private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over18.22

2019-10-19 22:49:48 | 連続小説

さて、おれはどうしたものかと、とりあえずチンクからおりた。マリイさんはおれのほうをちらりと流し見てアゴ先で指示した、、、 ついて来いって感じ、、、 アゴのあたりのありあまる脂肪がゆれて、朝比奈とは正反対の曲線美だ。
 魅入られるおれは、すごすごとついていくしかなく、裏地や事務所に連れ込まれてもしかたないかと、半ばあきらめ気分でマリイさんに後を歩く。正面にまわって扉を開けて待っているマリイさんは、店の用心棒と言っても納得できるぐらいの威圧感だ。
 店内に入り無事に席まで案内されてとりあえずホッとした。マリイさんはとって食わないから安心しなさいとニヤリと笑って奥に引っこんでいった、、、 ホントだろうか、、、 おれのアタマから飲み込めるぐらいの口の大きさをしている。
 薄暗い店内は、酒とタバコの臭いが染み付いていて、これがおとなの世界ってやつなのかと解釈して、それだけであたまがクラクラしてくるおれは、まだまだこどもで、やっぱり朝比奈はこういう店で働いているから、普段からの行動やしぐさに、おれらとは違う落ち着きがにじみ出てくるんだろうな。
 さあて、いつまでたっても大人びれないボクだから、お酒飲めないし、なにか頼もうにもいくらかかるかわからず、ボクが払えるような金額なのかも心配だし、そもそもボクが入って良いようなお店じゃない、、、 さて、どうしたものか、、、
「なにブツブツ言ってるの、ボクちゃん。ほら、コーラ出しとくから、それっぽく飲んで座ってなさい」
 戻ってきたマリイさんが、そう言ってテーブルにコーラを置いた。コーラってそれっぽく飲まなきゃいけないのか、、、 それっぽいって、つまりお酒を飲むみたいに、ってことだろうな、、、 チビチビと飲むコーラは、どれほど大人の味がするのだろう。
 店内は時間帯もあってなのか客はまばらなんだけど、それともそんなに流行ってない店ならば、そんなとこに朝比奈が働いているのもなんだか物悲しさも漂ってくる。朝比奈はジャズバーとか言ってたけど、おれの見る限りいわゆる場末のキャバレーとかで、、、 行ったことないけど、、、 テレビで観たぐらいで、、、 刑事モノね。
 準備に向かった朝比奈が、いったいなにをしているのかと、ゆがんだ妄想が脹らんでいく、、、 まさか、一日の仕事に疲れた人たちをなぐさめるために、あんなことや、こんなことを、、、 男子が喜ぶ衣装をまとってあのバンドをバックに淫猥で、なめまかしい踊りを踊りつつ、一枚、また一枚と、、、
「なに変な妄想してるの。まだお店が始まる時間じゃないからね。今からバンドの音合わせがはじまるから、席に座ってるのはホールスタッフで、座ってる場所でそれぞれ音のチェックしてるのよ。だいたいね、高校生にこんな場所で働かせられないでしょ。まあ2年後はわからないけどね」
 とマリイさんは意味深げに口角をあげた。手塩にかけて育てて、見事に花開けばそこからあとの身入りに期待して、稼げるうちに稼いでやろうとか考えているのだろうかとか、下世話な勘繰りをしてしまう。
「だからねえ、そうじゃなくて、本番のステージの前に楽器とかの音合わせするのよ。歌い手さんは時間にならないと来ないから、エリナちゃんに唄ってもらって、その日に演奏する曲を確認しながらリハーサルするのよ。それがね、このごろじゃステージ歌手より良い声出すからバンマスはどっちがリハかわからないって、冗談交じりに言ってたわ。これは本人に聞かせられないけど。いまじゃバンマスもエリナちゃんが成人するのを心待ちにしてるし、ホールスタッフもこのごろじゃエリナちゃんの唄を聴くのが楽しみみたいでね。遅刻するどころか早出して準備万端にして待ってるぐらいで、オーナーも感謝してるぐらいなんだから」
 マリイさんの言葉にある“ばんます”って、何なんだろう。人を指す言葉なんだとは理解できたけど、どのような状態を表しているのか意味不明。ボイトレは教えてもらったばかりで、これまで生きてきて聞いたことがない言葉を矢継ぎ早に耳にすることとなり、大人の世界はまだまだ広いなあと、ただでさえ、よくわかっていない状況に置かれているのに、ますます混迷に陥る。
「だって、エリナちゃんたらホントに唄が上手なの。アタシの知り合いが講師をしているボイトレの教室に通ってたところを、すごいコがいるって紹介してもらったのね。最初は大げさなって思ったんだけど歌声聞いてビックリ。スーっと引き込まれっちゃって、ぜひウチで唄って欲しくってね。バンマスにも聴いてもらったの。まさかねえ、まさか彼女が高校生だと、本人から聞くまではまったく思わなかった」
