のものではなく、象の足のように重く感じた。

20㎞を過ぎ、ここまで来た以上は、あとはゴールにたどりつくだけ。

この1kmは、さらに動きが鈍くなり、6分28秒もかかってしまった。

田園地帯を走るのは気持ちよかったけど、ガチガチの脚がきつくて痛くて動かなくなっていることは否定しようがない。

 

ガード下をくぐり、やっとの思いでビッグスワンのそばまできた。

ここからあとわずかだというのに、Nスタンド入口への上り坂が歩くようなスピードでしか進まない。

案の定、あとで見たら20kmまでの1kmのラップは、最遅速の6分42秒/㎞。

 

それでも、ようやくスタジアム内に戻ると、正面のオーロラビジョンに自分の姿も小さく映る。

だが、なんてカッコ悪いフォームなんだろうと、自分の走っている姿を見て思う。

ゴールまで残り30,40mのところに、ゲストランナー市河麻由美さんが迎えてくれた。

「ご苦労さん、がんばったね」の声に、思わず、

「今年も、応援ありがとうございました!」と返し、

その足で、ゴールゲートをくぐった。

記録は、2時間8分50秒。

4年前は、自己ベストの1時間44分台を記録したのだが、25分くらいも遅くなってしまった。

まあ、仕方がない。

これが高齢化であり、体調不十分であり、練習不足であるということだ。

それでも、給水所以外の場所では、どんなに遅くなっても歩かなかったことが誇りだ。

(あ、写真撮影で足を止めたこともあったっけ…)

 

ゴール後、スタジアム内を半周歩きながら一度外に出て、預けていた手荷物を取りに行こうとしたら、どうしても階段を上って2階に上がらなければならない。

これがまた、限界を超えた脚にはきついのなんの。

ようやく上って、荷物を受け取って、荷を出そうとしていたら、私よりだいぶ早くゴールした息子と遭遇。

寒い日陰から暖かい陽の当たるスタンドに移動して、しばらくゆっくり寒暖いや歓談。

ゴール後に受け取ったおにぎりを食べ、記念に写真を撮ってもらった。

 

スタジアムの2階から、階段をゆっくり下りて下に行くと、岸本・横田・山本のゲストランナー3人との撮影会をやっていた。

大会前とは違って、後ろのパネルには、3人の自筆の(?)サインも書かれてあった。

自分の子どもよりも若い彼らとは、一緒の写真を撮るよりも、目を細めてその行動の様子を眺めている方が楽しい。

 

とにもかくにも、ゴールにはたどり着いた。

ハーフでこれだけ疲れているのだから、10月のフルマラソンなんて完走は難しいよな、と思った。

そう思いながらも、疲れ切って脚がボロボロ状態になりながらも、

やっぱり走るのって、サイコー!

 

翌日になって、筋肉痛・関節痛は出たが、幸い、ここのところ必ず出てくるクラクラ感や胸のあたりの不調感は出なかった、ラッキー。

次の大会は、2週間後の笹川流れマラソン大会。

同じくハーフを走る。

体力を回復し、また走れる喜びを味わいたいと思っている。

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4年ぶりの新潟ハーフマラソン、田園地帯を気持ちよく(?)走った  (2)

2023-03-20 21:39:14 | RUN

2km近くからは、いわゆる「弁天線」を走っていく。

この両側には、様々な会社の事業所や営業所がある。

そのせいか、まとまった人数で応援している人たちが目に付いた。

同じ職場から走っている誰かを、仮装しながら応援している人も多かった。

 

そんな姿を見ながら走っている自分は、今回も「アイシテルニイガタ」のレプユニ姿。

アルビのレプユニ姿は、やはり結構多く見かけたが、この辺りでは背番号「3」を見た。

今季のレプユニで、「3」は、トーマス・デン。

前日の浦和戦は、「恩返し」ならずアルビは負けたが、はつらつとしたデンのプレーは目を引いた。

だから、「昨日もトーマス・デン、がんばっていましたよね」と話しかけた。

すると、「でも、負けちゃったからね」という返答。

「これから、もっと活躍しますよ。がんばりましょう」とさらに返して、抜いて行ったのはその頃はまだ元気だった私。

(だが、15キロを過ぎたころには、この「デン君」に抜き返されたのであった。)

