昨夜は、ひどく疲れて、真っ先に寝床に入った私だった。
今朝は、妻のすすり泣く音で、目が覚めた。
理由があった。
昨日の娘の状態が非常に悪かったからだ。
夕方に行ってみると、娘があははと笑っていた。
娘が見ていたのは、先日いただいたアルバム風の写真。
「早く元気になって」というコメントもある。
それなのに、娘は、それを見て「全部可笑しい」と言って、笑っていた。
夕食の時間なので、それを取り上げて食事を食べさせようとすると、なかなか食べようとしない。
箸でわずかのご飯やわずかのおかずをつまみながら、少しだけ口に入れて、何十回もそしゃくする。
あげくの果ては、ご飯をわずかに乗せた箸を持ちながら、「私、これ食べていいの?」と何回も聞く。
そして、泣き出す。
前回は、「哀」を感じないなどと書いたが、それが嘘のように泣いたり、そして突然笑い出したり…。
感情が滅茶苦茶で、まるで脳内を嵐が吹き荒れているかのような娘の姿だった。
後で昼食時に世話に行った息子から聞いた話では、昼食は、何も手を付けなかったのだという。
食べなよと言っても、泣くばかりで食べなかったのだそうだ。
あげくの果ては、泣いた時に鼻をかんだティッシュを、おかずのシチューに突っ込んだという。
私が行った夕食時は、あまりにも食べようとしないので、箸やスプーンを取り上げ、ひと口ひと口ご飯やおかずを食べさせてやった。
口に入れると、何回も何回もかむ。完全に口の中にものがなくなるまで、次のひと口は食べてくれなかった。
そんな時でも、少しだけ正気に近い瞬間があった。
聴いてみると、泣きながら「何が何だかわからない。」のだと言う。
そうか、頭が勝手にいろいろ考えているんだね、と言うと、そうだと答える。
「何をすればいいのか、わからない。」と言うので、「まずは食べることだよね。」と何度も言い聞かせ、食事を口に運んだ。
娘に食べさせるなんて、赤ん坊の時以来、28,9年ぶりだった。
食事を終えるのに、75分間もかかってしまった。
歯みがきをさせても、「いつまで磨けばいいの?」などと聞いてきたりもした。
動作はスローモーだし、判断力はないし、言うことはハチャメチャだし、こちらとしては、本当に途方に暮れながら世話をしたのだった。
だから、疲れた。
半年以上たって、またおかしくなっている。
なぜ悪化したのか、状況の悪いのがいつまで続くのか、ひょっとすると、もうよくなることはないのか、といろいろと考えた。
それは、妻も同じだった。
だから、夜中に目が覚めたら、娘のことを思うと、もう涙を流すことしかできないのだった。
今日、私は、数時間休みをとって、午前中から病院に行った。
行ってみると、娘は、髪をとかしていた。
おはよう、と話しかけると、幸い、娘は、前の日には言わなかった言葉を言った。
「父、髪切った?」
「…それ、71回目。」
と言うと、娘は明るく笑った。
それでもまだ、次の言葉は今日も言っていた。
「私は、何をすればいいの?」
「今は、病気だから入院しているの。だから、病気を治すのが一番いいの。でも、することがないから、絵をかいても、本を読んでも、自由に何をしてもいいんだよ。」
などと、ノートやもらったアルバムなどを見せながら、2,3回説明した。
やがて、昼食時間になったら、娘は、献立をノートに書いた。
そして、しっかり自力で食べることができた。
途中で、頭が少しだけしっかりしてきた、と思える瞬間があった。
「父は、お昼はどうするの?」
「途中で、ラーメンでも食べれば?」
…人の心配ができるとは、いいことだ。
具合が悪い時は、自分のことしか考えられないのに、人の心配ができるとは、うれしい。
今日は、少しよくなっている、と確信した時、娘は、また本日何回目かのセリフを言った。
「父、髪切った?」
「それ、78回目。」
まあ、いいや。
床屋へ行ってから、10日間言われっぱなしだけど、昨日とは違う娘だから。
夜、家に帰ると、病室を訪ねてきた妻や息子が、昨日と違った娘の姿に、やはり喜んでいた。
…ずっと一喜一憂する毎日が続いている。
できれば、「一喜」は数多くあってもよいのだが、「一憂」は一つもない方がよいなあ、と思ってしまう私たちである…。
