ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(27)

2013-12-21 10:34:52 | 生き方
慌ただしかった。
家でパソコンを開いたのは、およそ1週間ぶりである。
まったく余裕のない日々が続いていた。
この1週間、もろに疲れた、という感じ。
そのきっかけは、先週金曜日から始まった。

意識障害が改善されないまま、娘は、その先週金曜日の夕方、突然、集中治療室から一般病棟に移された。
突然のことで、娘はパニックになったようだ。
感情が不安定で、よく泣いた。
食欲もなくなっていた。
その日の妻と私は、付き添う親として、娘をなんとか落ち着かせることに腐心した。

その晩から妻は、絶不調。
熱を出して吐き下しの症状。
土曜日から3日間、妻は寝込んでしまった。
いよいよ心身疲れきったところで、体が悲鳴を上げたか?
病院に行くことも、家事もできない、という状況。
もう、こうなると、私がやるっきゃない!…という訳で、奮戦を続けた。
家事一切と、娘の世話。
休むべき土日からくるくると働いて、週末が過ぎ、仕事上最も忙しい一週間に突入するはめとなった。

その間の娘は、不安傾向が強く、よく泣いていた。
火曜日に、やっと気持ちが上向いてきたようで、少し明るくなった。
ノートに書きつける言葉が、この日だけは、少しまともになった。
だが、記憶が積み上がらないことから、同じことに不安を抱いたり、疑問を感じたりすることしきりである。
例えば、体に付いているもの。
心電図をとるための赤青黄のコードや、点滴の管。
体に付いていることに気付くたび、「これは何?」と、取ろうとする。
そのたびに、ていねいに説明をする。
だが、記憶が積み上がらないために、5分もすると同じことをし始める…。
そういう繰り返しは、心底疲れてしまう…。

私自身の職場の仕事も、大わらわ。
だが、娘の病室を訪ねて、食事と就寝前の世話をすることは、毎日必須のこと。
さっさと最低限の仕事だけ終えて、病院に車を走らせる日々の生活。
ようやく病から回復した妻も、それゆえたまった仕事や突発的な仕事で、時々ひどく遅い帰り。
こんな訳で、病室の娘に別れを告げて帰宅し、それから夕飯の支度をして食事の準備が終わると9時。
食べて食器を洗うと、もう寝る時間。
…と身体共に疲れがMAXに達した1週間であった。

昨日は、私の職場の忘年会。
その前に、少しでも娘の顔を見たくて病室に立ち寄ると、目の周りにクマができている感じ。
最近飲んでいる薬は、夕方だと5種類で7錠1包もある。
そこには、眠気を催す働きがあるものも多い。
確かにけいれんを止める効果を確かめるものもあるが、トロンとして眠くなっていることも確か。
その後昨日は、トイレに行った時、転んで顔を打ったらしい。
行動が鈍くなっているうえに、判断力も鈍っている。
ノートに書きつけていることも、残念ながら、正常な人の書くものではない。
いつの間にか、入院しているのが「母(わが妻)」として書かれたりしている。
同じようなことばかり書かれているが、意味をなさないものが多い。
やはり、数週間前に起こった数度のけいれんが、娘の脳に悪い影響を与えているようだ。
9月、10月に起こったけいれんの後は、2週間もすれば少しは記憶の積み上げが見られるようになってきていたのに、今は、積み上がらないでいる。
会話自体は、普通の応答が成り立つのだが…。

忘年会が、盛んな時季だが、娘には文字通り、「忘年」の1年である。
今年1年が記憶に残らないまま、終わろうとしている…。
コメント
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