 

4㎞を過ぎた辺りで、後ろから元気のいい女性の声が聞こえてきた。

ゲストランナーの市河麻由美さんが、スタート地点での宣言通りに最後尾から抜いてきたのだ。

4年前の大会では、その時にもゲストランナーだった市河さんに激励されたりハイタッチしたりした記憶があった。

 

会心の自己新記録! ~2019新潟ハーフマラソン~(後編) - ON  MY  WAY

1日明けて、今日は太ももが筋肉痛である。やはり昨日の自己新記録をもたらしたRUNは、体にハードだったということを改めて認識させられた。さて、昨日書いた続きに行こう...

goo blog

 

「4年前も今年もありがとうございます。」と話しかけると、

「意外と風が冷たいね。昨日新潟に着いたら、寒くてびっくりしたよ」と答えてくれた。

レースが昨日じゃなくてよかった、という話を交わして、先に行ってもらった。

 

5km地点に近くなると、田園地帯を行くなあ、という感じになる。

そして、5、5㎞地点には、初めての給水があった。

風が冷たいので、あまり汗もかいていないが、スポーツドリンクだけを口にした。

 

「嘉瀬」から「酒屋町」にかけては、両側に集落が並ぶ。

このような街の中だと風の影響を受けずに走りやすい。

8㎞を過ぎ、その集落を抜けると、野球のグラウンドがあるのだが、毎年ここでは少年野球の可愛い子どもたちが、ユニフォーム姿でランナーに声援を送ってくれる。

ほとんど男の子だったが、最後に女の子も1人見かけた。

今年の子どもたちは、ハイタッチをねだっている子が多かったが、まだ感染症禍なので、私はやめておいた。

 

9㎞地点近くでは、毎回のことだが赤青黄色の3人の仮装レンジャーたちが、ランナーたちを励ましてくれる。

ありがたいなあ。何度通っても笑える。

これを写真に撮ろうとスマホを構えたのだが、スマホが反応してくれず何回かやってあきらめた。残念。

 

そこから先、3,4kmを田園地帯を行く。

 

11㎞地点で、2つ目の給水。

渡す仕事をしている人たちも、次々と紙コップに注いでいくのは大変だろうと思う。

足元に転がった空のペットボトルが、大変さを物語る。

 

この辺で、「コース残りあと半分」とは思ったものの、最近は走る距離が少なくなっているからきつさを感じるようになってきた。

ここまでのラップタイム、最初の1㎞が6分04秒。

2kmまでの1㎞が5分55秒。③5分40秒 ④5分49秒 ⑤5分47秒 ⑥6分05秒 ⑦5分59秒 ⑧5分57秒 ⑨5分52秒 ⑩5分50秒 ⑪5分57秒。

4年前に自己記録を出した時には、キロ5分を切って走っていたのになあ…と、思っても詮無きことを思う。

 

おおむねキロ6分を切る速さで来たものの、同じ速さで来た人たちからどんどん離れていくのを感じるようになった。

そこで、目の前をよりよいリズムで走っている人の後方に付いて走るようにした。

風を受けるのを避けつつ、前の人の速さにならって行こうとするのだ。

しばらく同じ人を目標にして3kmほど走っていった。

 

 

やがて、曽野木中学校の近くの交差点から、信濃川大橋の近くまで折り返す、往復3kmの曽野木地区の街なかを走るコース。

応援の人も多い。

街だなあ、と思いながら走っていると、折り返しを過ぎて走ってきた息子と会った。

今朝は別々の行動で、会っていなかった彼とハイタッチをした。

私よりも2.5kmほど前を行っているということか。

そして、ハワイやオーストラリアでもマラソンを走ってきた、同年代のSIさんからも声をかけられ、ビックリ。

400mくらい先を行かれているようだった。

 

信濃川大橋のたもとで、間もなく折り返し。

折り返し点の印は、今回も「越乃寒梅」の特別な一升瓶のデザインになっていた。

【これは本物…これに似せた折り返し点】

みんななぜか触りたがって、タッチして回って行っていたなあ。

 

