private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over18.31

2019-10-26 17:56:49 | 連続小説

「30分ぐらいのリハだけど、エリナちゃんのステージを楽しんでってちょうだい」
 マリイさんに言われるまでもなく、おれはもういろんな意味でステージ上の朝比奈に目が釘付けになっていた。持ってきたマイクをスタンドに取り付けて、、、 自分専用のマイクだろうか、、、 そうしておいて一度下を向いてから顔をあげる。
 髪の毛が左右にわかれ、その中からあらわれた表情は、眼つき、顔つきが変わっていて、ゾッとするぐらい恐ろしいほどのプロの目になっていた。
 おれは果たして陸上競技をしていたとき、トラックの上であれだけの集中力を高められたことがあっただろうかと、今更ながらに自分の甘さを思い起こさせられる。まわりにとってはリハーサルにすぎないだろうけど、朝比奈は真剣勝負に臨んでいるのがヒシヒシとつたわってくる、、、 おれは次第に鳥肌がたってきた。
https://youtu.be/mKevYssVS5s
 朝比奈の合図をキッカケに、ドラムがリズムを刻み始める。かぶさるようにウッドベースが調子を取る。ピアノが甘く、切なく奏でる。ふだんジャズなんか聞かないおれでも聞き覚えがある曲なので、いわゆるスタンダードってやつなんだろう。
 この国の人間であるおれでさえ素晴らしい曲と演奏ならば、からだ中に鳴動していき自然とリズムに乗ってしまうものなんだ。だったら特別な人たちの魂にだけ通じるわけではないってことで、そうであれば演歌も、民謡も、都々逸だって、聴けば彼の国の人たちの心に沁みたりするのかな、、、 って歌聴けよ。
 ドラムのシンバルの音が心地よく耳に届き、ピアノも静かに歌の後を追うと、朝比奈は満足気な顔立ちになり、演奏者全員に目を配る余裕が出てきた、、、 と言うより、なんだか朝比奈がこのバンドを仕切っているようにもみえる、、、 
 マリイさんはおれの耳元で、いつもよりノッてるわとささやいた、、、 耳元で小声で言われて、おれもバンドマンの一員になったみたいに思えた、、、
 それから朝比奈は、正面を向いて目を閉じて歌い続ける。普段から大人っぽい声ではあるが、それに輪をかけて、人生の侘び寂をも知り尽くした歌い手の声と思えるほどの深く枯れた歌声に、おれは聴き入り、そしてすぐに次の声を追いかけていた。
 間奏に入ると、それぞれの楽器がソロをはじめた。今日の調子やら、楽器や音の出かたなんかを確認しているんだと、ふたたびマリイさんが小声で教えてくれる。マイクスタンドに両手をあずける朝比奈はそれにあわせて首を上下させる。
 まずは“ばんます”さんのベースが低いリズムを細かく刻んだり、ゆっくりと余韻を残したり。ベースの音って地味なのになぜかカラダが揺さぶられる。心臓の鼓動とつながっているようだ。
 次はケイさんがギターを鳴らす。歌番組で観るようなギターの鳴らし方ではなく、キュッキュッと弦のうえを指が動き、多彩で複雑な音がそのあとに続いて、本当に一本のギターで弾いているのが信じられないぐらいの、ハリのある高い音がおれのアタマの上に落ちてくる。
 ピアノもコロコロと軽快なリズムを刻み、ドラムがシンバルをジャンジャン鳴らしてそれぞれのパートが終了した。そうすると朝比奈が歌を再開させる。その歌に合わせてみんなが次々と自分の楽器の音を絡ませてくる。それはなんだか大勢の男たちに朝比奈が蹂躙されているようで、それに負けずに立ち向かっているから、あの強い朝比奈が出来上がってきたんだと変に納得してしまう。
 一曲、歌い終わると、おれは感激、感動のあまり立ち上がって手を叩いていた。まわりに座っていたひとたちは嘲笑とともにコッチを見て、朝比奈も苦笑いをしている。おれは行き場を失った両手を広げ、昂揚した顔を仰いで慌てて座り、とってつけたようにコーラを口にした、、、 それっぽく飲むことも忘れて、、、
 マリイさんも自慢気たっぷりっの笑顔でゆっくりとうなずいている。千人にひとりの天才を発掘したのはわたしだといったところか。いやこれはホントにすごいよ。公園で聴いた時もあれはあれでよかったけど、声を絞っていたあの時の歌声が、楽器とともにステージで力強く放出された姿はまた別格だ。
 もし本当に朝比奈がスターにでもなったら、マリイさんは恩師として脚光を浴びたりするのだろうかなんて、下衆な考えがすぐに思い浮かぶおれの気持ちを見透かすマリイさんは、こんどは首を横に振った。
