ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

全盲の竹内昌彦氏の話に引きつけられた

2016-08-11 22:03:51 | ひと
「子どもはねえ、教師ががんばった分だけ力が伸びるんですよ。だから、教師には専門性がいるんです。」
しめくくりの言葉はそのようなことだった。
自分自身の体験をもとにした言葉だったから、その話は説得力があった。

去る8月9日は、新潟市・朱鷺メッセで、第50回全日本特別支援教育研究連盟関東甲信越地区特別支援教育研究協議会新潟大会(なんと長い名称だろう)が開催された。
この大会で、社会福祉法人「岡山ライトハウス」理事長及び社会福祉法人「岡山視覚障害者協会」理事の竹内 昌彦氏の記念講演が行われた。
竹内氏は全盲である。
現在71歳。生まれて間もない頃肺炎で右目の視力を失くし、7歳のとき、左目の網膜剥離となり、やがて失明した。

その完全失明直前の学校でのいじめの話も、心に残るものだった。
小学校の入学時には、まだわずかにあった視力で絵を描くことが好きだったと言う。
しかし、目がよく見えないという理由で、周囲の子どもたちからはすごくいじめられた。
口で悪口を言われるだけではない。
食べ物や飲み物の中にごみを入れられ、見えないからわからないでそれを口にすると「ゴミ人間」と揶揄され嘲笑された。
でも、負けたくなかった。
そして、母に心配させたくなかった。
歩いていたら、石を投げられたりもした。
それが悔しいから、復しゅうを考えた。
石ではなく砂を洗面器ですくって取り、それを石投げした子の家に行き、座敷にばらまいた。
家の人が怒って出てきて「何でこんな悪さをするんだ!」と言うから、「おばさんとこの○○が、ぼくにめくらと言って石を投げたから、代わりに砂を投げたんだ。」と、泣きながら答えた。
すると、おばさんは自分ちの子をつかまえてきて、その子の口からあやまりの言葉を言わせた。

こんな悲惨ないじめられる日が、2年生になったら担任の先生が代わって大きく変わった。
「竹内君は、赤ちゃんの時の病気で目がよく見えません。だから、教室の中で一番よく見える席がいいけど、みんなどこがいいと思う?」
「(黒板に大きな字を書いて)竹内、この大きさで分かるか?」と、配慮をしてくれた。
「みんな、隣の席の子は、そばで竹内君に自分のノートを見せて教えてくれとる。ええ子じゃ。優しい子じゃ。」と紹介すると、みんながノートを見せてくれたりして、競争して役に立とうとしてくれた。
クラスでは、竹内氏の役に立ち、親切にすると、先生にほめられて、それが正義というものになった。
先生は、一度も「人権」だの「差別」だのという言葉は使わなかったし、「いじめはいけない」などとも言われなかった。
しかし、先生の姿勢が、60人(1クラス)の子どもたちに対し、あっと言う間に、何が正義で、何が人として恥ずかしい行為かということを教え込んだ。

こんなクラスになるのに、ものの2週間もかからなかった。
そして先生がいないところでも、子どもたちの心は彼を受け入れるようになっていった。
ある日、他の組の悪ガキが来て、「この組に、竹内と言うめくらがいるだろう。どいつだ。」と叫んだ。
静まった中、クラスで一番体が大きくてケンカの強いA君が立ち上がって、その子の前に立った。
「何い。目が悪いのが何だ。お前みたいに頭が悪いのとは違うんだ。文句言わず、帰れ!」
と言い返した。
A君は一躍クラスの、特に女の子たちの英雄になった。
こんないいクラスを作り上げたのは、一にも二にも、担任の先生の力だ。
そう竹内氏は語った。

全盲というとてつもないハンデを背負いながらも、活力のある方だった。
聞いていて、元気になる話だった。



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