やがて、後続で走ってきたランナーの中にまた知り合いの方がいて、すれ違いざま声をかけてくれた。

2年前に担任した子の進学先の先生。

ごせん紅葉マラソンの際にお会いして、教え子が元気でいることを教えてくださった方。

うん、ちょっと元気が出たぞ。

 

この街なかの外れ近く14.8㎞に、3番目の給水地点。

以前は、この地点に大きなイチゴなどが並んでいたのになあ、と残念がって見ていた。

すると、スポーツドリンクや水のほかに、珍しく「アップルジュース」も置いて配っていたので、私はそれをいただいた。

たまには、違うものを味わいたい気分だったのだ。

 

ここまでで15㎞。

⑫6分08秒 ⑬6分08秒 ⑭5分58秒 ⑮6分08秒

キロ6分のペースは維持できなくなってきた。

付いて走ろうと思うのに、そう決めた人に付いていけない。

まだ、6kmもあるのに、きついなあ…。

そう思った。

4年前なら、あと6kmしかない、という感覚だったのに…。      (つづく)

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4年ぶりの新潟ハーフマラソン、田園地帯を気持ちよく(?)走った  (1)

2023-03-19 20:48:51 | RUN

新潟ハーフマラソン2023,4年ぶりの開催に参加してきました!

4年前よりも30分ぐらい遅くなったけど、なんとかゴールできたよ。

ああ、しんどかった!

いつものように少しずつレースを振り返っていくことにする。

 

4年ぶりに、にスタジアム外の田園地帯を走るコースで大会が開催された。

郊外のビッグスワンスタジアムがスタート・ゴール地点なので、どうしても車で行かないと不便。

だけど、参加料が7,500円と高いのに、さらに駐車料金1,000円も取られるのは、ちょっと考えもの。

でも、青学大の岸本と横田、城西大の山本と、箱根駅伝やマラソン大会で活躍した地元出身選手をゲストランナーに迎えていたので、地元のために金を出すか、と参加を決心した。

 

いつもサッカーの試合でアルビレックス新潟の応援に行くデンカ・ビッグスワンスタジアムがゴール&スタート場所。

 

車を止めて、駐車場からスタジアムに歩いていくと、いつもと雰囲気が違って見えた。

ガード下をくぐって、スタジアムに近づくと、走るためのコースが分かるように、長々とカラーコーンが並んでいた。

1週間、熱を測り、問診結果を記録し続けたアプリを使って受付をすると、スタジアム前には、ゲストランナー3人がデザインされたパネルが飾ってあった。

階段を上り、よく行くSスタンドに行くと、ビジョンには大会を示す文字が映し出されていた。

場内を開放してウオーミングアップに走ることもできた。

だが、私は、走っても疲れるだけだから、見ているだけだった。

 

やがて、ビジョンには、ゲストランナーの3人が紹介された。

 

山本選手。次は4年生だから、箱根駅伝はもちろん、最終学年での活躍を期待しているよ。

横田選手。マラソンで活躍と言えば、JR東日本では県出身で高田千春選手もいたはずだから、二人で県勢の活躍を期待!

岸本選手。GMOインターネットで、吉田選手や大迫選手からいい影響受けてさらに飛躍を!

さて、スタートの時間が近づいたので、手荷物を預けて、指定された場所へ。

スタートゲートから順番に、S,A,B,C,Dと場所を指定され、ゼッケンにも書かれてある。

 

ところが、SやAの参加者は陽が当たって暖かかっただろうけれど、私が指定されたCやDは、スタジアムの陰で、文字通りの「日陰者」。

今朝の日陰は、寒くて寒くて仕方がなかった。

アームカバーと手袋が役に立ったが、ほかにも寒がる人が多数いた。

スタート地点のMCが、「元気ないですね~?」と言っていたが、寒いところにいた私たちには元気が出ないよ。

 

9時、ようやく出発。

日陰から日なたに出られて、スタート合図から2分以上たってから、ようやくスタートゲートにたどりついた。

ここでもう一人のゲストランナー、市河麻由美さんがランナーにはっぱをかけていた。

「全員が行ったら、私は後ろから抜いていくよ!」と。

はい。がんばってください。

 

