京都二十四節気 その三 啓蟄
大地が暖まり 冬眠をしていた虫が 穴から出てくる頃 新暦三月五日~十九日(頃)
夢見鳥 (啓蟄の自然)
冬の間、地中で巣籠りしていた虫たちは、春の気配を感じると地上に這い出てきます。春の野をひらひらと舞う蝶は、別名「夢見鳥」と呼ばれます。これは、「胡蝶の夢」という、古代中国の思想家・荘子の説話がもとになったもの。ある日、荘周という人が胡蝶になって自在に飛び回る夢を見ます。自分が荘周であることを忘れていましたが、目覚めると、やはり荘周のままでした。荘周は、夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘周になっているのかわからなくなった、というお話です。春は、現実と夢の間を行き来できる季節なのかもしれません。
お釈迦さんのはなくそ (啓蟄の暮らし)
釈迦が入滅し、悟りの境地に入られたことを「涅槃」といいます。お寺では、枕を北に右脇を下に臥した釈迦の周りで、鳥獣までもが嘆き悲しむ「涅槃図」を公開し、法要が営まれます。京都にはこの日、「お釈迦さんのはなくそ」というお菓子を食べる慣わしもあります。「はなくそ」とは、お供え物の「花供御(はなくご)」が転じた愛称といわれ、昔から、釜の底に残ったご飯を大切に取っておき、黒豆などとともに飴で絡めて作られてきました。「捨てずに使い切る」という京都の心が息づく風習でもあります
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。
大地が暖まり 冬眠をしていた虫が 穴から出てくる頃 新暦三月五日~十九日(頃)
夢見鳥 (啓蟄の自然)
冬の間、地中で巣籠りしていた虫たちは、春の気配を感じると地上に這い出てきます。春の野をひらひらと舞う蝶は、別名「夢見鳥」と呼ばれます。これは、「胡蝶の夢」という、古代中国の思想家・荘子の説話がもとになったもの。ある日、荘周という人が胡蝶になって自在に飛び回る夢を見ます。自分が荘周であることを忘れていましたが、目覚めると、やはり荘周のままでした。荘周は、夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘周になっているのかわからなくなった、というお話です。春は、現実と夢の間を行き来できる季節なのかもしれません。
お釈迦さんのはなくそ (啓蟄の暮らし)
釈迦が入滅し、悟りの境地に入られたことを「涅槃」といいます。お寺では、枕を北に右脇を下に臥した釈迦の周りで、鳥獣までもが嘆き悲しむ「涅槃図」を公開し、法要が営まれます。京都にはこの日、「お釈迦さんのはなくそ」というお菓子を食べる慣わしもあります。「はなくそ」とは、お供え物の「花供御(はなくご)」が転じた愛称といわれ、昔から、釜の底に残ったご飯を大切に取っておき、黒豆などとともに飴で絡めて作られてきました。「捨てずに使い切る」という京都の心が息づく風習でもあります
コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。