ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

最もうれしいのはしっかり今を生きているということがわかること、だが正反対の報せも届いてしまった…

2023-01-11 20:47:56 | 「育」業
今朝、2年前にかかわりのあった子が、その後もしっかり成長しているのがわかる情報があった。
何回かここで書いてきたが、「育」業を生業としてきた私にとって、最もうれしいのが、別れて以降しっかり今を生きているということがわかることである。
あの頃も自分なりの考えをしっかり持って行動していたその子が、着実に人生を前に進んでいるのがわかったのは、非常に大きい喜びであった。

ところが、今夕思いがけない電話がかかってきた。
去年、久しぶりに電話で声を聞いたT君の父君からであった。
「年賀状をいただいたけれども、今日が命日なので電話したのです」
という声だった。
えっ、えっ、えっ…???
今日が命日?
命日って、亡くなったってこと?
あのしっかりした体のT君が?
まさか?

彼は、しばらく私のFacebookを見て、めったに投稿しない私だったけれども、ことあるごとに、「いいね」のサインは押してくれていたのだった。
夏ごろまで間違いなく、反応してくれていたはずだった。
ただ、去年の12月の彼の誕生日に、「おめでとう」と投稿したが、私のそれにも他の人の投稿にも、何の反応もなかったことは確かだった。
どうしたかな?とは思ってはいた。
それが、…命日?

命日と言っても、もちろん今日ではなかったはずだ。
電話に、「命日とのことですが、いつ亡くなられたのですか?」
と聞くと、どうやら去年の夏だったらしい。
電話でもう少し話を聞きたかったが、父君もあまり語りたくないようで、話の終わりを急いでいるのが感じられ、とても突っ込んでは聞けなかった。

11か月前に、23、24年ぶりに話ができて、しかも私の誕生日に花束まで送ってくれたT君だった。
「自ら省みて縮(なお)くんば 一千万人といえども我いかん 」
という自分の生き様の信条を教えてくれた彼だったのに、いったいどうしたというのだろう?

50歳を生きるT君と話したのは、23,24年ぶり - ON  MY  WAY

T君。電話ではあったが、彼と話したのは、何年ぶりだろうか。たぶん、23,4年たっていると思う。その時会ったのは、彼らが20代後半の時で、同級会だったはず。その5年後くら...

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「育」業を生業としてきた私にとって、最もうれしいのが、別れて以降しっかり今を生きているのがわかるということ、と先ほど書いた。
今回のことは、その逆で、もっとも悲しいことである。
かかわってくれた教え子たちには、齢をとって年長な私より、誰一人早くこの世を去ってほしくないのだ。
このような悲しみを味わうのは、御免こうむりたい。

T君がどのように逝去したのかは、まだわからない。
だが、もうこの世にいないことは事実なのだ。
とても残念だ。
心から彼の冥福を祈りたい。


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