1km走ると、公道に出た。

陽射しが暖かいが、田んぼを渡る風は意外と冷たく強い。

記録に挑戦するわけではないので、まあそれなりに楽しく行きたいな、と思いながらも、大勢の市民ランナーと走ると、ついついがんばろうとしてしまう自分もいた。(つづく)

 

 

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J1復帰後、初敗戦 ~2023アウェイ浦和戦~

2023-03-18 19:47:11 | アルビレックス新潟

J1に復帰昇格して、開幕戦4試合負けなしだったアルビレックス新潟。

だけど、負けてしまった。

残念だ。

 

第5節の対戦相手は、苦手な浦和レッズ、対戦成績は、5勝5分け28敗。

とくにアウェイ戦は過去の対戦で1度くらいしか勝ったことがない。

試合会場が埼玉スタジアムなら、多くのサポーターが訪れたはずだが、今回は駒場なので、アウェイの新潟の席は多くなかった。

新潟サポーターで多くの人が、チケットが取れなかったようだ。

だから、大勢のサポーターの後押しを受けられずに相手の大声援のなかでの試合とは、ちょっと選手たちが気の毒。

入場できた新潟サポーターも、がんばって声援を送っていたことはわかったけどね。

 

試合前に発表された先発メンバーを見たら、驚いた。

欠かせないメンバーと思われた、MF高宇洋、DF藤原の名前がない。

ベンチ入りすらしていない。

DFの千葉やFWの谷口はケガだろうと思うが、新潟の戦いを知っている身としては、交代層の薄さを感じてしまった。

 

だが、先制したのは、新潟だった。

前半10分、新井のパスを受けた太田が、見事なシュート。

これで今季3点目。

彼のシュートは、3本とも美しいなあと感心。

 

先制するとずうっと負けていない新潟。

これは今日も行ける、と思った。

前半は、新潟のいいパスがつながる時間もあった。

だが、前半の終盤、たまたまクリアのボールが浅かったところを、浦和に決められた。

35分に、元日本代表の酒井に、ゴール右端に。

そして、前半終了間際の45+2分に明本に空中のハーフボレー弾で。。

いずれも、すばらしいシュートだった。

さすがJ1と思わせてくれた。

すでにアディショナルタイムの1分は過ぎていたから、審判がその前に笛を吹いてほしかったのだが、コーナーキックの判定だったために、1プレイさせる判断がなされたようだ。

もったいなかったなあ。

だが、2本ともすごいシュートだったから仕方がない、と思った。

ただ、シュートを放った選手への寄せが少し甘かったといえるかもしれない。

 

後半の反撃に期待したが、降り続く雨のせいで滑るピッチの影響もあり、新潟の攻撃も今一つ精彩を欠いた。

太田と鈴木に代えて、ダニーロ・ゴメスとグスタボ・ネスカウを入れても見たが、有効な一手にはならなかった。

最後に、小見とケガから復帰の堀米を、三戸と泰基に代えたが、いかんせん時間が短かった。

 

後半は、互いに有効な攻撃を展開することができず、1-2のまま試合終了。

伊藤涼太郎、トーマス・デンの両選手、古巣浦和への「恩返し」ならず。

新潟、初敗戦。

だが、今日が初スタメンだった星や新井は、しっかりした活躍ぶりだった。

誰が出ても、力は変わらないチームになっていると確かめられた気もする。

 

スタッツを見てみると、シュートの本数が少なすぎだった。

後半になると、特にそうなりやすい。

いつも、松橋監督は、相手が強いほど自分たちの力が引き出されて強くなることができる、ということを言っている。

だから、敗戦も次への糧となるはずだ、とポジティブに考えたい。

 

敗れたとはいえ、スコアは、1-2の1点差にすぎない。

さらに課題を克服して力をつけていけば、もっと強くなる。

ケガをして出なかったと思われるメンバーだって、徐々に復活して来ることだろう。

今の面白いパスサッカーがさらに洗練され、楽しくなることだろう。

そう信じている。

 

リーグ戦は、4月1日まで休みとなる。

その間、来週日曜日26日には、ルヴァン杯ホーム鹿島戦があるが、ケガをしている選手たちが回復する時間にもなるはずだ。

まだ5戦しか終わっていない。

リーグ戦は、まだまだ、これからこれから。

 

Visca Albirex !!!