「ボク。わたしはね… 」
 マリイさんの口調が変わった。ふだんからさして物事を深く考えずに、気のまま思いのまま感じていることを口にしているので、そういったことはままある。おれ自身に悪意があろうとなかろうと、感じた側が不快に思えば、それは正と成るわけで。おれはまたやっちまったのかと、こわごわマリイさんの顔を見る。
「 …つねづねこう思ってるの。 …天才なんて人間はどこにもいないって」
 最初の言葉とうらはらに、マリイさんの顔はおだやかで、発する声も元に戻っていた。それでおれは胸をなでおろし、マリイさんの言葉に耳を傾けた。
「あえて言うなら、生まれ出でた人間は、全員が天才の質があるってことぐらいかしらねえ。ボクちゃんも含めてね。わたしたちはふいに、抜きに出た者を天才と軽んじて言葉にするけど、その陰でどれほどの努力と苦労があり、得た対価の代わりに多くの大切なものを失くしていったのかわかっていない。エリナちゃんは自分の判断で能力をみがいた。そしてなにを手放していったか、ボクも知ってるでしょ」
 ホッとしたのもつかのま、マリイさんの言葉は怒られることより辛かった。自分がバカなのは先刻承知。ただこの場合、そういった自己分析するのもおこがましく、これまで自分が努力することもなく、真剣に取り組まないまま安穏と生きてきたかをまざまざと宣告された。
 誰にだってひとより秀でるチャンスはなんどもあるはずで、もうひとつの忍耐、もうひとつの汗を拒んだために、手に入れられなかったこともあったし、それより平凡な毎日が大切だと判断したのかもしれない。有能を得るにはそれより多くの平凡を断ち切る必要があって、どちらを選ぶかは自分にまかされている。
 おれが走れなくなったのは自分がどこかでそれを望んでいたからで、だからケガを呼び込んで事故を招いたんだ。ぶつかったアイツのせいでも、治療した医者のせいでもない。かえっておれなんかに関わりあって迷惑かけてしまっただなんて、今はそうあらためて言えるけど、そんなことマリイさんは知るよしもなく、これはたんなる偶発的な認知の回顧でしかない。
 ひとの成功をうらやむのは簡単だ。それを安易に持って生まれたものとして決めつけるのは、自分の弱さであったり、想像力の欠如でしかない。ただ、平凡なおれにとって、ごく平凡な言いかたしかできずに、これは努力の賜物だというのも立場がちがうわけで、だったら黙ってそのすばらしい能力を堪能してればいい。
 朝比奈はその後は、曲の途中で音を確認しながら止めたり、再びそこから歌い始めたりして合計3曲を唄い、もう一度、ベースのひとと声を掛け合ってからステージを降りた。降り立って、コッチ向かってくる、、、 これで終わりか。
「どうだった? 本番じゃないから、通しで唄ってないけど。でも、それなりに楽しめたでしょ? バンマスの鮎川さんに今日は彼氏が見に来てるからいつもより声に艶があるんじゃないかって言ってくるから、そうよって言ってやったら、やけに素直だなっておどろかれた。わたしはいつだって素直なんだけど」
 朝比奈はおれの向かいの椅子を引き、座ったかと思えば、何事もないようにコーラを、、、 おれの飲みさしを、、、 口に含んだ。そんなことしたら、ますます彼氏だと思われてしまうじゃないか、、、 いやあ、困ったなあ、、、 と全然困った顔にならないから、よけいに困ってしまった。
 ところでベースのひとはバンドウマスオとかいう名前なのかと思ったけど、鮎川さんだということで、じゃあ、バンドウマスオは誰なんだろう。
「なに? 誰のこと言ってんの? バンドウマスオなんて名前の人はいないけど」
 コーラの炭酸が効いたらしく、顔をシュワっとさせてから目を見開いた。やっぱり朝比奈はしわしわのおばあちゃんになっても可愛いことがわかった。ピンと来たらしいマリイさんが大笑いした。
「やっだー、名前を略して呼んでる訳じゃないわよ、バンマスっていったら、バンドマスターの略で、バンドの責任者のことよ」
 おっ、略してるのは正解だったな。なんて低次元で悦にはいっていると、ツボだったのか朝比奈はおなかをおさえ、息を殺して笑った。それでなにかにすがりつきたかったらしく、おれの右腕を握りしめたんだけど、ツメが喰い込んで、、、 ああ、きもちよい、、、
「ホシノ、おもしろすぎ、なにそのビギナーっぽさ。はーっ、ひさしぶりに大笑いした。バンドウマスオだって。聞いた? マリイさん」
 涙を指先で押さえながらそう言った。期せずして大ウケを取れたのはなによりだ、、、 何よりどうなんだろう?