ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「フジ子・ヘミング真実の軌跡~ドラマでは描かれなかった物語~ 」(喜多 麗子著;角川書店)

2024-05-14 18:08:14 | 読む

フジコ・ヘミングの名前は知っていた。

その彼女が4月21日に亡くなっていたことが、この連休中、彼女の公式ホームページから発表されていた。

彼女が、聴力を失いながらも情熱的な演奏をするピアニストであるということは聞いていた。

波乱万丈な人生を送って来たということも。

だけど、恥ずかしながら、じかにピアノ演奏を聴いたこともないし、どのような人生だったのかもよく知らなかった。

そこで、図書館で彼女の名前を見た時に、その人生を知ってみたいと思って、本を借りることにした。

 

2003年秋に放送されたドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」は、菅野美穂が演じて話題となり、そこでフジコ・ヘミングを知った人も多かった。

その番組の制作にあたってインタビューを重ねた際、フジ子本人があらためて自身の足跡を吐露したという。

ドラマでは収まり切れない量の人生とわかったので、本書は、プロデューサーが、改めて本にまとめたのだということだった。

その本が出版されたのは、2004年のことになる。

もう20年も前の本ではあるが、書名の「真実」に変わりはないだろうと考えて、本書を選択した。

 

本書では、母の影響が非常に強かったことが描かれている。

それは、フジ子にピアノを教える以前の母・投網子の生き様まで書かれていることからも分かる。

その母から厳しくピアノをたたき込まれ、幼少の頃から天才ピアニストとして脚光を浴びてきたフジ子。

厳しさに逃げ出す彼女だが、幼少期はアカマンマが一面に赤く咲く原っぱが心のよりどころだったという。

だが、時代もあって、素晴らしい才能を持って生まれながら、決して恵まれているとは言えない境遇に育つ。

外国人の父は、日本から出た後、帰ってくることがなかった。

その後も、様々な苦難が彼女を襲う。

右耳の聴力を失ってしまった。

ピアノで生きるために外国に渡ろうとしたら、国籍がなかった、という問題も起こったりした。

それでも、ピアノの演奏を通じて、なんとか乗り越え、ようやくピアニストとして生きる道が開けようというときに、いつものように起こるアクシデント。

そして、きわめて貧しい生活の連続。

そんな生活に追われながらも、彼女の心の奥底で厳しかった母が支えになっていた。

 

やがて、母の死を契機に35年ぶりに移住した日本で、彼女は奇跡の復活を遂げた。

なんという波乱に満ちた人生だろう。

 

本書では、その彼女の言葉が、2つ心に残る。

①本書の始まりのページに、次の文章があった。

母からは、強く生きること……「忍耐」を教わった。

「母は、世の中で一番好きな人だったけれど、天国では、一緒に住みたくない」

と彼女は微笑んだ。

 

②ピアノの上に乗った猫が、フジ子の頭に向かって、手を丸めて軽くたたくようななでるような様子を見て、〝この子は頑張れと言っているんだ。励まそうとしてくれているんだ″

と気づく。涙が止まらなくなったフジ子は、この子を飢え死にさせないためにもしっかりしなければいけない、と決意した。

後に出てくる言葉がすごい。

「どんな悲しいことがあってももう涙は出ない。だから今、泣いている人なんて、まだ苦労が足りないのよ」

…ははあ~、すみません、そのとおりですぅ~…と心の中で返事をしてしまった。

彼女は、想像を絶するような人生をピアノとともに送ってきたからこそ、なおのこと深く豊かな感性に満ちた音楽を奏でることができたのだろう。

 

彼女の公式ホームページを見ると、今年もたくさんのコンサートの予定が入っていたようだ。

もちろん、すべて中止となってしまったが、多くのファンがいただけに、彼女のピアノの演奏を生で聴く機会が失われてしまったのだなあ、と残念に思う。

たくましく人生をピアノとともに生きてきた彼女の演奏を、今後なんらかの方法でゆっくり聴いてみたいと思っている…。

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