4時間目が終わって、給食準備に移ろうかという時、6年生の女の子が2名、訪ねてきた。
「どうしたの?何か用?」
と、聞いてみた。
すると、一人が口を開いた。
「今日、黙とうしませんか?」
どうして?と尋ねると、
「東日本大震災で、私たちと同じぐらいの人やもっと小さい子どもたちがたくさん亡くなっているじゃないですか。だから、その人たちのために、全校で黙とうをしたいと思うのです。どうですか?」
「地震の起きた2時46分に、全校のみんなにやってほしいのです。」
ということだった。
「なるほど。じゃあ、あなたたちが全校のみんなに知らせて、ぜひ、やりましょう。」
「ええ~っ。私たちがですか!?」
「そうですよ。せっかくやろうと思ったのだから、あなたたちがみんなに言うのですよ。」
このように言って、二人のやる気がどこまで本当かを確かめてみた。
「じゃあ、どうすればいいですか?」
本気だ。よし、やろう。
「では、まず、給食の時間にランチルームで、みんなに黙とうの協力をしましょう。そのあと、5時間目が終わったら、担任の先生に言って、2時45分までに職員室に来てください。ここから、全校に一斉に放送しましょう。」
果たせるかな、二人は、給食の「いただきます」の前に、全校の子どもたちに連絡をした。
そして、午後2時40分。
もう2人は、職員室に来ていた。
何やら2人で、メモ書きを考えている様子だった。
そこへ、1人の先生が駆けつけてきた。
「あら、まあ。早いね。じゃあ、言葉を言う練習でもしていなさい。」
2人は、2,3言、声を出して言う練習をした。
やがて、時間は2時46分に近づいた。
さっきの先生は、2人のために、放送のスイッチと呼び出し用のチャイムを鳴らした。
2人は、分担して、さっき考えていた次の言葉を言ったのだった。
「2年前の東日本大震災でぎせいになった方々に、『もくとう』をささげましょう。」
「みなさん、立ってください。」
2階の教室の床から、一斉にいすから立ち上がった音が聞こえてきた。
「これから、30秒間のもくとうをささげます。」
「もくとう、はじめ。」
…私も、彼女らのそばで、目をつぶり黙とうをささげた。
先生が、時間を計ってあげていたようだった。
「もくとう、終わり。これで、もくとうを終わります。」
こう言って、2人は、ごくごく当たり前の顔をして、ひと仕事を終えた。
「よくちゃんとやり切ったね。自分たちだけでしっかりやり遂げたのは、実に立派だと思う。本当にありがとう。」
私は、2人と握手をして、彼女たちの行為をたたえた。
自分たちで、全校のみんなに黙とうをしてほしいと考えた2人。
そして、何の迷いもなく全校のみんなに呼びかけ、実行した彼女たち。
頼もしいと思った。
自分の目の前にこういう子どもたちがいる。
震災復興のために、あまり力にはなれないかもしれないけれど、少しでも自分たちができることをしようとする子どもたちがいる。
今日、震災から2年を自分の中の思いだけで完結しようとしていた私は、自分が恥ずかしかった。
そして、このような子どもたちの存在と行動が、言い表しようもなくうれしかった。
「どうしたの?何か用?」
と、聞いてみた。
すると、一人が口を開いた。
「今日、黙とうしませんか?」
どうして?と尋ねると、
「東日本大震災で、私たちと同じぐらいの人やもっと小さい子どもたちがたくさん亡くなっているじゃないですか。だから、その人たちのために、全校で黙とうをしたいと思うのです。どうですか?」
「地震の起きた2時46分に、全校のみんなにやってほしいのです。」
ということだった。
「なるほど。じゃあ、あなたたちが全校のみんなに知らせて、ぜひ、やりましょう。」
「ええ~っ。私たちがですか!?」
「そうですよ。せっかくやろうと思ったのだから、あなたたちがみんなに言うのですよ。」
このように言って、二人のやる気がどこまで本当かを確かめてみた。
「じゃあ、どうすればいいですか?」
本気だ。よし、やろう。
「では、まず、給食の時間にランチルームで、みんなに黙とうの協力をしましょう。そのあと、5時間目が終わったら、担任の先生に言って、2時45分までに職員室に来てください。ここから、全校に一斉に放送しましょう。」
果たせるかな、二人は、給食の「いただきます」の前に、全校の子どもたちに連絡をした。
そして、午後2時40分。
もう2人は、職員室に来ていた。
何やら2人で、メモ書きを考えている様子だった。
そこへ、1人の先生が駆けつけてきた。
「あら、まあ。早いね。じゃあ、言葉を言う練習でもしていなさい。」
2人は、2,3言、声を出して言う練習をした。
やがて、時間は2時46分に近づいた。
さっきの先生は、2人のために、放送のスイッチと呼び出し用のチャイムを鳴らした。
2人は、分担して、さっき考えていた次の言葉を言ったのだった。
「2年前の東日本大震災でぎせいになった方々に、『もくとう』をささげましょう。」
「みなさん、立ってください。」
2階の教室の床から、一斉にいすから立ち上がった音が聞こえてきた。
「これから、30秒間のもくとうをささげます。」
「もくとう、はじめ。」
…私も、彼女らのそばで、目をつぶり黙とうをささげた。
先生が、時間を計ってあげていたようだった。
「もくとう、終わり。これで、もくとうを終わります。」
こう言って、2人は、ごくごく当たり前の顔をして、ひと仕事を終えた。
「よくちゃんとやり切ったね。自分たちだけでしっかりやり遂げたのは、実に立派だと思う。本当にありがとう。」
私は、2人と握手をして、彼女たちの行為をたたえた。
自分たちで、全校のみんなに黙とうをしてほしいと考えた2人。
そして、何の迷いもなく全校のみんなに呼びかけ、実行した彼女たち。
頼もしいと思った。
自分の目の前にこういう子どもたちがいる。
震災復興のために、あまり力にはなれないかもしれないけれど、少しでも自分たちができることをしようとする子どもたちがいる。
今日、震災から2年を自分の中の思いだけで完結しようとしていた私は、自分が恥ずかしかった。
そして、このような子どもたちの存在と行動が、言い表しようもなくうれしかった。
コメントありがとうございました。
人生を50年以上続けているせいか、こんなものだろう、とか、どうせ、とか思うことの多いこの頃。ある種の達観というかあきらめというかが先走ります。
そんななか、子どもたちの純粋な思いが表れた行動には感心し、教わることが多いのです。
それに加えて、思いを行動に移すことができるようにしてほしい、それが人生を切り開いていく力につながると思っています。
そんな力を付けていけるように支援していきたいと考えているのですが…。