今年もあと1日を残すのみとなった。
娘の入院は、7か月を超えた。
正月で、自宅に帰れる患者も多いようだが、娘は帰れない。
けいれん止めのD剤の点滴が欠かせないからだ。
これがないと、いつまたけいれんが起こるかわからない。
D剤の濃度が4.0から下がらない。
1.5まで下げられたこともあったのに。
医師も慎重になっている。
点滴に代わる、効果のあるけいれん止めの飲み薬があればいいのだが、なかなかそううまくあるものではないようだ。
朝食や夕食後に、娘の飲んでいる薬は、8錠1包もある。
中には、いくつか眠気を催す薬もある。
そのせいもあってか、なかなか脳の働きがしっかりしてこない。
場合によっては、ものの5分もしないうちに、前と同じことを口にしたり気にしたりする。
しっかりしたことを言う時もあるが、現実と幻想の区別がつかない時もある。
記憶が積み上がらないから、今が12月の下旬と知ると、「誕生日が過ぎたのに、何も祝ってもらえなかった…」などと言ったり書きつけたりしている。
そのたびに、ここで私が買ってきた誕生日ケーキを食べたことを話したり、母や前の職場の友人の皆さんや親類の人たちがくれたプレゼントやメッセージを見せたりするのだ。
「こんなにいろいろな人たちが、あなたの誕生日を祝ってくれてたんだよ。」という私の言葉に、涙をぽろぽろとこぼしたこともある。
ただ、最近は、書くことをおっくうがらなくなっている。
10月の頃は、書くと頭が痛くなると言っていたこともあった。
今は、それがなく、いろいろと絵を描くことがある。
ガチャピンのようなキャラクターものもあるが、そうでなく自分で勝手に描く絵もある。
最大の傑作は、看護師さんの絵である。
特に、実際にお世話になっている男性看護師のNさんを絵にしては楽しんでいるのがわかる。
そうやっていることしか、今、時間を使う術がないようだ。
元気だった頃は、テレビを流しっ放しにしていたし、時々DVDを借りてきて見たりしていたのだが、今はテレビをまったく見ようとしない。
自分のすることの選択肢にないようだ。
テレビの伝えるものが、自分の理解するスピードを超えているのかもしれない。
今日は、妻が娘のためにと、グラタンを作った。
娘が食べたいものの一つだったのだが、今までは作ってあげようと考えていると、けいれんが起こって食べさせられなくなったことが多かったのだ。
年末なのに家に帰れない娘のためにと、どうしても作ってあげたかったのだった。
夕食前に、私がそれを持って行った。
「母が作ったんだよ。」
と聞くと、娘の顔が一瞬ゆがんで泣きそうになった。
グラタンは、病院の電子レンジで温めなおして、食べさせた。
ただ、その後は、娘は、食べながらいろいろなことを考えてしまうようで、あまり感激する様子は見られなかった。
でも、「ほっとする」「おいしい」と言っていた。
今年もあと1日。
来年が、娘にとってよい年になりますように。
娘にとってよい年なら、それは私たちにとっても、よい年だということなのだから。
娘の入院は、7か月を超えた。
正月で、自宅に帰れる患者も多いようだが、娘は帰れない。
けいれん止めのD剤の点滴が欠かせないからだ。
これがないと、いつまたけいれんが起こるかわからない。
D剤の濃度が4.0から下がらない。
1.5まで下げられたこともあったのに。
医師も慎重になっている。
点滴に代わる、効果のあるけいれん止めの飲み薬があればいいのだが、なかなかそううまくあるものではないようだ。
朝食や夕食後に、娘の飲んでいる薬は、8錠1包もある。
中には、いくつか眠気を催す薬もある。
そのせいもあってか、なかなか脳の働きがしっかりしてこない。
場合によっては、ものの5分もしないうちに、前と同じことを口にしたり気にしたりする。
しっかりしたことを言う時もあるが、現実と幻想の区別がつかない時もある。
記憶が積み上がらないから、今が12月の下旬と知ると、「誕生日が過ぎたのに、何も祝ってもらえなかった…」などと言ったり書きつけたりしている。
そのたびに、ここで私が買ってきた誕生日ケーキを食べたことを話したり、母や前の職場の友人の皆さんや親類の人たちがくれたプレゼントやメッセージを見せたりするのだ。
「こんなにいろいろな人たちが、あなたの誕生日を祝ってくれてたんだよ。」という私の言葉に、涙をぽろぽろとこぼしたこともある。
ただ、最近は、書くことをおっくうがらなくなっている。
10月の頃は、書くと頭が痛くなると言っていたこともあった。
今は、それがなく、いろいろと絵を描くことがある。
ガチャピンのようなキャラクターものもあるが、そうでなく自分で勝手に描く絵もある。
最大の傑作は、看護師さんの絵である。
特に、実際にお世話になっている男性看護師のNさんを絵にしては楽しんでいるのがわかる。
そうやっていることしか、今、時間を使う術がないようだ。
元気だった頃は、テレビを流しっ放しにしていたし、時々DVDを借りてきて見たりしていたのだが、今はテレビをまったく見ようとしない。
自分のすることの選択肢にないようだ。
テレビの伝えるものが、自分の理解するスピードを超えているのかもしれない。
今日は、妻が娘のためにと、グラタンを作った。
娘が食べたいものの一つだったのだが、今までは作ってあげようと考えていると、けいれんが起こって食べさせられなくなったことが多かったのだ。
年末なのに家に帰れない娘のためにと、どうしても作ってあげたかったのだった。
夕食前に、私がそれを持って行った。
「母が作ったんだよ。」
と聞くと、娘の顔が一瞬ゆがんで泣きそうになった。
グラタンは、病院の電子レンジで温めなおして、食べさせた。
ただ、その後は、娘は、食べながらいろいろなことを考えてしまうようで、あまり感激する様子は見られなかった。
でも、「ほっとする」「おいしい」と言っていた。
今年もあと1日。
来年が、娘にとってよい年になりますように。
娘にとってよい年なら、それは私たちにとっても、よい年だということなのだから。