日本男道記

ある日本男子の生き様

船徳

2007年08月01日 | 私の好きな落語
【まくら】
噺の舞台は船宿。江戸は水の都であった。
橋も多いが、それ以上に船宿が多かった。
文化年間(0804~17)には600戸あまりの船宿が江戸にあったという。
堀江町、柳橋、日本橋、江戸橋、汐留、八丁堀、山谷堀あたりに集中していた。
船頭はこれらの船宿に雇われていた。
鳶などと同様、船頭も威勢の良いかっこういい職業とされた。
船宿には荷船ももちろんあったが、その九割は川遊び用の船だった。
屋形船、屋根船、ちょき船、土船、釣り舟などさまざまな用途の船が用意されていて、どれほど繁盛したかがわかる。
天保の改革で芝居町が浅草の猿若町に移ると、江戸の商業地から船で駒形まで行く芝居見物の新たな客層が生まれ、船はさらに繁盛した。

出典:TBS落語研究会

【あらすじ】
訳あって親元を勘当され、大川端にある船宿の居候となっている若旦那の徳兵衛だが、毎日が退屈なのと世話になっている船宿の親方の手前もあり、船頭にしてほしいと頼み込む。
始め渋っていた親方だが、船頭たちも賛成してくれたので承知する。
だが、力の無い若旦那の事、一向にお呼びがかからない。
夏の暑い盛り、浅草観音様の四万六千日の縁日に船頭が出払ってしまい、馴染みの客から声がかかる。
心配する船宿の女房の心配もどこ吹く風と、徳兵衛は客を乗せて大川を渡ろうとするが失敗してばかり、客も「おい。大丈夫かい。」 と声をかけるが、「へえ。大丈夫です。この前は一人御客を川に落してしまいましたが、今日はそんなことはない。」「おい、冗談じゃないよ。」と大騒ぎ。
ようようにして対岸についたが、徳兵衛は心身ともに疲れてしまって「御客様。お上がりになったら、船頭一人雇ってください。」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】拍子落ち(何度か目の落ちで終わるもの)

【語句豆辞典】
【四万六千日】毎年浅草寺で開かれる縁日で、7月9,10日にお詣りすると、四万六千日お詣りしたと同じ御利益があるとされている。
この四万六千という数字の由来は不明、一升分の米粒が四万六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると、言われている。
46,000日は年数に直すと126年になり、この日に一回参拝すれば一生参拝しなくてもイイと言うほどの長さ。
昔は旧暦の7月、今の8月中旬過ぎの暑い盛り。
この日、境内では「ほおずき市」が開かれ、50万人以上の参拝がある。

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『吹けよ川風あがれよ簾、中のお客の顔見たや』
『桿(さお)は3年櫓(ろ)は3月』

【この噺を得意とした落語家】
・八代目 桂 文楽
・十代目 金原亭馬生
・三代目 古今亭志ん朝


【落語豆知識】 下座(げざ)
寄席のお囃子さんのことを、下座(げざ)と呼ぶ。
芝居でお囃子方の部屋が、舞台の下手(しもて)にあったことからそう呼ばれている。
今では各会場の構築の都合上、必ずしも下手とは限らない。

 




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