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すごさを感じた大谷のバント

2023-03-17 20:11:28 | スポーツ

昨夜のWBC準々決勝イタリア戦、大谷のプレーに、なんともいえないすごさを感じた。

ピッチングもそうだったが、最も深く感じたのは、あの先制点につながったバントだった。

 

大谷がバントをしたのは、0-0の3回裏の日本の攻撃だった。

一死から近藤が四球を選んで、一死一塁。

ここで打席に立った大谷。

「ホームラン、ホームラン、オオタニ!」という歓声がスタジアムいっぱいに響き渡っていた。

そう、大谷には、誰もが先制につながる一打を期待した。

 

その初球、持っていたバットをスッと沈めて、大谷が取った行動は、バントのモーションだった。

まさか!?
ここでバントする!?
相手チームのみならず、味方チームの監督や選手たち、スタジアムの観衆たちの誰もが思っていなかったプレーの選択だった。

 

単なるバントをするふりだけかとも思ったが、大谷は本当にバントした。

本当は、空いている、もっと三塁線寄りに決めようとしたのだろうが、投手の手が届くくらいのところに転がってしまった。

だが、予想外の大谷のバントに、処理を焦って急いで投げた相手投手は、一塁に悪送球してしまった。

 

このプレーにより、一塁ランナーは三塁まで進め、一死一、三塁にチャンスは広がった。

そして、次打者の吉田の内野ゴロで先制に成功し、岡本の3ランで一挙4点。

日本は、試合を優勢に進め、勝利することができた。

 

この大谷のバント、勝利につながったというだけでなく、すごく深い意味があると思った。

まず、これはあくまでセーフティーバントだったが、自身はアウトになっても得点のチャンスを広げようとする、自己犠牲の精神からきているものだった。

自分が仮にアウトになっても、チャンスが広がりさえすれば、チームメートがそれを生かして得点を決めてくれる。

そうなれば、勝利に近づくはず。

そして、なぜこういう選択ができるのかといえば、チームメートを信じているからこそ、だ。

チームメートの力を信じているからこそ、こういう選択ができる。

 

野球は、集団で行うボールゲームだ。

自分一人で行うものではない。

メンバーの力を合わせてこそ、チーム力が上がり勝利に近づける。

高校野球で多用される送りバントには、そういう意味があり、だからこそ重用される。

 

そのことを知っていても、自分に対する周囲の期待は送りバントではない、と考えればバントはしないで強打を選択するだろう。

それが普通だ。

だが、大谷は自らの判断でバントを選択した。

リーダー的な存在の選手が、自分を犠牲にしてまでもメンバーを信頼したプレーを実行する。

「みんなで、戦うのだ。」と。

その選択は、チームメートたちに、「自分たちが信じられている」ということが実感を伴って伝わってきたことだろう。

それが、チーム全体にさらなる奮起をもたらしたことは間違いないだろう。

 

野球とは違うが、チームスポーツや職場の仕事でも、信頼感に基づいた行動が結束を強めたりよい結果を生み出したりする。

現職時代、学校現場でも、子どもたちや職員の皆さんがそういうことをたくさん見せてくれたっけなあ…(遠い目…)。

 

ともかく、昨夜の一戦、大谷のバントで日本代表チームがさらに結束を強め、一体感を伴った戦いができていることを見ることができた。

 

さて、昨夜の一戦を終えてすぐに、深夜のうちに日本チームはアメリカに飛んで行った。

時差ぼけ等克服しなければならない条件は多々あると思う。

だが、チームの一体感をフルに展開して準決勝、決勝と、日本チームらしさを発揮して勝ち抜き、栄冠を勝ち取ってほしいと思う。

日本代表チームに栄光あれ!!

 

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「春の雑草の花、四天王」に、ツクシに、キュウリグサの花まで…ちょっと早過ぎやしないか!?

2023-03-16 17:06:08 | 草木花

この冬は、当地では大雪と呼べる状態になったのは、12月と1月に各一度。

大きく言ってその2度だけだった。

12月に降ったときには、今冬はどれほどの大雪になるのかと思ったのだが、さほどではなかったと言える。

だから、例年だと道端の野草にも目がいき、早く花が咲くといいなあ、と思ったものである。

 

以前ここでは、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ハコベ、タネツケバナの4種の雑草の花を、当地の「春の雑草の花、四天王」と書いた。

 

春の雑草の花、四天王 - ON  MY  WAY

ようやく新潟でも、桜の開花が見られるようになってきた。今年の春は、雪解け以降寒い日が続いた。なかなか暖かくならないから、桜のつぼみもなかなかふくらまなかった。桜...

