private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来9

2023-09-03 16:30:18 | 連続小説

 何にしろカズさんは、自分がスミレの母親の部類に入るつもりはないらしい。カズさんがお嬢さんとなると、スミレが母親になってしまう。奥さんなんて呼ばれたら卒倒してしまいそうで、すかさず名を名乗るスミレ。
「あのぅ、わたしはスミレって言います。犬塚スミレです」
「ああ、カズさんとスミレちゃんだね。よろしく。では、さっそく行きましょう。お金の心配はいりませんよ。お礼なんで」
 そうキジタさんは言った。なんとなく当て付けがましく、ポケットに手を突っ込んでそのまま歩き出すキジタさんに、スミレたちはついて行く。
 カズさんはまた少し若返っていた。背筋もピンとして、背も伸びた。それこそおばちゃんと呼ぶには失礼なほどだ。知らない人から見れば30年連れ添った夫婦に見えるだろう。スミレはその娘と言ったところか。夫婦の会話をじゃましないように後をついていく娘を演じている。これでスミレの連れ合いがふたりになった。
 どうして、この状況に存在しているのか。すべての事象には理由があるはずで、その解をなんとかして知りたい。それとも、すべての事象に理由を求める理由が必要なだけなのか。解のない疑問こそ人々が追い求めている業であり、必要がないのに重要であるように捉えて、自分の生存を確認しているとも言える。
「わたしは昨日、人をひとり殺してしまったんです」
 キジタはそう物騒なはなしをしはじめた。スミレは何を言い出すのかわからず、聞こえないふりをしてカズさんの反応を見た。
「その呵責に耐え切れず、酒の力を借りました。それがこのザマです」
 キジタはカズさんが若くなったことは気になっていないようだ。
「それで、気分は晴れたの? 自分がどうしてそうしたかの自己解決はできたの?」
 そんな風に冷静に対応するカズさん。スミレはヤバい人と関わってしまったのではないかと鼓動が高まる。どんな理由があるとしても人を殺してはいけない。それを冷静に語り出す人間は自分たちの手に負えるわけがない。警察に連絡して逮捕してもらうことが先決ではないか。
 スミレはスマホを持っていない、カズさんもだ。公衆電話も見当たらない。スミレの時代にはほとんど絶滅していたが、この時代にならあってもよさそうなのに。
「わかりません。ただ、昨日よりは気持ちは落ち着いて、しかたがなかったと割り切れている気がします。もちろん人を殺したと言うのは比喩であり、殺したも同然の行動をとったと言うのが正しいのですが」
 ヒユ? モノの例えで言ったということだ。そうであればスミレは完全にキジタの思惑にハマってしまったようなもので、物騒な掴み言葉で心を鷲掴みにされて慌ててしまい、短絡的なリアクションを起こそうとしてもしかたない。
「どうせ、精神的に追い詰めてしまい、その人を死に追いやったとでも言いたいんでしょう。この頃の人間は自分史を語るのが好きで困るわねえ。わたしは、アナタたちが見てきたものの何倍の不幸と、多くの死を見てきた。それをいちいち気にしてたら、とても枕を高くして寝られないわね」
 競い合うようにしてカズさんは言った。ただ負けず嫌いなのか、それを聞いてどうしてもだまっていられなかったのだろうか。
 枕を高くしたらそれこそ寝ずらいはずだ。あえて寝られない状況をつくりたいのだろうかと、スミレは首をひねる。
 そもそもひとりだろうが、多くだろうが人の死について張り合ってもしかたない。その当事者にとっては唯一の死だ。比べるモノではない。
 それとも、どんなことであっても一度を体験すると、二度目以降は薄れてしまうと言うのか。人間の性と言うべきか、どれ程印象深い経験をしても初めてはなければその意味合いが減ってしまうことにスミレはガッカリしてしまう。
「そうなんですか?」キジタさんはその真意を聞くべく、カズさんに訊ねた。
 カズさんは立ち止まり天を仰いだ。外見は若くなっても、行動はこれまでと変わらない。少し疲れたようだ。
「そうでもあり、そうでもないってところでしょうね。だいたい、すぐにこれはこうだって、ひとつの結論を欲しがるのも、人間の悪いクセでしょ。それはいつの時代だって変わらないようだけど、不安な気持ちのまま布団につけないのは誰だっていやなモノだからね」
 カズさんはこうしてよく人間論を語る。カズさんの言ういつの時代の人間と言うのは、いったいいつの頃の人間と言う意味なのか。自分が以前よりも若くなっているから、近ごろの若い者はといいづらいからそうなるのか。
「すぐにそうやって、何か特定の型にはめたがるでしょ。自分が納得するような答えが欲しくて、そういう意見を探す。同じような意見には同じような人が集まり、自分が楽な状態になることだけを考えいる。そうでなければ息もできなくなってしまう、、 でしょ、スミレ?」
 さっきのスミレの状況を見てそう言っているのだ。とかく自分の身に起きたことに、すべて理由をつけないと安心できないのはいなめない。そうでないと心が落ち着かないのは事実だった。だから結論を急ぐし、自分に有利になる情報が必要になる。それで何事もない自分だけの平和の世界を護ろうとした。
 そこに長居するほどに、知力は衰え、思考は固定化され、想像は乏しく、構想は芽生えてこない。
「だから、突然の危険に対処できなくなる。予定されている事象については、事前に対策を考えておき対応できるし、少々の想定外があっても、何とか切り抜けられる。でも生きていればそんなことばかりでは収まらない。ありとあらゆる無理難題が降りかかり、早急に決断を迫られる。それに対処できるか、できずに埋没していくか、できている振りをしてなかったことにするか。スミレはこの状況を受けて、なんとか対応しながらもなるべく少しの負担で乗り越えようとしている。それは平時においての対処よりは、数段高い意識で行われいるんだけれどね」
 若いころは大学の先生だったのか、カズさんはなんだか大学教授が講義をするような言いかたをした。わかったような、わからないようなことが多かったスミレだったはずなのに、言わんとする意味が飲み込めてきた。
 これもひとつの平時ではない状況での火事場の馬鹿力がなせる業なのか、それとも状況に応じた一足飛びの成長がそもそもひとには備わっているのだろうか。
 では、なぜ、スミレがこの状況下におかれなければならないのか。それが一番知りたいことであるのに、その答えには行き届かないし、カズさんも、キジタさんもそこには至らない。


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