娘がICUに戻ってから、早くも2週間。
その5日後、途中で再度発作を起こしたせいか、娘の意識障害は、なかなか前回のようには戻って来ない。
最も最近のけいれんの発作から8日がたつ。
1週間以上経過するのだから、そろそろ脳の働きもしっかりしてきてほしいところだ。
その回復度合いあたりが、前回までに比べてもどかしいように思ってしまう。
D剤もまた0.5ずつ濃度を落としてきて、3.5にまでなってきた。
それなのに、ぼーっとしていることは多いし、「父、髪切った?」はとっくに質問回数50回を超えてしまったし。
少しでも、記憶が積み重なっていかないものか、と思ってしまう。
さて、今日は、2時過ぎの面会時間に行くと、療法士の方と、ICU内を歩行器(あの、4本足の、椅子みたいなやつ)を使って歩く訓練をしていた。
娘が歩く訓練をしているのを見たのは、久しぶりだ。
まあ、ちびっこマラソンの全国大会まで行ったとは思えないほど、ゆったりした歩みだけれども。
それでも、立って歩けるならいいじゃないか、とは思った。
昨日は、前の職場の人が2人して、わざわざ娘に「誕生日プレゼント」を持って来てくれた。
娘の大好きなガチャピングッズと、何よりすばらしいアルバム風。
1ページ1ページに、一人一人の写真とメッセージ付箋が付いていた。
はるばる訪ねてくださったことや、こうして娘のために、労力をかけてすばらしいプレゼントをしていただいたことに感激して、私は、涙が出てきて困った。
しかし、病室に持って行ってそれらを見せても、もう少し脳の状態が回復しないと、今のままの娘では、それらを見てすぐに涙にむせぶ…まではいかない。
それよりも、「30才」と書かれた文字を見て、「みそじだあ~」とヘン顔している、今の娘である。
それでも、それなりに真剣な顔をして読んでいた娘ではあったけれども。
感情で「喜怒哀楽」と言うが、けいれんを起こした後の数日間は、娘の感情は「喜怒楽」であり、「哀」はあまりないように感じる。
涙を見せられるということ、泣けるということは、人としての思いがあってからのことだと思う。
娘の様子を見ていると、「喜」「怒」「楽」は、動物でも感じられる単純な感情だが、「哀」はものを複雑に考えられる人間ゆえの感情のように思えてくる。
本来であれば、今の娘の状況は、本人に記憶が少しでもあれば、どれだけ悲しみを感じなければいけない状態なのか、と思う。
特徴的なこの病気のせいで、自分の厳しい状況を忘れてしまうからこそ、すごく単純に生きることができているように思えてしまうのだ。
そのことが、時にありがたく思えることもある、入院後半年経過した12月の今である。
その5日後、途中で再度発作を起こしたせいか、娘の意識障害は、なかなか前回のようには戻って来ない。
最も最近のけいれんの発作から8日がたつ。
1週間以上経過するのだから、そろそろ脳の働きもしっかりしてきてほしいところだ。
その回復度合いあたりが、前回までに比べてもどかしいように思ってしまう。
D剤もまた0.5ずつ濃度を落としてきて、3.5にまでなってきた。
それなのに、ぼーっとしていることは多いし、「父、髪切った?」はとっくに質問回数50回を超えてしまったし。
少しでも、記憶が積み重なっていかないものか、と思ってしまう。
さて、今日は、2時過ぎの面会時間に行くと、療法士の方と、ICU内を歩行器(あの、4本足の、椅子みたいなやつ)を使って歩く訓練をしていた。
娘が歩く訓練をしているのを見たのは、久しぶりだ。
まあ、ちびっこマラソンの全国大会まで行ったとは思えないほど、ゆったりした歩みだけれども。
それでも、立って歩けるならいいじゃないか、とは思った。
昨日は、前の職場の人が2人して、わざわざ娘に「誕生日プレゼント」を持って来てくれた。
娘の大好きなガチャピングッズと、何よりすばらしいアルバム風。
1ページ1ページに、一人一人の写真とメッセージ付箋が付いていた。
はるばる訪ねてくださったことや、こうして娘のために、労力をかけてすばらしいプレゼントをしていただいたことに感激して、私は、涙が出てきて困った。
しかし、病室に持って行ってそれらを見せても、もう少し脳の状態が回復しないと、今のままの娘では、それらを見てすぐに涙にむせぶ…まではいかない。
それよりも、「30才」と書かれた文字を見て、「みそじだあ~」とヘン顔している、今の娘である。
それでも、それなりに真剣な顔をして読んでいた娘ではあったけれども。
感情で「喜怒哀楽」と言うが、けいれんを起こした後の数日間は、娘の感情は「喜怒楽」であり、「哀」はあまりないように感じる。
涙を見せられるということ、泣けるということは、人としての思いがあってからのことだと思う。
娘の様子を見ていると、「喜」「怒」「楽」は、動物でも感じられる単純な感情だが、「哀」はものを複雑に考えられる人間ゆえの感情のように思えてくる。
本来であれば、今の娘の状況は、本人に記憶が少しでもあれば、どれだけ悲しみを感じなければいけない状態なのか、と思う。
特徴的なこの病気のせいで、自分の厳しい状況を忘れてしまうからこそ、すごく単純に生きることができているように思えてしまうのだ。
そのことが、時にありがたく思えることもある、入院後半年経過した12月の今である。