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13年前、これを書いた時期は、4月だった。

それが、今年は、すでにそれらの花が咲いて久しい。

春が来た、と咲き誇っている。

 

オオイヌノフグリも

ヒメオドリコソウも

ハコベも

タネツケバナも

もうすでにあちらこちらで花を咲かせている姿を見かけるようになった。

 

それなら、ツクシも見られるはずだ、と思ってキョロキョロしてみると、たしかにあった。

早春のシンボルであるが、見つけた場所が、家の近くのコンクリートの隙間だというのには、ビックリであった。

 

ビックリと言えば、ワスレナグサやルリソウに似ているが、もっと小さいこの花がすでに咲いていた。

キュウリグサだ。

普通は5月ごろに見かける花なのに、3月の今、もう咲いている。

ちょっと早過ぎやしないか?

 

とにもかくにも、早い春の訪れを雑草たちも喜んで花を咲かせているということになるのかもしれないね。

 

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迎春花ことオウバイが鉢で満開

2023-03-15 20:05:47 | 草木花

たくさんつぼみをつけたと思ったら、あまり日をおかないうちに、一気に花を開かせた。

わが家のオウバイである。

オウバイ…黄梅と書く。

その名の通り、黄色い花がとてもきれいだ。

わが家では、3つほど鉢植えにしてあるのだが、今年は1つの鉢の花が多く咲いた。

今が満開だ。

 

同じく早春に黄色い花を咲かせるものにロウバイ(蠟梅)がある。

ロウバイと同様に、「黄梅」というから梅の仲間かと思ったが、梅の香りがない。

ロウバイの花は、確かに梅の香りがする。

オウバイは、香りからではなく、花の形が梅の花に似ているところから名付けられたようだ。

 

もう少しウイキペディアで調べてみることにした。

 

ウメは、バラ科サクラ属。

ロウバイは、クスノキ科ロウバイ属。

オウバイは、モクセイ科ソケイ属。

実は、それぞれ違うのだな。

 

中国名は、「迎春花」というそうだが、いかにも咲いたら春が来るという気がする、この花にふさわしいすてきな名前だと思う。

 

オウバイの花言葉をほかのところで調べてみると、

☆期待

☆控えめな美

☆恩恵

の3つがあると出ていた。

3つ目についてはよくわからないが、

★春が来るという期待

★小さく可愛らしく咲くという控えめな美しさ

が確かにある。

納得できる花言葉だ。

 

陽光を浴びて咲いているさまは、こちらの気持ちをほっとさせるものがある。

さすが、迎春花。

ひなたぼっこしながら、しばらくじっと見とれてしまったよ。

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マンガ家「寺田ヒロオ」を知りたくて ~「少年のころの思い出漫画劇場 寺田ヒロオの世界」(寺田孝雄監修;講談社)を読む~

2023-03-14 21:46:29 | 読む

子どものころ、マンガ家にあこがれていたこともあって、苦労してマンガ家になった人たちの立志伝とも呼べるマンガやエッセーなどは、いろいろと読んできた。

そのマンガ家に憧れていた人たちにとって、聖地ともいうべき場所が「トキワ荘」だった。

最初は普通のアパートだったのに、手塚治虫が住み、寺田ヒロオが住むようになった。

手塚治虫がアパートを出ていったあとに、藤子不二雄の二人、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ほか…が入っていった。

若いマンガ家たちの「城」にもなったトキワ荘。

彼らが青春時代を過ごしたともいえるトキワ荘ゆえ、たくさんの逸話が生まれたのであった。

 

だけど、自分にとって、そのマンガ家たちのメンバーの中では、寺田ヒロオについては、よく知らないのだ。

「スポーツマン金太郎」などの代表作があるとは知っていたが、具体的にどんなマンガだったのかよく知らない。

私が夢中になってマンガをよく読むようになった時代には、寺田ヒロオのマンガはもう少年雑誌には載らなくなっていたのであった。

 