 おれも同級生だけど同い年には見えないとかねがね思ってました。マリイさんも同じ思いでなんだか安心してしまった。ホントは何年かダブっているとか、帰国子女で高校からあらためてやりなおしてるとか、そう言ってくれたほうがよっぽど納得できる。
「ほおら、来たわ」
 マリイさんの顔がパッと輝いて、それと同時にステージの裾から朝比奈がマイクを持って登場した。服装もTシャツとキュロットスカートじゃステージ映えしないからなのか、それっぽいドレスを着ている。照明の明るさとか見栄えを確認する必要もあるのだろうか。そうぞうしていたよりおとなしめの衣装だけど、それでもなんか十分色っぽくて、、、 イイな、、、 やっぱり年齢査証か、、、
「素敵でしょう。あの衣装、わたしのおさがりなんだけど、リハの時間だけだし、わざわざ用意してもらうのもなんだからねえ、エリナちゃんも気にいって着てくれてるからよかった。それにしてもこうして見てると、わたしの若いころを思い出すわあ」
 マリイさんは自慢げな顔でおれを飲み込もうとする、、、 例えだよ、、、 とりあえず、わたしのおさがりのくだりで、コーラを吹きそうになり、あのドレスを着たマリイさんの若いころは想像もつかなし、じゃあ朝比奈もウン十年すると、マリイさんみたいになってしまうのかと、、、 どちらにしろマリイさんには失礼な話しだから、うなずくだけにとどめておいた。
 朝比奈はピアノの音あわせをしている男の元へ近づき耳元に話し掛ける。そうするとピアノの男は、軽快にリズムを取りながらも朝比奈との会話を続ける。まるでショウビジネスのワンシーンを見ているようで、、、 見たことないくせに、、、 
 店に入ったときは暗いし、目が慣れなくてわからなかったけど、朝比奈が出てきて、ライトが当たり、奥でギターを持っている男がケイ、、、 さん、、、 だと気づいて、心がチクリとした。
 それはふたりにとって普通の行為なんだと、こんどは朝比奈の耳元でケイさんが何かをつぶやくと、朝比奈はうなずいて笑顔で返す。それはふたりだけではなくバンドのひとたちは何かを話すときその耳元に近づく。それが彼ら仲間内の証みたいなものだと知り、おれは疎外感につつまれる。
 ケイさんがギターを鳴らす。朝比奈が声を合わす。しろうとのおれが見てても息があって、いい感じに見える。それにマリイさんのドレスは、やはりすこし大きめなのか、前かおれのスケベエさは嫉妬心を凌駕して自分でも感心してしまう。点在しているホールスタッフなる人たちもなんだか、ニヤニヤしていて、おれと同じこと考えているとしても共感より、目をふさいでやりたくなる。
 ステージ設備も照明器具も、学校の体育館で見るようなモノとは違うし、テーブルの上の小物類から、床の陶器、壁に掛けられた絵画も、普段目にするような安っぽいモノではない、、、 はずだ、、、 そんな雰囲気に呑まれておれは、たぶん実際よりも自分の感情が創り出した映像の中で増幅させているんだ。
 朝比奈は、こんどはドラムのひとの肩に手をやって、リズムをとりはじめる。その姿がまたカッコ良過ぎるおれの知らない朝比奈、、、 知らないことだらけだけど、、、 なんだかそれを見せつけられるたびに、おれは確実に吸い込まれていた、、、 誰に、、、 マリイさんではないのは確かだ。 ドラムのひとは朝比奈を見て、笑いながらスティックを回し、ドンドンと深い打撃音を続けながらリズミカルな音をはさみ、シンバルを唐突に鳴らす。そうすると朝比奈はびっくりして、最後にはドラムのひとに叩くまねをする。
 そんな光景を目にすると、場末と感じたこの店もなんだか華やかな場所にみえてくるからおかしなもので、貧困なおれなんかがイメージするのは、やっぱりテレビの刑事モノなんかで出てくるお店の域を抜けなくて、やっぱり世の中はもっと奥深く、おれの浅はかな知識なんかでは追い付いていけない、、、 それは学校では、けして見ることのない朝比奈で、ウチの教室が暗いのはそのせいなのかとうがってしまう。
「ベースを弾いている人がバンマス。最初はね、ガキの遊び場じゃなねえなんてしぶってたんだけど、まあ実際に声を聞いたら、すぐにお気に入りになったわ。わたしにはわかってたけどね」
 ベースを持っているひとは、朝比奈がつぎつぎとバンドマンと交流をしているなか、ひとり黙々と音合わせをしていた。その雰囲気が和気あいあいでありながらも、必要以上になれ合いにならないように、バンドの雰囲気をグッと締めている、、、 ように思う。
 バンマスなる人は、大人のおとこって感じで、オールバックにかためた髪に、不精ではない不精ヒゲ。ニヤリと笑うと顔にシワがあらわれ、その一本一本にこれまでの経験がきざみこまれているようで、おとこのおれが見てもいぶし銀のイカしたオトコに見えるから困ったもんだ。
 おれがなにひとつ持っていないモノに、朝比奈がうばわれていくようで、ひととの比較が無意味なことだっていわれても、共通の対象物がある限り、それをなしにしては戦えないんだからしかたないじゃないか。