今朝は、妻のすすり泣く音で、目が覚めた。
理由があった。
昨日の娘の状態が非常に悪かったからだ。
夕方に行ってみると、娘があははと笑っていた。
娘が見ていたのは、先日いただいたアルバム風の写真。
「早く元気になって」というコメントもある。
それなのに、娘は、それを見て「全部可笑しい」と言って、笑っていた。
夕食の時間なので、それを取り上げて食事を食べさせようとすると、なかなか食べようとしない。
箸でわずかのご飯やわずかのおかずをつまみながら、少しだけ口に入れて、何十回もそしゃくする。
あげくの果ては、ご飯をわずかに乗せた箸を持ちながら、「私、これ食べていいの?」と何回も聞く。
そして、泣き出す。
前回は、「哀」を感じないなどと書いたが、それが嘘のように泣いたり、そして突然笑い出したり…。
感情が滅茶苦茶で、まるで脳内を嵐が吹き荒れているかのような娘の姿だった。
後で昼食時に世話に行った息子から聞いた話では、昼食は、何も手を付けなかったのだという。
食べなよと言っても、泣くばかりで食べなかったのだそうだ。
あげくの果ては、泣いた時に鼻をかんだティッシュを、おかずのシチューに突っ込んだという。
私が行った夕食時は、あまりにも食べようとしないので、箸やスプーンを取り上げ、ひと口ひと口ご飯やおかずを食べさせてやった。
口に入れると、何回も何回もかむ。完全に口の中にものがなくなるまで、次のひと口は食べてくれなかった。
そんな時でも、少しだけ正気に近い瞬間があった。
聴いてみると、泣きながら「何が何だかわからない。」のだと言う。
そうか、頭が勝手にいろいろ考えているんだね、と言うと、そうだと答える。
「何をすればいいのか、わからない。」と言うので、「まずは食べることだよね。」と何度も言い聞かせ、食事を口に運んだ。
娘に食べさせるなんて、赤ん坊の時以来、28,9年ぶりだった。
食事を終えるのに、75分間もかかってしまった。
歯みがきをさせても、「いつまで磨けばいいの?」などと聞いてきたりもした。
動作はスローモーだし、判断力はないし、言うことはハチャメチャだし、こちらとしては、本当に途方に暮れながら世話をしたのだった。
だから、疲れた。
半年以上たって、またおかしくなっている。
なぜ悪化したのか、状況の悪いのがいつまで続くのか、ひょっとすると、もうよくなることはないのか、といろいろと考えた。
それは、妻も同じだった。
だから、夜中に目が覚めたら、娘のことを思うと、もう涙を流すことしかできないのだった。
今日、私は、数時間休みをとって、午前中から病院に行った。
行ってみると、娘は、髪をとかしていた。
おはよう、と話しかけると、幸い、娘は、前の日には言わなかった言葉を言った。
「父、髪切った?」
「…それ、71回目。」
と言うと、娘は明るく笑った。
それでもまだ、次の言葉は今日も言っていた。
「私は、何をすればいいの?」
「今は、病気だから入院しているの。だから、病気を治すのが一番いいの。でも、することがないから、絵をかいても、本を読んでも、自由に何をしてもいいんだよ。」
などと、ノートやもらったアルバムなどを見せながら、2,3回説明した。
やがて、昼食時間になったら、娘は、献立をノートに書いた。
そして、しっかり自力で食べることができた。
途中で、頭が少しだけしっかりしてきた、と思える瞬間があった。
「父は、お昼はどうするの?」
「途中で、ラーメンでも食べれば?」
…人の心配ができるとは、いいことだ。
具合が悪い時は、自分のことしか考えられないのに、人の心配ができるとは、うれしい。
今日は、少しよくなっている、と確信した時、娘は、また本日何回目かのセリフを言った。
「父、髪切った?」
「それ、78回目。」
まあ、いいや。
床屋へ行ってから、10日間言われっぱなしだけど、昨日とは違う娘だから。
夜、家に帰ると、病室を訪ねてきた妻や息子が、昨日と違った娘の姿に、やはり喜んでいた。
…ずっと一喜一憂する毎日が続いている。
できれば、「一喜」は数多くあってもよいのだが、「一憂」は一つもない方がよいなあ、と思ってしまう私たちである…。