だけど、トキワ荘の話には、必ず登場して来る寺田ヒロオ。

もう少し、彼について、そしてその作品について知りたいと思って、図書館で1冊本を借りてきた。

それが、この「少年のころの思い出漫画劇場 寺田ヒロオの世界」(寺田孝雄監修;講談社)

 

代表的な作品として、マンガが3つ載っている。

「背番号0」

「スポーツマン金太郎」

「暗闇五段」

の3つが、マンガそのものと登場人物、その前後のあらすじなどが載っていた。

 

いずれの話も、今見ると登場するキャラクターたちが、昔のギャグマンガのような姿で描かれている。

だが、ストーリーはスポーツの真剣勝負や微笑ましい友情ものもあり、見ていて楽しいマンガであった。

高校時代は野球が好きで、野球部でも活躍していた寺田。

スポーツマン金太郎などは、その経験が生かされた、たしかに面白い野球マンガだった。

川上監督や長嶋選手など、実在の人物も登場している中に、金太郎が野球をして活躍するのだから、事実とフィクションが混じっていて面白い。

 

後半には、寺田だけでなく、手塚治虫や藤子不二雄らの寺田に関する思い出話が掲載されている。

彼は、トキワ荘の仲間やマンガ家仲間の中では、兄貴分としての存在だったようだ。

「新漫画党」という若手マンガ家たちの勉強会を結成して、そこでも中心として活躍したとのこと。

そして、仲間たちや後輩たちへの面倒見もとてもよかったというエピソードが披露されている。

だから、多くの人たちから好かれていたということが書かれている。

 

だが、時代が進んで急激に劇画調のマンガがどんどん広がっていくにつれ、彼のタッチのマンガは時代から取り残されていったようだ。

本人は、子ども向けのマンガには刺激が強い表現のマンガはいらない、という強い意志があったようだ。

その意志から、自分のマンガのタッチを変えることなく、マンガ界から離れていった。

とはいえ、間違いなくマンガ界に大きな貢献をしていたことが分かった。

 

子どもたちのためのマンガを描いていこうとしていた寺田ヒロオ。

思いやりと優しさがありながら、意志も強い人だったのだということを知った。

亡くなったのは、もう30年余り前の1992年。

享年61歳は、やはり早過ぎた。

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今年も高崎市染料植物園に春の花に会いに行く

2023-03-13 18:06:46 | お出かけ

先週、今年もこの角度から高崎白衣大観音が見える場所へ、春の花見に出かけた。

その場所は、高崎市染料植物園。

ここに出かけるのは、3回目。

いずれも、3月上旬のお出かけ。

去年も行ったから、どんな花が見られるのかはだいたい分かっていたので、安心して(?)訪れた。

 

入園してすぐのところに、明るいミモザの花が咲いていた。

その当日は、国際女性デーだったから、ちょうどよいお日柄。

 

3種の梅の花も、満開。

ロウバイ。

紅梅。

白梅。

いずれもピークは過ぎつつある感じ。

 

サンシュユも花盛り。

 

その下には、日陰のせいか、少し遅く咲いたフクジュソウが葉の緑も美しく輝いていた。

 

温室の中に入ってのぞくと、この時期咲いていた花は、ソウシジュ

そして、ベニヒモノキ。

いずれも、温室だけに珍しい。

もう一つ、これってバナナの花だったよね!?

 

再び外の道を歩く。

しだれ梅の花に出合った。上品で美しい感じ。

 

去年は通らなかった道を歩いていくと、頭上にマンサクの花。

新しい発見、ラッキー。

 

そして、何気なく下にあった大きな箱のようなプランターの中をよく見ると、小さな花が咲いているではありませんか。

これは、セリバオウレンの花だ。

いくつも咲いているのに、最初は全く気付かなかった。

小さいけれども健気に咲いている白い花の発見に、ちょっぴり感激!

 

 

埼玉から新潟へ帰る途中の寄り道ではあったが、青空の下で春を感じる明るい花々に会えて、とてもうれしい時間をもつことができたよ。

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いわきFC、J2昇格後初勝利!

2023-03-12 21:59:02 | スポーツ

昨日で東日本大震災から12年。

干支でいう、ちょうど「ひと回り」。

それだけの時間を経ても、まだまだ解決しなくてはいけない問題が多いことこの上ない。

 

特に、福島県には原発のことがあるから、震災のほかに人災と言える被害の影響が多く残っている。

なかでも浜通りの方はひどい被害を被った。

 

その地域に、Jヴィレッジ…日本サッカーのナショナルトレーニングセンターがあった。

だが、被災によって、そこも、全面閉鎖され、国が管理する原発事故の対応拠点となっていたこともあった。

部分的に再開されたのは2018年7月28日からで、同年9月8日には新しい全天候型練習場の利用が始まったが、この建物は、実は東京電力が原子力発電所立地地域の地域振興事業の一つとして総工費130億円を投じて建設し、福島県に寄付した施設だったとは、あまりよく知られていなかった。

そんな立派な施設がありながら、福島県には有力なサッカーチームがなかった。

 

だが、現在J3には福島ユナイテッドFC、J2にはいわきFCというクラブがある。

特に、あの大震災の後でどんどん大きくなり力を伸ばしてきたのが、浜通りのいわきFCだ。

設立されたのは、大震災の翌年2012年。

2013年に「一般社団法人いわきスポーツクラブ」を設立し法人化した、いち地方のサッカークラブに過ぎなかった。

それが、順調に進化を遂げてきた。

 

2015年 福島県社会人サッカーリーグ3部東ブロック

2016年 福島県社会人サッカーリーグ2部

2017年 福島県社会人サッカーリーグ1部

2018年 東北社会人サッカーリーグ2部南

2019年 東北社会人サッカーリーグ1部

2021年 日本フットボールリーグ(JFL)

2022年 J3リーグ

2023年 J2リーグ

 

それぞれのカテゴリーでほとんど優勝しながら上がってきた。

とんとん拍子の出世である。

だが、ここまで来るのには、しっかりしたビジョンを持ち強化を続けてきたからだ。

そのことについては、去年ここで書いたこともある。

 

いわきFC,JFL優勝そしてJ3昇格おめでとうございます! - ON  MY  WAY

いわき市にはいわきFCというサッカークラブがある。そのいわきFCが快挙を成し遂げた。11月27日の今日現在、32試合中31試合を終えて、20勝3敗8引き分けで、勝ち点68。2位の...

goo blog

 

 

また、理念については、クラブのHPを見てもらうとよくわかるが、しっかりしている。

 

いわきFC OfficialSite

「スポーツを通じて、いわき市を東北一の都市にする」という理念の元、2015年12月にプロサッカークラブ「いわきFC」を発足しました。日本のフィジカルスタンダードを変え、...

いわきFC OfficialSite

 

 

昨季J3に上がると、すぐにJ3優勝を果たしたいわきFC。

ここまで順調に進んできたが、今季昇格したJ2では3試合戦って1引き分け2敗と、なかなか勝てずにいた。

 

第4節は、同じ東北の雄、ベガルタ仙台とのアウェイ戦だった。

3月12日にベガルタ仙台といわきFCの一戦が組まれるということは、やはり同じ被災県どうしの戦い。

ここには、込められた意味があると感じていた。

東日本大震災からの“復興応援試合”だ。

震災発生から12年と1日が経過した日に、スポーツの試合ができるというのは、平穏な日常生活ができている象徴だ。

いい試合を期待した。

 

今日のその一戦は注目され、NHK-BS1でも放送があった。

期待したように熱い試合となった。

ベガルタ仙台のホームでの戦いだったが、いわきが堂々の戦いを見せ、1-0で仙台を破って、J2初勝利を挙げた。

2季前にはJ1にいた仙台に、2季前にはJFL所属だったいわきが勝ったのである。

素晴らしい躍進ぶりだ。

 

いわきFCのホームタウンは、いわき市だけでなく、双葉郡広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、葛尾村、浪江町など、特に原発関連で大きな被害を受けた浜通りの自治体名が並ぶ。

いわきFCの活躍は、地域の人々にとって、きっとこれからも大きな希望の灯となるに違いない。

J2でのさらなる大暴れを期待したいと思うし、そう願っている。

 

 

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